エッセイ 日の出 課題 【星・月・太陽】 2017年7月28日
私の若い頃、独身の女性がホテルを予約して、何日も観光旅行をするのは贅沢なことだった。
土曜日も休みはなく、休日は日曜日ぐらい、何日もの休暇は取れなかった。
その時分の私は、お金も持っていなかったから、近くにハイキングに行くか、列車に揺られてちょっと遠い、ハイキングに毛の生えた位の山に登山をした。
いつも四人、五人で出かけたが、その時の天気や途中の情報次第ですぐに予定を変更、変り身の早いグループだった。
よく夜行の鈍行列車を待って新宿駅のホームに並んだ。
列車はいつも混んでいて、通路に新聞紙を敷いて座ったり3人掛けをしたり、時々急行券を買うのが贅沢だった。
そんな中でも思い出に残っている山がある。
ある時、友人の会社のグループが富士山に行くと言う。
富士山に登る等と言うチャンスはそんなに無い。頼み込んで連れて行ってもらった。
夜のうちに五合目から登り始め、翌朝の日の出を見、帰りは須走を下りる行程だった。
茶店で金剛杖を買い、気合い十分で出発した。
下では夏の暑さだったから軽装で登り始めたが、夜のせいもあり、登るごとに寒くなる。
暗闇を数本の懐中電灯で照らし、石ころだらけの道を、前の人の靴の後をたどって登る。
暗くて寒い、ようやく八合目に着いた、九合目はもうすぐと山小屋を頼りに登った。
聞いていた高山病になる人もなく、うっすらと明けた、頂上の鳥居の前で皆と万歳をした。
眼下の雲海の下から出てきた日の出は、思ったほど大きくなく感動的と言うものでもなかった。
ただ、ズボンをたくし上げていたら、すぐに日焼けをし、太陽の近くにいるんだと感じた。
富士山に登った自慢話を、家族や友人に何度もしてきた。
今でも富士登山のニュースが流れると夫にする。
いつも「すごいね」と相槌を打ってくれる。
でももう止そう、随分古い話だ、賞味期限はとっくに切れている。
先生の講評・・・・あの時代、あの若いOLたち、あの休暇、彷彿とする。
リッチではなかったが、心のはずむ楽しみ。
確実に時代は移った。それをA印 (最後の2行、下線の部分)
でユーモラスに決める。
旦那様のやさしい心が 最後の2行に凝縮。
それをあっさりと 賞味期限切れ という痛烈な言葉で 笑い飛ばすところが さすが!
書き出したら、又、エッセイを3部書いてしまいました。