JR豊橋駅です。ここから、渥美半島の付け根の町、田原市の三河田原駅に向かう鉄道があります。田原市は幕末に”蛮社の獄”で蟄居(ちっきょ)処分を受け自刃した渡辺崋山が、家老として仕えていた田原藩の城下町です。
この日はその鉄道に乗るために、JR豊橋駅にやって来ました。JR豊橋駅で下車して東口に向かい、案内に従って右折します。
JR豊橋駅舎から出て階段を下ります。
豊橋鉄道の新豊橋駅前です。そこは、たくさんの屋台が集まっていて大変賑やかでした。
新豊橋駅は、豊橋鉄道渥美線のターミナル駅でした。この鉄道が田原市の三河田原駅に向かう、私が乗車することにしていた渥美線でした。なお、豊橋鉄道には路面電車の東田(あずまだ)本線と鉄道線の渥美線の2つの路線があります。東田本線にはすでに乗りましたので(「日本一の急カーブがある路面電車、豊橋鉄道東田線」2015年2月5日の日記)、この日は渥美線に乗ることにしていました。なお、この日は土曜日でしたが、文中にはそれ以前に乗車したときの写真も含まれています。
新豊橋駅にあった運賃表です。豊橋鉄道渥美線の三河田原駅までは18.0km、運賃は片道520円でした。
豊橋鉄道渥美線は、大正13(1924)年に現在の高師駅と三河田原駅間が開業し、2年後の昭和2(1927)年に現在の新豊橋駅までの全線が開業しました。今年は開業から90年目を迎えています。駅にあった90周年のロゴマークです。
田原線の時刻表です。15分ごとに出発しており、三河田原駅までは35分かかります。時刻表の時間の次には、三河田原駅から接続する交通機関が書かれています。三河田原駅は伊良湖岬へ向かうバスの起点です。
自動販売機で切符を買って、ホームに出ました。ホームは1面2線。JR豊橋駅の東端にあります。ここは2番ホームです。渥美線の電車は、すべて3両で運行されています。平成26(2013)年から、「渥美線カラフルトレイン」といわれる、花のラッピング電車になっています。これは、その”菊”で、三河田原駅に向かって、2810・1860・1810号車の3両編成です。この電車は次発列車です。
反対側の1番ホームに停車している先発列車です。2804・1854・1804号車の”ひまわり”。このように、三河田原方面の先頭がモ1800形(1811・1813・1860は中間車として使用されています)、中間車はモ1850形、後ろがク2800形車両の3編成になっているそうです。渥美線は車掌さんが乗務するツーマン運転でした。
現在の渥美線の車両はすべて東急電鉄からの転籍車両です。先発の”ひまわり”に乗車します。昭和43年に東急車両で製造された車両でした。その運転席です。
出発しました。「渥美線カラフルトレイン」は、ばら・はまぼう・つつじ・ひまわり・菖蒲・しでこぶし・菜の花・椿・桜・菊の10編成ありますが、日中は7編成が運行されているそうです。新豊橋駅から2分。最初の停車駅、柳生橋駅に着きました。
柳生橋駅から30パーミルの渥美線の最急勾配区間を経て、次の小池駅に着きました。柳生橋駅からは0.7km。渥美線の最短区間です。写真は、2面2線の向かいのホームにあった駅標とベンチです。
ホームの端、駅の出口には、切符の自動販売機がありました。
これは、到着したホームから見た柳生橋方面です。新幹線との立体交差が見えます。ちょうど、渥美線の上を東海道新幹線が通過していきました。
小池駅で対向した”しでこぶし”(1806・1856・2806号車)です。三河田原駅に向けて出発して行きました。
小池駅を出ると、すぐにトンネルに入ります。渥美線唯一のトンネルです。トンネルの中で右カーブが始まります。半径160mの急曲線です。
2分(0.8km)で愛知大学前駅に着きました。1面1線の駅です。この日は土曜日でしたので、さほど多くはなかったのですが、以前乗車したときには、たくさんの学生がここで下車していました。
電車はここまで、時速50kmぐらいのゆっくりとしたスピードで進んで来ました。1分で南栄駅に着きました。愛知大学前駅と南栄駅間は0.7km。柳生橋駅・小池駅間と並ぶ駅間最短区間です。駅舎正面にあった垂れ幕には「祝甲子園出場 豊橋工業高校」と書かれていました。
思い出しました、JR豊橋駅でも甲子園出場をお祝いしていたのを。20世紀枠での名誉ある出場、おめでとうございます。なお、南栄駅の近くには愛知県立時習館高校もありました。吉田藩(現在の豊橋市にありました)の藩校の流れを汲む高校です。この日には見えませんでしたが、高校生も渥美線を利用していることでしょう。
南栄駅の自動販売機で買った切符です。
高師(たかし)駅に入りました。1面2線のホームの前方左側に、高師車両区が見えました。
駅舎です。ここから車両区に向かいました。三河田原方面に歩き左折して、渥美線の踏切を渡ります。
ピンク色の”桜”(2809・1859・1809号車)の車両が休んでいました。左奥に見えたのは、切り離されて1両になった”はまぼう”、ブラウンの車両です。
車両区内にあった手動のポイント切り替え機。これは、現役のようです。
片隅にあった、さびついていた台車。この先、この上部に客車部分が乗っかることがあるのでしょうか?
高師駅から3分で到着した芦原(あしはら)駅です。2面2線、上り(新豊橋駅方面行き)線の待合いスペースに駅標が設置されていました。
芦原駅の出口は「制限35」の制限速度時速35kmの区間になっていました。橋梁を渡ると、植田(うえた)駅です。
植田駅から2分(1km)で、向ヶ丘(むこうがおか)駅。そこからさらに2分(08km)
で大清水駅に着きました。ホームから見た大清水駅の駅舎です。
大清水駅のあたりから、市街地を抜けて、畑作を中心にした田園地帯に入ります。美しい菜の花と並んで走ります。
広いスペースに待避線が見えたと思ったら老津(おいつ)駅に入りました。大清水駅から1.4km、3分で着きました。
老津駅のホームにあった持合室。上下線の待合室が向かい合って設置されています。
”つつじ”(2803・1813・1803号車)と対向しました。
老津駅から2分(2.2km)で杉山駅に着きました。老津駅と杉山駅間は渥美線の駅間距離が最も長い区間です。待合室は、老津駅で見た待合室と同じ形でした。
杉山駅から三河田原駅の一つ手前の神戸(かんべ)駅までは、単式ホームが続くため対向ができません。そのため、神戸駅までの4.4kmを12分以内で走り抜けなければなりません。スピードが少し上がったような印象です。杉山駅から4分(2.0km)でやぐま台駅に着きました。豊橋市から田原市に入りました。やぐま台駅も1面1線の単式ホームです。
豊島(としま)駅に着きました。やぐま台駅から1.6km。3分ぐらいかかりました。1面1線の単式ホームです。なお、高師駅から豊島駅の間は、渥美線の中で最も早く開業した区間でした。
豊島駅のホームにある待合室の内部です。ベンチが並んでいます。ここは無人駅でした。
ベンチの脇にあった乗車駅証明書の発行機です。ICの改札機に並んで設置されています。
新豊橋駅に帰るときにボタンを押して発行してもらった乗車駅証明書です。IC乗車券を持っていない乗客は、車内で車掌さんから切符を発行してもらうことになっています。
これは、車掌さんに発行していただいた切符です。紙製の2枚綴りにパチンパチンと穴を開ける懐かしい切符です。28日、老津・豊島間、170円とパンチが入っています。
豊島駅にあった「サイクルトレイン」の案内です。土・日曜日だけに限定されていますが、渥美線は100円を支払って、自転車を車内に持ち込むことができる電車になっています。
これは、三河田原駅から新豊橋駅に向かって引き返すときに見た、車内に持ち込んだ自転車です。このときのサイクルトレインの利用者は2人の女子児童で、100円の自転車用の乗車券を持っていました。
豊島駅の三河田原行きのホームにあった標識です。制限速度は時速60kmのようです。
次の神戸(かんべ)駅です。見慣れた待合室がありました。豊島駅から、3分(1.5km)で着きました。
終点の三河田原駅です。神戸駅から2分(0.9km)でした。ターミナル駅らしく線路も5本並んでいました。しかし、見ていると左側の2線が主に使われていることがわかりました。
新豊橋駅から35分、18kmのところにありました。ホームの端にあった車止めです。その先が改札口です。
改札口を出た駅舎内から見たホームです。
モダンな三河田原駅舎です。三河田原駅周辺整備事業として、平成25(2013)年10月に竣工しました。渥美線カラフルトレインもその事業の一環として行われました。
駅舎の内部です。待合室の機能だけでなく、出会いや語らいの場としての機能も持っているようです。
渥美線カラフルトレインにふさわしく、菜の花の写真や鉢植えの花が飾られているきれいな駅舎でした。穏やかな癒しの空間になっています。
渥美線は、大正13(1924)年の高師駅・三河田原駅間が渥美鉄道によって開業しました。2年後の大正15(1926)年には三河田原駅の先の黒川原駅間2.8kmが延伸、昭和2(1927)年には新豊橋駅まで延伸し全線が開通しました。その後、名古屋鉄道の所有を経て豊橋鉄道に譲渡されました。一方で、昭和29(1954)年に三河田原駅・黒川原駅間(昭和19=1944年から休止中でした)が廃止されました。豊橋鉄道は今年で開業90周年を迎えてました。渥美線カラフルトレインと呼ばれる花のラッピングがされた楽しい電車になっています。現在も、毎日15分ごとに運行され、年間運賃収入1,157百万円を得ている(2011年)路線でした。
車掌さんが発行される、パンチで穴を開ける車内切符に魅了された旅でした。