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トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

三日月宿本陣を訪ねて・・

2012年03月20日 | 日記
兵庫県西北部の旧佐用郡三日月町。三日月という魅力的な地名のこの町は、平成17(2005)年に4町が合併して今は、佐用郡佐用町三日月になっています。あの、なんとなく興味を引かれる魅力的な町名は、なくってしまいました。

元禄10(1697)年、津山藩森家が嗣子なく改易されたとき、支藩の津山新田藩主森長俊が1万5千石で、この地に藩を立てました。そのとき、乃井野地区の山裾につくった陣屋が復元されて残っています。この町は、また、出雲街道の宿場町としても知られています。出雲街道は、出雲から伯耆、美作国を経て、姫路に向かう江戸時代の交通路。出雲藩やその支藩広瀬藩の参勤交代の道でもありました。出雲街道は現在の国道179号線に沿って続いていました。この日は、旧三日月宿の本陣を訪ねることにしていました。

写真の右側が国道179号線。JR三日月駅方面に向かう右側の道から乃井野地区で分かれ、三日月の町に入りました。その道を左の山の方に向かうと旧三日月の陣屋町跡。

右に向かい志文川(しぶみがわ)を渡ります。川の真ん中から田此(たこの)地区。

旧街道の面影を感じる商店街です。中央の白い建物が旧三日月町役場です。

右手に、JR三日月駅に向かう道を見ながら、旧役場を過ぎると、5分ぐらいで国道179号に再び合流します。

その手前の右側に「紀年碑」がありました。「明治23年9月17日午前8時洪水流出地盤壱町余歩家屋・・・」と、この地の洪水の記録が残されていました。再び、国道179号線を進みます。桜橋の左手奥にすごいお宅が見えました。

かつての庄屋さんのお宅なのでしょうか?長屋門風の建物の後ろに煙出しのついた主屋が見えます。広い敷地に土蔵など建造物がぎっしり。さらに南に進みます。

三日月東駐在所を示す大きな案内板がある所から、左の道に入ります。

「三日月町」のマークを見ながら進みます。すると、すぐに道は左カーブ、そして、次に右カーブ。鍵形に曲がって進みます。入り口で「この道が旧出雲街道ですよね?」とお聞きすると、「この先の織田さん宅には、因幡の殿様が泊まってたよ」。そうか、鳥取から大原宿、平福宿を経由して参勤交代の旅をする鳥取藩主も佐用からは出雲街道に入っていたのでした。めざす本陣が近づいていると感じました。

建物もほとんど建て替わっていて、静かな住宅地という雰囲気ですが、道の両端にある水路が往事の面影を伝えてくれています。今も、左側の水路には澄んだ水が流れていました。かなり、大きな宿場町です。案内にあった、三日月東駐在所を越えて、左右にゆるやかにカーブしながら進んでいきます。聞こえるのは、国道179号線を走る車の音だけです。

突然、左側に常夜灯と、その先のシートに覆われた屋敷が見えてきました。

この常夜灯は、神社の入り口にあったものでした。神社は、山裾の険しい階段を上がっていった先にありました。シートに覆われたお屋敷は広い敷地で、奥にあった白い土蔵だけは、きれいに整備されていました。主屋は屋根が抜けてしまったのでしょう。 残念です。

次に目に入ったのが、常夜灯の向かいにあった大きな白い土蔵。右奥に向かって3列並んでいました。その先には黒漆喰で仕上げられた私邸部分、豪壮な邸宅でした。

ここがめざす旧本陣でした。

本陣部分には、白漆喰で塗られた塀の間にある立派な門が残っています。ここから、宿泊・休憩する藩主が入っていったのでしょう。

主屋の鬼瓦には、「慶長3(1598)年戊戌建之 昭和63(1988)年辰年織田家当主昭和大修理」の文字があるそうです。裏を走る国道179号線までの広い広い敷地でした。

その先の左側には、塗られていたと思われる漆喰がはがれ落ちて街道沿いになまこ壁だけが残る土蔵が残っていました。主屋の方はすでに建て替えられていました。

ここを過ぎると宿場町も終わりです。写真の左の「みかづきほいくえんバスのりば」を過ぎると、道幅も細くなります。国道179号線に三たび合流した後、次の千本宿に向かって街道は続いていきます。

それにしても、「三日月」という魅力的な地名はどんな経緯でつけられたのでしょうか。地元の方におうかがいしたら、生まれたときから三日月だったから、よくわからない」というお答えが多かったのです。「鎌倉幕府の執権、北条時頼がこの地を訪問したとき、病を得て、3ヶ月間、この地に滞在したということから、三日月の地名がついた」とのこと。国指定の重要文化財である北条時頼像(全国に2体しかないもの)が、1体、近くの最明寺に残っていることも、この話を裏付けているようです。

「三日月」というお月さんからではなく、「三ヶ月間」という期間から名づけられたようですね。町中に「あの三日月マーク」がたくさんあったこともあり、当然お月さん由来と考えていましたので、少し残念でした。

でも、由来はそうでも、町の人はお月さまの三日月に親しみを持っておられると強く感じました。やはり、魅力的な町でした。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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見ました (山田の)
2012-03-23 21:50:45
三日月町と言う地名があったこと初めて知りました。最近出雲街道に凝っていますね?まさか姫路まで歩こうと思われているのでは?

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