ふくろたか

札幌と福岡に思いを馳せるジム一家の東京暮らし

呪詛届かず

2018年12月06日 | 日記・その他

昨夜の天皇杯準決勝2戦は、鹿島0対1浦和 仙台3対2山形

札幌の「ACLへの道」は完全に断たれ、ワタシの9日の浦和遠征も消えた。

5日は都心の某所で呪詛に励んだが、及ばなかった。その某所とは

東京都千代田区大手町1丁目の「将門の首塚」(東京都指定旧跡)。

太宰府天満宮(主祭神=菅原道真公・4号の七五三)や

白峯神宮(主祭神=崇徳院・13年の京都遠征)へのお参りを経て、

およそ10年がかりで「日本三大怨霊コンプリート」を達成。

平安時代中期の「承平天慶の乱」で朝廷に反旗を翻した平将門は、

討伐後に京都に晒された生首が胴体を求めて東国に飛び帰った伝説がある。

首塚はその伝説に由来し、関東各地にいくつかの首塚が残るが、

最も有名なのが「不敬な振る舞いに及ぶと祟る」と伝わるこの首塚だろう。

その祟りについて詳しい説明は省くが、地元の畏敬を表す事柄のひとつに

「三井物産の再開発計画の区域外になった」という事実がある

<現在は首塚を囲んで造成工事の最中。1枚目の写真の右上に鉄骨が見える

さらに、この首塚を有名にしたのが荒俣宏「帝都物語」

1985年に小説が発表され、88年に映画になったこの作品は

将門の怨霊で東京を破壊しようとした魔人・加藤保憲を演じた嶋田久作の

強烈なビジュアルも手伝って「祟り神・将門」のイメージを決定づけた。

一方で、首塚の周りは現在も香華が絶えない。

将門は東国の英雄・首都の守り神として、多くの人々の信仰を集めている。

特に、首が帰った伝説にちなみ、「戻る・帰る」に御利益があるとされ、

それに引っ掛けた「カエルの置き物」の奉納はごらんの多さである。

なぜワタシが首塚に呪詛に来たか、これでお分かりだろう。

いったん潰えた札幌のACL出場の可能性が「再び戻る・よみガエル」

という願いにピッタリだったからである。百均で買ったカエルの小物もささやかに奉納

・・・なぜ呪詛が聞き入れられなかったのかなあorz ダイナマイト・キッドの訃報まで届いたし

その理由を調べたところ、どうやら将門と鹿島は相性が悪いらしい。

鹿島ゆかりのパワースポットと言えば、

開幕前に戦勝祈願をしている「東国三社の一つ」鹿島神宮だが、

将門追討の祈願の功績で社殿・拝殿を新築した伝承がある。それは勝たせてくれないわ

  • おまけ

将門の首塚がある一帯は、徳川四代将軍・家綱の治世で権勢を振るった

「下馬将軍」大老・酒井忠清の上屋敷の中庭で、

かの伊達騒動のクライマックスの場所だったそうな。

将門といい、伊達騒動といい、血塗られた場所なのね・・・

「樅ノ木は残った」「風と雲と虹と」の双方にゆかりの地として、

昭和のNHK大河のファンに訪れてほしい場所ではある。