高梁川と国道180号線に沿って中国山地を横断し、
岡山県倉敷駅と鳥取県伯耆大山駅を結ぶJR伯備線。
看板列車として、特急”やくも”と、
出雲市と東京とを結ぶ寝台特急”サンライズ出雲”が走っています。
津山線・因美線に、芸備線・木次線、山口線と美祢線、
中国地方にいくつかある「陰陽連絡線」の中では、唯一の幹線です。
JR伯備線は、北からと南からの双方から工事が行われました。
伯耆大山駅と足立駅間は大正15(1926年)年に開通し、
倉敷駅から備中川面駅間が開通したのは昭和2(1927)年でした。
そして、全線が開通したのは昭和3(1928)年のことでした。
電化工事は昭和57(1982)年に完成し、電車特急の”やくも”が誕生しました。
昭和58(1983)年、井倉駅と石蟹駅間で複線化工事が完成して、
現在では、倉敷駅・高梁駅間とともに、複線化区間となっています。
JR備中川面駅。JR方谷駅から4分余りで着きます。
昭和2(1927)年開業で、一日の乗車人員102名という無人駅。
近くで目につくのは、高梁市立高梁北中学校の校舎です。
さらに、4分余、駅に着く手前から、
ホームにのしかかるように桜が咲いているのが見えました。
駅の、国道180号線に面した側は、桜並木になっています。
隠れた桜の名所でした。春は桜ですね。気持ちが明るくなりました。
JR木野山駅です。
一日の乗車人員67人という無人駅。
ここから10分程度のところには、
岡山県下の各地にある「きのやまさん」や「木野山様」の本家、
木野山神社が鎮座しています。
天暦9(955)年、村上天皇の時代に創建されたもので、
大山祇尊、豊玉姫命、大己貴尊が祀られています。
五穀豊穣、疫病退散に御利益があるということで、
明治初年に県下にコレラが大流行したとき、各地に勧請されました。
実は、この神社は、かつては徒歩で1時間かかる木野山の山頂にありました。
伯備線の開通とともに、現在の地におりてきたといわれています。
この神社も、伯備線と関係があったのですね。
満開の桜の下を歩いてお詣りしました。
私の家の近くにも「木野山様」が勧請されており、
今も、近隣住民の深い信仰を集めています。
ふっと、ふるさとを思い出しました。
JR木野山駅から5分で、JR備中高梁駅に着きます。
大正15(1926)年に開業した駅で、ここから南は複線区間になります。
一日の乗車人員2309人、特急やくもの停車駅です。
また、岡山方面からはここまでICOCAが使えます。
駅に隣接して、県の中北部に路線をもつ備北バスのバスセンターがありました。
ここ高梁市は、備中松山藩5万石の城下町、
幕末に老中として幕府を支えた板倉勝浄、
そして漢学者山田方谷の活躍で知られています。
日本城郭協会から「三大山城」として知られる備中松山城とともに、
岡山県から「石火矢ふるさと村」に指定されている武家屋敷町が残っていて、
城下町時代の面影を今に伝えています。
駅前に二軒の食堂が隣り合ってありました。
「なりわ屋」と「かわかみ屋」です。
高梁市で高梁川と合流する、
成羽川の流域にあった旧川上郡成羽町と川上町(いずれも現在は高梁市)は、
今もライバルのように感じるのですが、それを象徴している光景です。
(「あくまで私の個人の感想です」)
現在は、学校法人加計学園の吉備国際大学、同短期大学、
順正高等看護専門学校を中心とした学園文化都市づくりを進めています。
駅前には、「祝ご入学、ようこそ高梁へ」の、
商工会議所やまちづくり協議会などがつくったメッセージが
掲げられていました。
大学の町、映画のロケ地の町としても売り出しています。
岡山県倉敷駅と鳥取県伯耆大山駅を結ぶJR伯備線。
看板列車として、特急”やくも”と、
出雲市と東京とを結ぶ寝台特急”サンライズ出雲”が走っています。
津山線・因美線に、芸備線・木次線、山口線と美祢線、
中国地方にいくつかある「陰陽連絡線」の中では、唯一の幹線です。
JR伯備線は、北からと南からの双方から工事が行われました。
伯耆大山駅と足立駅間は大正15(1926年)年に開通し、
倉敷駅から備中川面駅間が開通したのは昭和2(1927)年でした。
そして、全線が開通したのは昭和3(1928)年のことでした。
電化工事は昭和57(1982)年に完成し、電車特急の”やくも”が誕生しました。
昭和58(1983)年、井倉駅と石蟹駅間で複線化工事が完成して、
現在では、倉敷駅・高梁駅間とともに、複線化区間となっています。
JR備中川面駅。JR方谷駅から4分余りで着きます。
昭和2(1927)年開業で、一日の乗車人員102名という無人駅。
近くで目につくのは、高梁市立高梁北中学校の校舎です。
さらに、4分余、駅に着く手前から、
ホームにのしかかるように桜が咲いているのが見えました。
駅の、国道180号線に面した側は、桜並木になっています。
隠れた桜の名所でした。春は桜ですね。気持ちが明るくなりました。
JR木野山駅です。
一日の乗車人員67人という無人駅。
ここから10分程度のところには、
岡山県下の各地にある「きのやまさん」や「木野山様」の本家、
木野山神社が鎮座しています。
天暦9(955)年、村上天皇の時代に創建されたもので、
大山祇尊、豊玉姫命、大己貴尊が祀られています。
五穀豊穣、疫病退散に御利益があるということで、
明治初年に県下にコレラが大流行したとき、各地に勧請されました。
実は、この神社は、かつては徒歩で1時間かかる木野山の山頂にありました。
伯備線の開通とともに、現在の地におりてきたといわれています。
この神社も、伯備線と関係があったのですね。
満開の桜の下を歩いてお詣りしました。
私の家の近くにも「木野山様」が勧請されており、
今も、近隣住民の深い信仰を集めています。
ふっと、ふるさとを思い出しました。
JR木野山駅から5分で、JR備中高梁駅に着きます。
大正15(1926)年に開業した駅で、ここから南は複線区間になります。
一日の乗車人員2309人、特急やくもの停車駅です。
また、岡山方面からはここまでICOCAが使えます。
駅に隣接して、県の中北部に路線をもつ備北バスのバスセンターがありました。
ここ高梁市は、備中松山藩5万石の城下町、
幕末に老中として幕府を支えた板倉勝浄、
そして漢学者山田方谷の活躍で知られています。
日本城郭協会から「三大山城」として知られる備中松山城とともに、
岡山県から「石火矢ふるさと村」に指定されている武家屋敷町が残っていて、
城下町時代の面影を今に伝えています。
駅前に二軒の食堂が隣り合ってありました。
「なりわ屋」と「かわかみ屋」です。
高梁市で高梁川と合流する、
成羽川の流域にあった旧川上郡成羽町と川上町(いずれも現在は高梁市)は、
今もライバルのように感じるのですが、それを象徴している光景です。
(「あくまで私の個人の感想です」)
現在は、学校法人加計学園の吉備国際大学、同短期大学、
順正高等看護専門学校を中心とした学園文化都市づくりを進めています。
駅前には、「祝ご入学、ようこそ高梁へ」の、
商工会議所やまちづくり協議会などがつくったメッセージが
掲げられていました。
大学の町、映画のロケ地の町としても売り出しています。
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