トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

JR芸備線の駅らしくないJR東城駅

2017年05月26日 | 日記
岡山市西北部の山間の駅JR備中神代(びっちゅうこうじろ)駅から広島県のJR備後落合駅を経由してJR三次駅にいたるJR芸備線。実際の運行は、JR新見駅からJR備後落合駅、備後落合駅からJR三次駅、三次駅からJR広島駅までの間で、区間運転が行われています。新見駅から備後落合駅まで行く列車は1日3本という超過疎路線であり、広島県に入ってからは、利用者のきわめて少ない、”秘境駅”の雰囲気を感じる駅が続きます。

私にとって、芸備線は乗って見たくなる鉄道です。これまで、備後八幡駅(「帝国製鉄のトロッコ線があった駅、JR備後八幡駅」2017年5月13日の日記)、小奴可駅(「1日平均乗車人員1名!JR小奴可駅」2017年2月24日の日記)、備後落合駅(「滞在時間12分、”秘境駅”JR備後落合駅」2016年2月24日の日記)、道後山駅(「JR芸備線の”秘境駅”道後山駅」2016年8月27日の日記)、内名駅(「1日3往復の”秘境駅”JR芸備線内名駅」2014年7月7日の日記)を訪ねてきました。この日は東城駅を訪ねることにして、起点の新見駅に向かいました。今回も、13時01分に出発する列車に乗車しました。備後落合駅行きのワンマン運転の単行気動車、キハ120328号車です。

JR伯備線を北に向かいます。二つ目の備中神代駅から芸備線に入りました。写真の左側は伯備線です。車内には鉄道ファンと思われる方が多数乗車されており、座席も7割程度が埋まっていました。

周辺には、中国山地の集落や田植えを終えたばかりの田んぼが広がっています。

新見駅から約30分、岡山県側の県境の駅、野馳(のち)駅に着きました。改札口の設備がそのまま残っていました。

大竹山トンネルを越えて、広島県に入りました。広島県に入って最初の駅が東城駅です。中国山地の村は、昔からたたら製鉄がさかんなところでした。鉄穴(かんな)流しによって集められた砂鉄を原料に、豊富な木材を燃料にしてつくられた銑鉄(せんてつ)は、馬の背や舟によって運ばれ東城に向かいました。そこからさらに、主に高瀬舟によって成羽に。そこから倉敷まで運ばれていました。東城は鉄の集散地として、江戸時代の最盛期には、たくさんの鉄問屋が軒を連ねていたといわれています。このように、東城は、中国山地の商業・交通の中心地として繁栄していたところです。

野馳駅から6分ほどで、めざすJR東城駅に着きました。下車したのは、地元の方と思われる女性と私の2人だけでした。東城駅の1日当たりの平均乗車人員は9人とのこと。ちなみに、備後落合駅までの広島県内の芸備線の各駅の平均乗車人員は、備後八幡駅0人(1人未満)、内名駅1人 小奴可駅1人、道後山駅0人(1人未満)、備後落合駅15人になっているそうです(データはいずれも2014年)。乗車してきた列車は、すぐに、次の備後八幡駅に向かって出発していきました。

駅名標です。東城駅は野馳駅から5.2km、次の備後八幡駅まで6.5kmのところ、広島県庄原市東城町にあります。東城の町は、関ヶ原の戦いの後、広島藩主となった福島正則の家老、長尾隼人正一勝によって、陣屋町として整備されました。その後、福島氏は改易となり、浅野氏が広島藩主に替わりますが、東城には、家老の浅野孫左衛門高英が配置されることになりました。こうして、明治維新まで浅野氏がこの地を治めました。戦国時代、五品嶽城(ごほんがたけじょう)の城下町として栄えたこともあって、東城は城下町の面影を残した町として知られています。

備後八幡駅方面です。写真からは見えませんが、線路の左側には工場があり、広々とした印象でした。2面2線のホームが広がっています。実際には、向こう側のホームには行くことができません。山の斜面には造成された墓地もあり、都市の雰囲気を感じる駅です。これまで訪ねてきた「芸備線の駅」とは違った空気を感じていました。

こちらは、岡山県側の風景です。跨線橋で、向こうのホームに渡る構造になっています。遠くの山々が見えました。東城駅は、芸備線の前身の三神線が東城駅まで開通した、昭和5(1930)年に開業しました。そして、5年後の昭和10(1935)年に小奴可駅まで延伸するまで、終着駅になっていました。

ホームを跨線橋に向かって歩きます。跨線橋の入口は塞がれていました。「老朽化のため、上らないでください」と書かれていました。ということは、2面2線のホームで、線路はつながっていて信号も作動していますが、実際に使用されているのは、駅舎に近い方の線路(2番線)だけ、1面1線のホームということになります。

跨線橋の登り口のところからホームを撮影しました。駅舎の白い壁が印象的です。清潔でモダンな雰囲気を演出しています。しかし、これまで
訪ねた駅より、数段新しい駅舎です。ホームの柱に貼られていた「塗装管理標」には「平成9年1月」と記載されていましたので、このとき、リニューアルのため塗り直されたのでしょう。

改札口です。これもリニューアルされていました。駅スタッフによる改札のときに使用されるようですね。無人駅になっていましたが、平成16(2004)年から簡易委託駅としてキップの販売だけが復活しています。これからも、スタッフがここに立つことはないのでしょう。

正面から見た東城駅舎です。入口から入って右側は待合いのスペース。左側は駅事務所になっています。

外から見た駅舎の東側です。トイレが設置されています。トイレもリニューアルされていました。

駅舎への入口から駅舎内を撮影しました。赤い自動販売機の奥の柱に貼ってある方形の白い部分は、「建物財産標」です。

「昭和5年11月」と記載されています。三神線が東城駅まで延伸したときに建設されたことを表しています。

駅舎内の左側にあった駅の窓口です。この時間、受託者側のスタッフはおられませんでした。

改札口に隣接した待合室です。

待合室にあった時刻表です。この先、備後落合駅に向かう列車が3本、新見駅方面には6本の列車の発車時間が書かれています。東城駅で折り返す列車が3本あるからです。新見方面行きの始発列車は5時22分、備後落合駅行きの始発列車が5時46分。最終列車の備後落合駅行き19時03分発、新見駅行きが21時00分発になっています。始発の新見駅行きは折り返し運行ではなく、前日の22時21分に到着する列車が夜間滞泊して、翌朝の5時22分に出発するダイヤになっています。

運賃表です。岡山駅まで1,940円。この日は、1,950円で購入したJR岡山支社管内の乗り放題キップである「吉備之国 くまなく おでかけパス」でここまでやって来ました。ほぼ片道の運賃で往復できる「お得なキップ」になっています。

駅舎内にあった備北交通の時刻表です。これによると、広島市まで2時間半ぐらいで行くことができます。ここから、13時37分発の列車で行くと、備後落合駅に14時25分に着きます。そこから、三次駅行きの14時38分発の列車で三次駅着16時00分。16時03分発の広島駅行き快速”みよしライナー”に乗り継いで、広島駅着は、17時29分です。ざっと3時間程度かかります。

東城駅前にある備北交通の車庫です。中型バスが1台休憩していました。

16時50分、新見駅からきた列車が到着しました。この列車は、東城駅で折り返して新見駅に帰る列車になります。駅舎寄りのホームに入線しています。この列車は、この後17時09分に出発し、17時44分に新見駅に到着することになっています。

新見駅から備後落合駅に向かう芸備線は、1日3本しかない超過疎路線です。かつて、備後落合駅を訪ねたときには、次の列車までは5時間35分のインターバルがありましたので、滞在時間12分で、折り返し列車で引き返したことがありました。秘境駅の雰囲気を強く残す、備後落合までの駅の中で、唯一訪ねていなかった東城駅を、この日訪ねてきました。駅舎はモダンで整備が行き届いており新しい駅といってもいいぐらいでした。東城の町は、江戸時代に陣屋町として栄えた、この地域の中心都市です。そういった歴史が駅舎にも影響したのでしょうか。超過疎路線には不釣り合いなぐらい洗練されたモダンな駅でした。












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