つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
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エッセイ:こんな設計図(地震その3)

2011-05-14 14:39:38 | エッセイ

エッセイ:こんな設計図   課題【地震
     

「宮城県から来ました、宜しくお願いします」
小学校低学年らしい転校生が挨拶をした。
その後のインタビューで「友達を沢山つくりたいです」あどけない顔が緊張している。

天災とはいえ、こんな小さな子にまで試練が及ぶ。
春の新学期、何も無ければ仲良しの友達と遊ぶ約束でもする一日だろうに
と胸がつまる。

大地震と津波の被害で町はメチャメチャになった。
写真で見た
戦争の後の焼け野原のようだ。
の山に、
ポツンポツントと曲がった、鉄骨やコンクリートの建物が残っ
ている

地震に強い家をと願って建てた家も、ひとたまりも無く持っていった。

だが昼間でよかった。
かなりの学校が高台にあり、大半の生徒が助かった。

学校を高台に作っていたことは、以前の教訓が生かされていたということだ
ろう。
大正時代、関東大震災の後、まず丈夫な建物を造ろうと、建築に関わる人
たちが知恵を出し合って、鉄筋コンクリートで同潤会アパートや小学校を作
った。それは戦
にも耐え、今も使われている。

今回のような災害が夜中に起こったら、暗闇の中を遠くの高台まで避難
するのは難しいと思う。

素人の私が考えることだが、こんな設計図はどうだろう。
近くの山をくずし、その土を海辺の土地に下ろして、できるだけ高台に土地
を広げ、住居や学校、公共施設を作る。
生活の拠点が海辺というので
あれば、平地には大きな道路を作り、その両
側に10階建てぐらいの鉄筋コンクリートの建物を作る。
4階迄が、昼間の働く場所とし、住居は、津波が来ても大丈夫な高さ、5階以上にする。
そして、屋上迄上れる階段を沢山作り、万が一の時は誰でも利用する。

階段なら、足の悪い人には、おんぶする背中も、肩も貸せる。

 先生の講評 対象(被災)に対する温かな愛情を感させじる。
             自己流アイディアを考える姿勢からきているのだろう。

    

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