エッセイ 遊び 課題「学ぶ・遊び」 2010.11.26
先生の講評
「カメラ」を居間に据えて、生き生きとした家族の描写。
つつじのつぶやき
ルリが死んで14年になる。
桃の時期、少し果肉を残して種を上げると喜んでいたっけ。
犬を飼ったきっかけは、夫が単身赴任をして月に
一度位しか帰れず、何となく家庭がギクシャクしていて、
気になっていたからだ。
当時、高校生になったばかりの長男と小学生の二男、
勤めをしていた、私の3人で暮していた。
それぞれに忙しく、つい乱暴な言葉が出て、そのことが、
又、次の言い争いの種になった。
そんな時、友人が飼い犬がいかに可愛いかと話すのを聞いて、
私も犬を飼おうかなと、思い始めた。
子供達に話すと、お母さんがいいならいいよと賛成をして
くれたが、夫は大変だよと釘をさした。
私は「いい、私が世話をするから」と言い切った。
そしてシーズー犬のルリが来た。
男の子中心の生活で、会話も随分ぶっきらぼうだった。
そこに可愛い子犬が来たので、最初は戸惑っていた様だったが、
自分に関心を向けさせる為に、急に赤ちゃん言葉で話しかけたり、
ボールを投げて遊んだり、「お兄ちゃんが好きか」等と言って
抱きしめていた。
そして「ルリはどこ?」とか「ルリがね」とか、いつも話題の中心に
なっていった。
女の子と言うのも可愛かったのだと思う。
ルリのすることは何でも許して、甘えたり、すねたりする仕草を面白がった。
当時、私は夫の居ない家を守る事に一生懸命だったのだろう。
「早く」とか「ちゃんとやってよ」が口癖の、怖いお母さんだったらしい。
ある時、二男に「お母さんは、自分が悪くても絶対謝らないんだね」
と言われて、絶句したことがあった。
そうなんだ、心の遊びを忘れていた。
自分中心で、相手を笑顔で受け入れる事もしていなかった。
家族のギクシャクは私の責任だった。
ルリと楽しい日々を暮してみて分かった。
ルリが死んでから二年が経つ、時々写真のルリに目がいくと、
胸の奥が苦しくなる。
「ルリ、会いたいよ」