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トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

加西市北条町の町並みを歩く(1)

2018年10月29日 | 日記

加西市北条町にある北条鉄道の北条町(ほうじょうまち)駅です。北条鉄道は加西市や兵庫県が出資する第三セクター鉄道、旧国鉄北条線を引き継ぎました。JR加古川線の粟生(あお)駅と北条町駅を結んでいます。

北条町の町並みです。旧街道沿いにかつての雰囲気を伝える家並みが続いています。この日は、北条町の町並みを歩くことにしていました。

JR加古川線粟生駅に停車していた北条鉄道のディーゼルカー、フラワ2000-3号車です。国鉄北条線の時代には、加古川駅まで直通する列車も運行されていましたが、昭和60(1985)年に第三セクターに移管されたときに線路が断絶されました。現在は、粟生駅と北条町駅の間を往復運転しています。グリーンの車両フラワ2000-3号車は平成20(2008)年に廃止された三木鉄道からの転籍車両で、平成21(2009)年4月5日から北条鉄道での営業運転が始まっています。平成11(1999)年富士重工宇都宮工場で製作された車両です。

北条鉄道には以前乗車したことがあります(「登録有形文化財の駅が並ぶ三セク鉄道、北条鉄道に乗る」2016年4月30日の日記)。粟生駅から13.6km、列車は、田園地域を20分ぐらい走って北条町駅に着きました。ホームの先には生涯学習施設の”アスティアかさい”が見えます。

北条町の一角にあった観光案内の掲示です。北条町の伝統的な町並みは、大年神社から、酒見寺(さがみじ)住吉神社に到る街道沿いの北条の宿(しゅく)と呼ばれる地域、大信寺、西岸寺などが並ぶ地域、そして、横尾街道沿いの地域に広がっています。まずは、北条の宿に向かうことにしました。北条の町は、戦国時代には戦乱の影響で荒廃していましたが、江戸時代初期に家数も増加し復興が進みました。

北条町駅でパンフをいただき、アスティアかさいとの間の道を進みます。写真の右方向に向かって歩きます。駅舎に隣接したセブンイレブンの交差点を右折します。

右折しました。右側に見えるビルは建設中の宿泊施設です。その向かい(左側)に三井住友銀行があります。

三井住友銀行の手前を左折します。この通りを進むと、酒見寺や住吉神社に向かうことができます。北条の町は、江戸時代を通して、酒見寺や住吉神社(当時は酒見神社)の門前町として繁栄しました。また、丹波・丹後・但馬方面を結ぶ街道の宿場町としても賑わいました。特に、延享4(1747)年、”徳川御三卿”の田安家領になってからは、陣屋をこの地に設けたため、地域経済の中心地である在郷町として発展していきました。

通りに入ってすぐ左側に大年(歳)神社があります。

大年神社の境内にあった屋台蔵。祭礼のときの山車、南町屋台を保管しています。

駅でいただいたパンフにあった観光ルートです。北条町の伝統的な町並みは3つの地域に残っています。「商家の家並み」と「寺町通り」と横尾街道沿いにある「旧家の家並み」です。「商家の家並み」と書かれたルートを進んでいます。この通りは、南町(みなみちょう)、御旅町(おたびちょう)、御幸町(ごこうまち)を経て宮前に向かうルートです。さらに、その先にある辻川で美作国津山に向かう街道と分かれて、生野・豊岡方面に向かった、かつての但馬街道を歩くルートです。

その先、右側の建物にあった袖卯建(そでうだつ)です。「南町」の標識がその前にあります。いただいたパンフには「卯建とは、建物の両側に「卯」の字形に張り出した小屋根付きの袖壁のこと。装飾と防火を兼ね備え富の象徴的なものになっています」と書かれています。このようなモダンな卯建は、北条町では、この先の御旅町にあるものとの2つだけなのだそうです。

切妻造りの厨子2階建て、白い漆喰塗り、壁に虫籠窓がついている格子づくりの商家の建物が続いています。

その先で御旅町になります。敷石が置かれた舗道を進みます。商店街だったところですが、住宅地という雰囲気を感じる通りに変わっていました。

切妻造り、厨子2階建て、平入りの商家が点在しています。虫籠窓が見事です。

御幸町に入りました。この先、右側に商家の看板が並ぶ通りになります。

お茶を扱っておられた梅六園の建物です。正面の木製の看板から歴史あるお店という雰囲気を感じることができます。

かつての雰囲気を残す「大福味噌 大黒屋」の建物です。木製の看板が魅力的です。「味噌 糀(こうじ) はかり」と書かれている看板が架かっています。 

泉生山酒見寺(さがみじ)の楼門です。酒見寺は行基の開山と伝えられる真言宗の寺院。戦国時代に焼失して、寛永19(1642)年に再興された寺院です。楼門は、棟札から、文政8(1825)年に建立されたものとされており、棟梁は近くの宇仁郷、神田左衛門であったといわれています。入母屋造り、本瓦葺き、上層の周囲に縁を巡らせています。

21対の飾り灯籠が並ぶ参道の先に、酒見寺の本堂があります。

昭和50(1975)年に、国の重要文化財に指定されている多宝塔です。天正年間(1573-1591年)に焼失しましたが、寛文2(1662)年に再建されました。相輪にある刻銘や上層の柱の墨書が残っているそうです。上層は檜皮葺き、下層瓦葺き、塔内には大日如来像を安置しており、全国で最も美しい多宝塔だといわれています。

その隣にあった住吉神社です。鳥居の間から拝殿が見えます。養老元(717)年に祖神と住吉四神を祀ったことに始まるといわれています。明治42(1909)年に大歳神と八幡宮が合祠され、現在は、酒見神、住吉四神、大歳神と八幡宮が祀られているそうです。

本殿です。嘉永4(1851)年に再建された三殿です。手前から西本殿、中本殿、東本殿です。住吉神社の裏側から撮影しました。

住吉神社の鳥居まで戻ります。表の玉垣の上に五百羅漢の看板がありました。ここで右折して進みます。やがて、左側に中学校、右側に小学校に挟まれた道を進むようになります。小学校の裏に五百羅漢がありました。お世話をされている方に200円を払って入場しました。

「親が見たけりゃ 北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と古くから歌われた五百羅漢です。高室石(たかむろいし・凝灰岩)を加工した羅漢の立像など、459体の石像が、17世紀前半の酒見寺の再興に合わせて祀られています。大分県の耶馬(やば)溪、山梨県の吉沢の羅漢と並び、全国に知られています。

この後は、寺町を歩こうと思いました。羅漢の裏で右折して、羅漢とその裏にあった”北条ならの実こども園”との間の道を進み、小学校の敷地に沿って進みます。その先に「江ノ木町(ごのきちょう)」の看板がありました。

看板のあるところから、”すぱーくかさい”(加西市立スポーツ施設屋内ゲートボール場)に沿って、右方向に進みます。正面入口前に着きます。

”すぱーくかさい”の正面から見た風景です。ここで、左折してこの通りを歩きます。やがて左側に磯部神社と境内にある江ノ木公会堂が見えます。

磯部神社の脇を道なりにすすむと左側に「「ファッション系デポ マリーナ」の看板が見えます。その手前を左折して進みます。
やがて、左側にある大信寺に沿って歩くようになります。

山門の下から撮影た浄土宗寺院の安養山大信寺の本堂です。登録有形文化財に登録されています。

大信寺の前を右折しました。大信寺に隣接した酒相山西岸寺です。真宗大谷派の寺院です。前に「住屋町(すみやちょう)」の看板があります。西岸寺の前を進みます。

その先に「栄町」の看板がありました。ここを右折して10メートルぐらい進むと、隆栄山妙典寺への入口があります。

妙典寺への参道です。

法華宗の寺院、妙典寺の本堂です。

ここまで、旧但馬街道沿いの「商家の家並み」と「寺町通り」の二つの家並みを歩いてきました。次回は、ここから、パンフレットにあった「旧家の家並み」を歩くことにしました。







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