話は少し戻る。菱山源一の母親は錦糸町に流れ着いた2、3年後、
1965(昭和40)年前後に持病と過労で倒れ、将来を悲観して焼身自殺を遂げる。
作中には「隅田川の河岸んとこ」という以外に、自殺現場の詳しい記述はない(注1)。
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隅田川の上から東京スカイツリーを望む。清洲橋と織りなすシンメトリーな構図が美しい
隅田川と言えば、日本人はどんなイメージを持つだろう。
「春のうららの隅田川」で始まる「花」に歌われる桜の季節か。夏の花火の季節か。
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蔵前橋のたもと。春は東京スカイツリーと満開の桜を同時に楽しめる
それらのイメージは決して間違いではない。
しかし一方で、江戸開府以来、この川は多くの人々の生命を飲み込んできた。
古くは明暦の大火。大正の関東大震災。昭和の東京大空襲。
ミステリー小説の世界でも、この川は舞台として書き手をひきつけるのか、
江戸川乱歩は「陰獣」では小山田夫妻の亡骸を浮かべて、
「魔術師」では生首が乗った獄門舟を白髭橋界隈に流してみせた。
島田荘司氏も「ひらけ!勝鬨橋」「ギリシャの犬」といった作品を著している。
さて「火刑都市」。菱山の母親は隅田川のほとりのどの辺りで生命を絶ったのか。
ワタシは両国橋のたもとの東岸と推測している
理由は三つ。一つ目は、墨田区錦糸3丁目のそば屋から最短の場所であること
北斎通り&京葉道路を西に向かえばたどり着く。
これから自殺する病弱な女性が灯油を抱えて、あまり長くはウロウロするまい。
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両国橋のたもとの隅田川河畔。現在は公園として整備されている
二つ目は、この界隈は「死と弔い」の匂いに満ちていること
JR両国駅を挟むように、南に回向院が、北に東京都慰霊堂がある。
片や明暦の大火で、片や関東大震災・東京大空襲で火にまかれた犠牲者を供養している。
つまり、非科学的な物言いだが、菱山の母親は「呼ばれた」ような気がする。
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墨田区両国2丁目の回向院。1657(明暦3)年の明暦の大火の後に幕府が創建した
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境内に残る明暦の大火の供養塔。回向院は10万人超の焼死者を幕命で弔った万人塚を始まりとする
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宗派を問わず、さまざまな横死者や動物が葬られた回向院には著名人の墓も多い
その中でも異色なのは、1832(天保3)年に刑死した「鼠小僧次郎吉」の墓
「金運」「勝負運」のお守りとして、墓石を削り取る人々が絶えず、
現在は墓の「お前立て」の石を削り取らせるようになった
余談だが、福本伸行「天」の最終話に出てくる赤木しげるの墓のモデルになったと思われる
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回向院の境内では、江戸時代後期の天明年間から勧進相撲が催されるようになった
これが現在の大相撲の源流とされており、1936(昭和11)年には
日本大相撲協会が境内に「力塚」を建立し、亡くなった力士・年寄を供養している
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ワタシが「追悼ウオーク」で毎春立ち寄っている墨田区横網の東京都慰霊堂
1930(昭和5)年建造の震災慰霊堂が前身で、
1948(昭和23)年から東京大空襲の犠牲者を合祀するようになった
毎年3月10日に春季の、9月1日に秋季の大法要を営んでおり、
近年の春季大法要では「3・11」東日本大震災の犠牲者も合わせて追悼している
三つ目は、両国橋からは、いやでも神田川の河口が、
つまり、江戸城の外堀の終点がおがめること
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両国橋から神田川河口を望む。柳橋や屋形船もおがめる
菱山は幼少期に何度も、少なくとも祥月命日には
母親が亡くなった場所に線香や花を手向けただろう。
そのたびに目にする神田川の河口が、その奥にある外堀に、
飯田堀埋め立て闘争に、連続放火の企みに菱山を誘ったのではないか。
「都市は川を挟み、光を西に、闇を東に抱く」
今回の連載を始めるに当たり、上記の島田都市論の概念を紹介し、
「火刑都市」での刑事対放火犯の構図を、隅田川を挟んだ「光と闇の対決」とした。
とすると、その対決の原点は、両者を分かつ川にこそあった・・・と思えてくる。
菱山を刺したのは渡辺由紀子だった。ナイフは正確に心臓を刺し貫いていた。
捜査の対象から外れつつあった由紀子がなぜ?
その裏には、運命のいたずらとしか言い様のない理由があった。
いずれにせよ、菱山は救急車で搬送される途中に死亡した。
一年余りに及んだ都心の連続放火事件は終幕を迎えたのである。(あとがきにつづく)
注1:火刑都市「第九章・失われた環」350P
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