今年のプロレス大賞を語った次の日に悲報が舞い込んだ。
木戸修逝く 享年73
数少ない新日本プロレスの旗揚げメンバーがまた1人。
これで存命は北沢幹之とドラゴンの2人のみになってしまった。
木戸修と言えば、忘れ難き異名が二つ。
一つは「いぶし銀」 地味なファイトスタイル。寡黙な性格。
どれほど激しい試合をしても決して乱れない髪形
しかし、神様カール・ゴッチ直伝のレスリングを
ファンは「陰の実力者」と認めて、長く支持していた。
その支持が最も熱狂的だった地に由来するもう一つの異名が「札幌男」
ワタシも今は無き中島体育センターで木戸の試合をいくつか観戦したが、
休憩前のカードがほとんどだったにもかかわらず、
声援ものぼりの数も時にメーンを食っていた印象がある。
入場曲「ブラック・ライダー」が流れる中で、リングに向かう
木戸に寄せられる万雷の「キド・コール」を思い出すと、今でも鳥肌が立つ。
特に記憶にあるのが、懐かしのJ・J・JACKSとのタッグ戦。
道産子の飯塚高史(室蘭出身)との対戦にもかかわらず、
観客は木戸に大歓声を、飯塚に盛大なブーイングを浴びせていたwww
プロレスラーは晩年に経済面でも家庭面でも不幸になるケースが少なくない。
だが、この人はレスリング同様に堅実な生活を送り、副業のアパート経営でも
成功し、長女の愛さんをプロゴルファーに育て上げた。
本当は多くの後進が手本にすべきプロレスラーだと考える。
でもこういう人生を送れる人間はそもそもプロレスラーを目指さない(苦笑)
そして、今回の訃報に悲しみとともに浮かんだ疑問がひとつ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/00/70ce0ad21f729ceba7ee35bf00b6131a.jpg)
南千住の回向院にあるこの墓への分骨は検討しないのだろうか?
生前のゴッチはこの弟子を高く評価し、「マイ・サン」(我が息子)と称賛していた。
木戸もゴッチに心酔しており、日明兄さんの追放時に第2次UWFではなく
新日本残留を選んだ理由も「ゴッチさんがいないから」だったとしている
<第2次UWFでゴッチは顧問から外された
むろん遺族の意向が最優先される話だが、この墓の管理に深く関わっている
西村修・文京区議には同名のよしみで、ぜひ分骨について一考してほしい。
- 欧州カンファレンスリーグ
ディナモ・ザグレブ3対0バルカニ
ディナモは3勝3敗の戦績でグループ2位確定。EL3位グループとのPOに進んだ。
ネコタクは後半33分まで出場し、3点目のPKゲットなど貢献した模様。