明日から6月。J1は中断中だが、欧州選手権&ロンドン五輪が近づいてきた。
五輪イヤーの夏と言えば、「こち亀」日暮そして「2号父との初対面」を思い出す。
第6話は、結婚をめざす全ての男に待ち受ける難関をどのようにクリアしたかを振り返る。
96年7月20日。2号の倶知安の実家に挨拶に行った日をよく覚えている。
晴れた暑い日だった。そして、日差しに当てられたのか緊張からか、
実家に着くやいなや、ワタシの紹介もそこそこに、2号が寝込んでしまった。
「娘さんをワタシに下さい」という男と、その男と初めて向かい合う娘の父が、
クッション役の娘をいきなり欠く緊急事態である。とても場が持たない
2号父「込み入った話は後回しにして、テレビでも見ようか」
ワタシ「そうですね。きょうからアトランタ五輪が始まりますし」
お互いにテレビに場つなぎを求め、押し黙って開会式の様子を眺めていた。
しかし、その沈黙は聖火を点灯する瞬間、異口同音の叫びで破られた。
「うわ!モハメド・アリだ!」
第2話で述べたように、2号父は大のボクシング好き。
ボクシング・ファンとプオタの間で話題を共有するには、
これ以上の人物はいないというレジェンドのご登場である(注1)。
そこから先は「キンシャサの奇跡」とか「猪木戦から20年」とか、
それまでの沈黙がウソのように話題が次々に出てきた。
開会式に続く「金メダル候補の紹介」では、アマレス3連覇を目指していた
アレクサンダー・カレリンの雄姿に「リングスで見たいですね」「ああ、いいねえ」と妄想話。
まさか3年後、カレリンが本当にリングスに登場し、日明兄さんの死に水を取ろうとは
夜が更けて、ようやく2号が起き出したころには、
ワタシ「これからお父さんと男子柔道95キロ超級の試合を見るんだ」
2号父「具合が悪かったら、おまえはまだ寝ていなさい」
主役だったはずの2号をなぜか仲間外れにする有り様
2人のお目当ては、後にプロレス・格闘技界で「暴走王」となる日本代表の小川直也
・・・ではなく、92年バルセロナ五輪で、その小川を破って金メダルを獲得後、
リングスに参戦していたグルジア代表のハハレイシビリ・ダビド(注2)だった。
ところが、いつまで待っても、その試合が放映されない。
ワタシ「やっぱり日本のテレビ局は、小川の試合しか流しませんかね?」
2号父「いや。前回大会の金メダリストだし、映像はともかく、結果は伝えるだろう」
などと気を揉んでいるうちにアナウンス。
「ハハレイシビリ選手は計量の会場に現れず、失格になりました」
深夜にコケる2人。「なんだ、そりゃあ!」とテレビに突っ込んだことは言うまでもない。
そんなこんなで、「2号との交際・結婚への承諾を得る」という当初の目的をやや見失った
きらいはあるが、ワタシはめでたく、2号父と初対面で意気投合できた。
「まあ、2人とも仲よくしなさい。今度はWOWOWのリングス中継の日に遊びにおいで」
翌日には、そんな言葉までいただき、交際のみならず、
実家への出入り&WOWOWのリングス観戦にもOKをもらえた。
7月20日以外の日だったならば、ここまで上手くコトが運んだだろうか?
格闘技が人の心を動かす力、そして「この父にしてこの娘あり」と感じ入った一日だった。
その後、2号の実家には本当によく遊びに行かせてもらった。
リングス中継のみならず、97年6月の「耳かみ事件」があったホリフィールド×タイソン戦や
2号父のお気に入りだった「悪魔王子」ナジーム・ハメド(注3)の試合なども見せてもらった。
しかし、初対面で妄想した99年2月の「前田×カレリン」を2号父が見ることはなかった。
97年11月18日逝去。享年70<W杯初出場・札幌J参入・拓銀破綻と大変な一日だった
この大一番と、97年当時2号のおなかにいた3号を見ずに亡くなったことは今も残念である。
(第7話に続く)
注1・事実、この聖火リレーにはWBAヘビー級王座に返り咲く直前のホリフィールドも
参加していたはずだが、「アリの衝撃」のせいで、よく覚えていない。
注2・グルジア伝統の格闘技「チタオバ」の猛者で、サンビストとしてもかなりの実力者。
同国出身の大相撲幕内力士である臥牙丸の師に当たる。
注3・元WBC・IBF・WBOフェザー級王者。その奇抜なボクシングは、
後に「はじめの一歩」に登場し、鷹村と世界戦を戦ったブライアン・ホークのモデルになった。
良くも悪くも常識外れのスタイルのため、熱狂的なシンパもアンチも生んだ個性派だった。
樺太生まれの昭和一ケタ世代ながら、ハメドを「こいつは面白い」と評価していた
2号父は、かなり柔軟な思考の持ち主だったと考える。