孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

世間に馴染めないでいる引きこもり不登校の人や自分さえ良ければの個人意識は<恥>ではありません。

2016年09月02日 | Weblog
皆さんの中に「恥に思う」ことがあるかもしれません。
ところが恥に思うことが「見栄・プライド」から出ていることだと自覚できていない人もいるかもしれません。

だから(恥につながる)「身だしなみ」を気にする人は見栄があるからです。

ちなみに私は貧乏丸出しを味わっていますから、あれこれ衣装選びする迷い手間もなく、またアイロンのかかっていないよれよれの上着やほころびた下着を着ていても気になりません。

その身だしなみの思いは人それぞれに質量が異なっているのが当たり前です。

だから私の事例のように自分が納得している身だしなみであれば何の問題もありません。

ところがそこで人様の身だしなみを気にするようならば矛盾偽善になります。

何はともあれ自分さえ良ければ個人意識丸出しで生きていることは人間誰しも同じですから「恥」ではありません。

ところがそんな自分を棚に上げておいて人様のことに口出し手出し足だしするから矛盾し偽善になるのです。

然るに個人意識丸出しにして人様のことは「ほっとく」(仏に任すが如く成り行きに任す)のが大きな問題にならずに済むのです。

ところがしかし自分のことさえもままならないのに・・・
しかも自分さえ良ければの個人意識を隠す偽善までして・・・

そこで「此れではダメだ、何とかしなければ」の欲と見栄からして(善人ぶるから)古今東西に見られるような大きな問題に進展していくその史実事実があるのです。

とにかく世間で目立つ人ほど紛れもない偽善者なのです。
そして見栄ぱりで欲張りなことを世間にさらけ出している・恥さらしにもなるのです。

然るにそれら輩が推し進める教育指導も偽善になるのです。

ゆえに国家社会や教育指導や人間関係に馴染めない人がいても当然なのです。
だから恥でもないから平然と生きていけばいいのです。

そこで恥と思う見栄や、
此れではダメだの欲があるうちは、
孤独の自由にして(我一人の天下泰平にして)何とか生きているほうが、
この世・世間の中にある偽善の加害者や被害者にもならずにして心穏やかに生きていけるのです。