映画「大河への道」を観てきた。
(ネタバレの内容になりますが、このブログを読んでから観ても感動は変わらないと思います。)
伊能忠敬ファンである自分にとって、とても楽しみにしていた映画だった。
いつもは映画について少し調べてから見に行くこともあるのだが、あまり調べることもせず、鑑賞した。(予告編は観ました)
始まる前から、どんな映画になるのかを色々と考えていた。
「きっと日本全国を回った時のドラマを描くのだろうなあ。」
「でも、昼は歩いて測量、夜は地図づくりという地道な作業だったろうなあ。」
「映画は、忠敬が引退して、測量の勉強を始めたところから始まるのだろうか?それとも幼少期の辛かったシーンから始まるのだろうか?」
「中井貴一さんが忠敬役なのかな?」
これらの予想はことごとく覆されました。はい。
忠敬が亡くなる場面から映画は始まりました。
忠敬の遺志を継いだ仲間が、なんとか地図を完成させようと奮闘する映画でした。
亡くなってからの3年間、どうやって地図を完成させたかを描いた話であり、それはそれで面白かったです。
いい映画でした。
でも、でも、伊能忠敬ファンにとっては、「伊能忠敬が一切出てこない伊能忠敬物語」というのは物足りなかったです。
映画を見終えたあとの肩透かし感は、どうすることもできませんでした。
原作は立川志の輔さんの落語なので、少しくらいは調べてから見に行けばよかったと思いました。