孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

価値観で生きる人は世間に目立ちますが、生きている価値を味わっている人は世間に目立ちません。

2016年09月04日 | Weblog
孤独の自由の生き様からして心身ともに解放されています。

しかしそれでも牛舎のパートを黙々としているときに何だか体調がいまいちのときは少しでも早く仕事を終えて楽になりたいと思いながら仕事をしているときがあります。

そして何とか仕事を終えることができれば、その仕事から解放された気分になり、何だかいい感じになります。

ちなみに灼熱の砂漠の中でオアシスにたどり着いた気分と同じかもしれません。
だから高温のサウナから解放されたり、スポーツ・ランニングから解放されたときの味わいと同じかもしれません。

と言うことは苦のあとの楽、すなわち苦楽・喜怒哀楽・変化刺激・快感快楽を味わっているのと同じことになります。

ところが生きていくための仕事であれば苦労したそれだけの価値があります。

しかしサウナやスポーツとなれば開放感だけですから価値観になります。
また同じく登山や冒険探検は達成感ですから価値観になります。

然るに趣味嗜好娯楽は生きていくための価値よりも価値観を求めていることになります。

然るに食って寝て糞をしながらにして生きていることにはそれなりの価値がありますが、それだけでは物足りずにして変化刺激・快感快楽を味わうことは価値観で生きていることになります。

ちなみに生きていくために精出している時代の人は生きている価値を味わっているだけでしたが、集合化し近代化し生活が安定するほどに余計な変化刺激・快感快楽の価値観を味わうために生きているのと同然になりました。

それが自然環境の汚染や破壊になり危機的な状況になっています。

しかしそれでも価値観のとりこになっていますから中々やめられません。

だから現代教育も人間の価値よりも価値観の高い人・世間で目立つ人を生み出す仕組みになっていると言えます。

だから先進国の見栄からして読み書きソロバン以外の高度なことも教えたがっています。

しかしその価値観で生きることに違和感がある人はやがて頑張ることも欲張ることも見栄張ることも次第に無くなり結果的に世間の片隅に追いやられています。

と言うことからして地球環境の汚染や破壊の元となる価値観で生きている人のほうが世間で目立つ存在になっているともいえます。

ちなみに私は世間の片隅でもって食って寝て糞をしながらにして生きている価値を味わっています。

余談ですが・・・昨日の夜と今日の夜明け前に今年で二度目となる謎の発光体を身近に見ましたが・・・
そんな謎の発光体やUFOなどを目撃しても接し触れ合うことなく消えていなくなりますから大したことではありません。

そんな摩訶不思議を目撃した価値観よりも、
私としては宇宙船から全裸の美女が降り立ち微笑んでくれるほうが接し触れ合う価値・実質がありますから大歓迎なのです。