人間と言う肉体を持ったことで生きているだけでも疲れます。
然るに食って寝て糞をしているだけでも疲れます。
しかも食ってばかり・寝てばかり・糞ばかりはしていられませんから、そこで何か事を成してさらに疲れます。
と言うことからしても・・・人間は元からして楽に生きていたいのです。
だから何もしたくなくなるし、横着にもなるし、グータラにもなるし、怠け者にもなるし、何もかもがうっとうしい・面倒臭くもなるのです。
それが度を越して心身が疲れれば・・・生きていることが憂鬱にもなるのです。
ところが特別な変化刺激・快感快楽があると頑張ることができるという矛盾がありますし、追及心・探求心・自尊心からしての達成感や生き甲斐などの価値観や大きな欲望・野心があれば命を懸けてまでもやりたがります。
だからその分だけ余計に心身を酷使しますから相当に疲れます。
ところで・・・半年仕事をして残る半年遊んで暮らす・・・そんな人も事実にしているようです。
ちなみに大型豪華客船でもって100日間の世界一周の船旅をする目的のためにお金を稼いでいるという若者が(姉が言うには)大勢乗船しているそうです。
また国内旅行や海外旅行をするために働いている人も大勢いるはずです。
そしてその名分にあるのが(姉が言うには)旅友達ができたり見聞知識を広めることができるとしています。
然るに特別な趣味嗜好娯楽の価値観からして苦労を買い込んで頑張り欲張り見栄張りして無理しているのです。
だから心身ともに疲れて当たり前なのです。
だからそれだけ健康面に気をつけていることでしょう。
ところがそれらに執着し続けているうちに・歳追うごとに何もかもが憂鬱にもなり、家に閉じこもることにもなり、虚しさ孤独感を味わうことにもなり、
また世間から見放されたようなかっこうにもなり、それが無縁死や孤独死にもなっています。
と言うことは・・・逆も真なりで・・・私のほうから世間を見限り人間関係やしがらみから離れ、然るに人様に大きな迷惑をかけないで死ねる孤独死や無縁死を望むところとして・・・その孤独の自由を大いに味わっているのです。
そして私は貧乏丸出しを楽しみながら楽ちんな生活をしています。
だから稲作の田んぼに立っているカカシのセーターよりも襟や袖がほころびボタンが抜けたセーターでもって牛舎のパートに行っています。
然るにファッションとかレシピとか、また伝統風習・年中行事・記念行事・冠婚葬祭などのセレモニーに関係なく、また礼儀作法・マナーや道徳、潔癖・完璧・衛生観念もなく、
然るに何事も気にしない・気疲れしないその気軽さ呑気さがあります。
ちなみに痴呆症・認知症が増えているのも煩わしい世間や人間関係の気苦労から離れたいという思いが根底原因にあると私は見ています。
然るに自分が思うがままの自由にしていたいのだが、しかしそれだけの自力自信の精神力がないことからして=見栄や世間体を気にして=思うようにならないことからして=逆に何もかも忘れて自分だけの意識の中で閉じこもっていたいのだと思われます。
何はともあれ孤独が孤独感になっているのも、その孤独の自由を味わっていないで逆にそれが寂しさ虚しさに変わっているからです。
ちなみに私はパトカーや救急車が来るのに15分はかかるそんな山奥の真っ暗な中の一軒家で、しかも夏場は網戸一枚の不用心な開放感でもって、しかも真っ暗な部屋で独り寝していますが、しかし寂しさ不安さ恐怖感はありません。
だから庭先に現れる謎の発光体が目に付きやすいということにもなっています。
とにかく孤独の自由を味わえることになる自力自信の精神力も必要なのです。
また価値観ではなくして、生きている価値を味わえるような素朴さ謙虚さも必要なのです。
そのためにも趣味嗜好娯楽からしてより楽しく・より美味しく・より美しくと求め続けるそんな生き様から卒業することも必要なのです。
そして肉体や感情体で生きることよりも己の中の精神体でもって自問自答しながら学び知り気付くことも必要なのです。
そのために・・・原因のあの世から結果のこの世の人間として・・・肉体・感情体・精神体を(前世を含め)もって生まれ出ているのです。
然るに食って寝て糞をしているだけでも疲れます。
しかも食ってばかり・寝てばかり・糞ばかりはしていられませんから、そこで何か事を成してさらに疲れます。
と言うことからしても・・・人間は元からして楽に生きていたいのです。
だから何もしたくなくなるし、横着にもなるし、グータラにもなるし、怠け者にもなるし、何もかもがうっとうしい・面倒臭くもなるのです。
それが度を越して心身が疲れれば・・・生きていることが憂鬱にもなるのです。
ところが特別な変化刺激・快感快楽があると頑張ることができるという矛盾がありますし、追及心・探求心・自尊心からしての達成感や生き甲斐などの価値観や大きな欲望・野心があれば命を懸けてまでもやりたがります。
だからその分だけ余計に心身を酷使しますから相当に疲れます。
ところで・・・半年仕事をして残る半年遊んで暮らす・・・そんな人も事実にしているようです。
ちなみに大型豪華客船でもって100日間の世界一周の船旅をする目的のためにお金を稼いでいるという若者が(姉が言うには)大勢乗船しているそうです。
また国内旅行や海外旅行をするために働いている人も大勢いるはずです。
そしてその名分にあるのが(姉が言うには)旅友達ができたり見聞知識を広めることができるとしています。
然るに特別な趣味嗜好娯楽の価値観からして苦労を買い込んで頑張り欲張り見栄張りして無理しているのです。
だから心身ともに疲れて当たり前なのです。
だからそれだけ健康面に気をつけていることでしょう。
ところがそれらに執着し続けているうちに・歳追うごとに何もかもが憂鬱にもなり、家に閉じこもることにもなり、虚しさ孤独感を味わうことにもなり、
また世間から見放されたようなかっこうにもなり、それが無縁死や孤独死にもなっています。
と言うことは・・・逆も真なりで・・・私のほうから世間を見限り人間関係やしがらみから離れ、然るに人様に大きな迷惑をかけないで死ねる孤独死や無縁死を望むところとして・・・その孤独の自由を大いに味わっているのです。
そして私は貧乏丸出しを楽しみながら楽ちんな生活をしています。
だから稲作の田んぼに立っているカカシのセーターよりも襟や袖がほころびボタンが抜けたセーターでもって牛舎のパートに行っています。
然るにファッションとかレシピとか、また伝統風習・年中行事・記念行事・冠婚葬祭などのセレモニーに関係なく、また礼儀作法・マナーや道徳、潔癖・完璧・衛生観念もなく、
然るに何事も気にしない・気疲れしないその気軽さ呑気さがあります。
ちなみに痴呆症・認知症が増えているのも煩わしい世間や人間関係の気苦労から離れたいという思いが根底原因にあると私は見ています。
然るに自分が思うがままの自由にしていたいのだが、しかしそれだけの自力自信の精神力がないことからして=見栄や世間体を気にして=思うようにならないことからして=逆に何もかも忘れて自分だけの意識の中で閉じこもっていたいのだと思われます。
何はともあれ孤独が孤独感になっているのも、その孤独の自由を味わっていないで逆にそれが寂しさ虚しさに変わっているからです。
ちなみに私はパトカーや救急車が来るのに15分はかかるそんな山奥の真っ暗な中の一軒家で、しかも夏場は網戸一枚の不用心な開放感でもって、しかも真っ暗な部屋で独り寝していますが、しかし寂しさ不安さ恐怖感はありません。
だから庭先に現れる謎の発光体が目に付きやすいということにもなっています。
とにかく孤独の自由を味わえることになる自力自信の精神力も必要なのです。
また価値観ではなくして、生きている価値を味わえるような素朴さ謙虚さも必要なのです。
そのためにも趣味嗜好娯楽からしてより楽しく・より美味しく・より美しくと求め続けるそんな生き様から卒業することも必要なのです。
そして肉体や感情体で生きることよりも己の中の精神体でもって自問自答しながら学び知り気付くことも必要なのです。
そのために・・・原因のあの世から結果のこの世の人間として・・・肉体・感情体・精神体を(前世を含め)もって生まれ出ているのです。