つつじの書・・

霧島つつじが好きです。
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エッセイ 巳斐の人たち(ソフトボール)

2017-12-28 11:31:27 | エッセイ

エッセイ 巳斐(こい)の人たち(ソフトボール)  2017.11.24 課題行く・戻る・逃げる

十一月になると、喪中の葉書が届く。
大抵は知り合いの親族だが、今日届いた葉書きは本人が亡くなったとの知らせだった。
年賀状の交換だけだったその人は、九月に亡くなったとか、まだ二カ月しか経っていない。
広島のあの坂の上の家に、ずーと居てくれる人だと思っていたのに逝ってしまった。

夫が広島に転勤になり、小学生の息子たちと広島市内に引っ越した。
そこは、家並はごちゃごちゃしていたが、関東の土とは違う白い砂地の明るい町だった。

バブル時代と言われたその頃、人事の入れ替えがひんぱんで、働き盛りの社員、特に小学生ぐらいの子供を持つ年代の転勤が多かった。

九月の始業式の日、転校生が待機する教室に行くと、三十人近くの生徒とその父兄がいた。
九月でこの数だから、四月にはもっと大勢いたのかもしれない。
それ迄通っていた小学校は、二クラスのこじんまりした学校で、転校の手続きの後、校長先生と担任の先生が玄関迄見送りに来てくださった。
初めての転校に随分緊張したが、子供達は、すぐに土地の言葉を使い始めた。

住んだのは市内の西、太田川の大きな橋を渡って、山の中腹まで沢山の家が建っている、己斐(こい)という処だった。

転校した小学校はソフトボールが盛んで、チームに入っている子が多く、長男も入れてもらった。
「市子連」と言った各町内ごとのチームが競い、決勝大会はh広島市民球場で行われる。
そこにいく迄の練習と試合に、町内の大人達も熱心に応援をする。

練習場はバイパスの下、雨が降っても練習が出来る。
関東より一時間ほど日の暮れるのが遅い。
夕方になると金網の外に、大人たちが集まり、大きな声援や野次を飛ばす。

「しっかり捕れや」「腰が引けとるぞ」
「おっちゃん、うるさい」と子供も負けていない。
見ている母親たちも、「晩はハンバーグじゃけ~ね」などと声をかける。

その時の監督が、その人のご主人だった。

  先生の講評・・・結になる伏線が生き生きとしているだけに、悲しみがある。

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