送られて来たバスツアーのパンフレットの中に、「清流に抱かれて 国指定重要文化財 魚梁瀬森林鉄道遺産を巡る」という、企画を見つけました。
魚梁瀬(やなせ)は、ゆずをつかった製品や地元の人が出演したTVコマーシャルで知られている、高知県馬路村の北部にあります。
「日本三大美林」(諸説がある)の一つである魚梁瀬杉の運搬のために建設された魚梁瀬森林鉄道が、馬路村魚梁瀬地区の丸山公園に復元されています。
この地図は、「なはり浦の会」が作成された「登録有形文化財のある町」に掲載されていたものですが、魚梁瀬森林鉄道は、安田川沿いと奈半利(なはり)川沿いに敷設された幹線と、多くの支線とで成り立っていました。
魚梁瀬森林鉄道は明治44(1911)年に、田野ー馬路間23.4kmが完成しました。魚梁瀬まで延伸されたのが、大正4(1915)年。大正8(1919)年にはさらに延伸し、田野ー石仙(こくせん)間が開通しました。一方、奈半利川沿う鉄道は、昭和17(1942)年に奈半利ー釈迦ヶ生(しゃかがうえ)間と支線も開通し、高知県内最大の森林鉄道の全線が完成したのでした。
この日は、奈半利から奈半利川沿いに上流の魚梁瀬に向かい、帰りは、馬路から安田川沿いに下っていくコースでした。途中で、沿線に残る鉄道遺産(平成21=2009年、国の重要文化財指定)を見学し、魚梁瀬の丸山公園で復元されている魚梁瀬森林鉄道に体験乗車することになっていました。
奈半利から、地元馬路村にお住まいの方がバスに乗車されて、ガイドをしてくださいました。
最初に、見学したのは小島(こしま)橋。馬路村の下流にある人口1500人の北川村にあります。本降りになった雨の中での見学です。昭和7(1932)年に建設された鋼鉄製のトラス橋で、幅7m、長さ143m。魚梁瀬森林鉄道では最長の橋でした。
いまでは、舗装されていて軽トラックも走っているそうですが、かつては線路の下に、奈半利川の水面が見えていたそうです。この橋の上流が、「24時間の降水量が830ミリ」という日本記録をつくったときの大災害の現場です。
次に、下車して見学したのが、同じ北川村にある二股(ふたまた)橋。昭和15(1940)年に建設された無筋コンクリート造りの2連アーチ橋です。板の枠をつくり、その中にコンクリートを流し込んでつくったそうです。「二股」の名の通り、ここは2つの川が合流するところです。見えている川は支流で、橋の向こう側を橋に平行して流れる方の川が、本流の奈半利川だそうです。幅3,5m、長さ46, 5mです。橋げたには、天地1尺(約30cm)の割石が積み上げられています。「石に水を加えながら鑿(のみ)を入れていく、最後はその中に黒色火薬を入れて、ふたをして、導火線で爆発させて割ったのです」。「石の数を数えれば、橋げたの高さがわかりますよ」と、ガイドさん。
バスは、やがて、安田川をさかのぼってきた道と合流しました。さらに進むと、東川が合流する東川口を越えます。魚梁瀬ダムの展望台に着きました。完成は、昭和45(1970)年でした。これは、魚梁瀬の人々の生活を大きく変えるできごとでした。魚梁瀬の人々は、ふるさとの村がダムの水底に沈んでしまったため、現在の居住地である(そして、復元された森林鉄道も走っている)、高台の丸山地区に移転することになりました。また、モータリゼーションの発達により、県道の拡幅工事も完成し、魚梁瀬杉の運搬もトラック輸送にシフトするようになっていました。一つの時代が終わる象徴のようなダムの完成でした。
すでに、昭和33(1958)年、魚梁瀬森林鉄道は、長山ー二股間の軌道の撤去が始まり、昭和39(1964)年には、全線が廃止になってしまっていたのです。
ガイドさんは、若い日、ダムの上にステージをつくり、有名歌手のコンサートを開き、多くの村人を動員したことを、なつかしそうに語っておられました。
昼過ぎに、魚梁瀬の丸山公園着。馬路村の人口約1000人のうち、200人が住んでいます。小、中学校も公園のすぐ近くにありました。さすが、魚梁瀬と思わせるハイセンスな木造の公園の駅舎。記念の写真や復元された展示物がたくさんあり、見ていて楽しい駅舎です。
まずは、昼食です。馬路温泉駅前弁当です。曲げワッパ風の丸い弁当箱。見た目は地味な印象ですが、味もボリュームもなかなかでした。かつて、TVの弁当番組に出演したとき、まったく売れなくて、支配人が悔し涙にくれたということもあったそうです。
この方が復元された森林鉄道の運転手さん。平成元(1989)年、魚梁瀬森林鉄道を語る会が設立され、平成2,3(1990~1991)年ごろ、レールを敷設して走らせたいうことです。復元、保存活動に熱心に取り組んで来られた方です。地元の温泉旅館の方だそうです。
森林鉄道は、丸山公園の軌道を2周します。乗車券は杉の板でできていて400円です。回収されないので記念にもって帰ることができます。
手動のポイント切り替えで、軌間は762ミリの狭軌鉄道です。
この写真は、駅舎に掲示されているものを撮影したものです。お話によれば、廃線後、野村工作所(高知市)のディーゼル機関車(以下DL)、L69型チューン式DLが保存されていましたが、重さが約4トン半あり、「重いため線路の負担になる」ということで、通常は、重さ3トンの垣内鉄工所で復元した、青い塗装の谷村式サンドロッドDLが牽引しているそうです。
これが、谷村式DLです。運転手さん以外、誰も乗車していませんが、体験運転をしているところです。体験運転は、1回、1000円で、公園内の軌道を2周させることができます。時速15kmのゆったりとしたスピードで、警笛を盛んに鳴らしながら走っていました。ちなみに、現役時代の森林鉄道のスピードは時速20~30kmだったということです。木造客車の前に、トロッコ風の2両が連結されていて、それには、パイプいすが4脚ずつおかれていました。体験乗車の時には、幸い雨があがり日差しもありましたので、快適な乗り心地でした。
機関区前を通過する森林鉄道です。乗車して公園内を回っているとき、この機関区の中に野村式DLがいるのが見えました。
これは、駅舎の展示品です。かつて、掲示されていたものを復元したそうです。杉材の輸送が中心の鉄道らしく、「乗るのなら乗せてあげてもいいよ」という雰囲気を感じますね。
写真が展示されていました。当時の運賃表です。
時間が少なくて、お弁当を食べ終わったら、すぐに集合時間が来ました。残念ながら、ほとんど見学することなく出発になりました。
バス旅行では、必ず寄り道していくお土産屋さん訪問。馬路村のふるさとセンターです。馬路橋のたもとにあり、おなじみのキャラクターが迎えてくれました。
ゆず製品が中心ですね、やはり。 中にいたおばあさんのお人形が気に入りました。
これらの製品は、ふるさとセンターの川向かいにある、加工工場でつくられ、手前の発送センターから出荷されています。
馬路村を抜けて安田川沿いに走り、安田町に入ります。最後の、下車しての見学。国指定重要文化財の鉄道遺産、明神口橋です。木造橋を、昭和4(1929)年に鉄製のトラス橋に改造したもの。下はグレーティング構造になっており、川面が見えています。「祖谷のかずら橋みたい」という声も出ていましたが、怖さは全然違い快適でした。2トン以上の車両は通行止めとのこと。この橋を渡ると、すぐトンネルに入ります。トンネルの手前の部分は、「文化財に指定されるとは思っていなかったので」トンネルの内部が改造されていました。
オオムカエ隧道。 長さ37,6m。 明治44(1911)年建造です。この写真は、トンネルを反対側に抜けて、ふり返ったところです。砂岩の切石の石積みで、せり石をアーチ型に積み上げて、最後に上部中央のかなめ石を落としたつくりです。側壁の部分は、強度を増すため、城郭の石垣によくある、いわゆる算木積みになっていました。緑の服のガイドさんの右の側壁の石の表面に「Ⅲ」と彫られていました。これは下流から三つ目のトンネルを示しているそうです。
雨が降ったりやんだりの不安定なお天気でしたが、このような気候が杉の美林を育てるのに都合がよかったのでしょう。戦時色が強くなるにつれ、杉の美林はどんどん伐採されていきました。平成4(1992)年には、最盛期の10分の1になってしまったそうです。現在では、樹齢150~200年という天然林は、千本山(せんぼんやま)の保存林に残るだけになり、多くが人工林になったそうです。
平成元(1989)年ごろ、天然林の材木1本を、高知の木材市場で、試験的にセリに出したことがあったそうです。材木1本は4mに切った9玉、トータルで36mあったそうですが、セリでは、3500万円の値が出たそうです。元玉、1m50cm、梢(頂上)12cmという太さだったそうです。
高知では、裕福なお宅では、「官材」(かんざい)を使って普請をしたそうです。「官材」とは、国有林の樹齢、100~150年の天然木のこと。ガイドさんのお話で印象に残っていることを最後にまとめました。
魚梁瀬の天然林のすばらしさに感動しました。いい旅になりました。
魚梁瀬(やなせ)は、ゆずをつかった製品や地元の人が出演したTVコマーシャルで知られている、高知県馬路村の北部にあります。
「日本三大美林」(諸説がある)の一つである魚梁瀬杉の運搬のために建設された魚梁瀬森林鉄道が、馬路村魚梁瀬地区の丸山公園に復元されています。
この地図は、「なはり浦の会」が作成された「登録有形文化財のある町」に掲載されていたものですが、魚梁瀬森林鉄道は、安田川沿いと奈半利(なはり)川沿いに敷設された幹線と、多くの支線とで成り立っていました。
魚梁瀬森林鉄道は明治44(1911)年に、田野ー馬路間23.4kmが完成しました。魚梁瀬まで延伸されたのが、大正4(1915)年。大正8(1919)年にはさらに延伸し、田野ー石仙(こくせん)間が開通しました。一方、奈半利川沿う鉄道は、昭和17(1942)年に奈半利ー釈迦ヶ生(しゃかがうえ)間と支線も開通し、高知県内最大の森林鉄道の全線が完成したのでした。
この日は、奈半利から奈半利川沿いに上流の魚梁瀬に向かい、帰りは、馬路から安田川沿いに下っていくコースでした。途中で、沿線に残る鉄道遺産(平成21=2009年、国の重要文化財指定)を見学し、魚梁瀬の丸山公園で復元されている魚梁瀬森林鉄道に体験乗車することになっていました。
奈半利から、地元馬路村にお住まいの方がバスに乗車されて、ガイドをしてくださいました。
最初に、見学したのは小島(こしま)橋。馬路村の下流にある人口1500人の北川村にあります。本降りになった雨の中での見学です。昭和7(1932)年に建設された鋼鉄製のトラス橋で、幅7m、長さ143m。魚梁瀬森林鉄道では最長の橋でした。
いまでは、舗装されていて軽トラックも走っているそうですが、かつては線路の下に、奈半利川の水面が見えていたそうです。この橋の上流が、「24時間の降水量が830ミリ」という日本記録をつくったときの大災害の現場です。
次に、下車して見学したのが、同じ北川村にある二股(ふたまた)橋。昭和15(1940)年に建設された無筋コンクリート造りの2連アーチ橋です。板の枠をつくり、その中にコンクリートを流し込んでつくったそうです。「二股」の名の通り、ここは2つの川が合流するところです。見えている川は支流で、橋の向こう側を橋に平行して流れる方の川が、本流の奈半利川だそうです。幅3,5m、長さ46, 5mです。橋げたには、天地1尺(約30cm)の割石が積み上げられています。「石に水を加えながら鑿(のみ)を入れていく、最後はその中に黒色火薬を入れて、ふたをして、導火線で爆発させて割ったのです」。「石の数を数えれば、橋げたの高さがわかりますよ」と、ガイドさん。
バスは、やがて、安田川をさかのぼってきた道と合流しました。さらに進むと、東川が合流する東川口を越えます。魚梁瀬ダムの展望台に着きました。完成は、昭和45(1970)年でした。これは、魚梁瀬の人々の生活を大きく変えるできごとでした。魚梁瀬の人々は、ふるさとの村がダムの水底に沈んでしまったため、現在の居住地である(そして、復元された森林鉄道も走っている)、高台の丸山地区に移転することになりました。また、モータリゼーションの発達により、県道の拡幅工事も完成し、魚梁瀬杉の運搬もトラック輸送にシフトするようになっていました。一つの時代が終わる象徴のようなダムの完成でした。
すでに、昭和33(1958)年、魚梁瀬森林鉄道は、長山ー二股間の軌道の撤去が始まり、昭和39(1964)年には、全線が廃止になってしまっていたのです。
ガイドさんは、若い日、ダムの上にステージをつくり、有名歌手のコンサートを開き、多くの村人を動員したことを、なつかしそうに語っておられました。
昼過ぎに、魚梁瀬の丸山公園着。馬路村の人口約1000人のうち、200人が住んでいます。小、中学校も公園のすぐ近くにありました。さすが、魚梁瀬と思わせるハイセンスな木造の公園の駅舎。記念の写真や復元された展示物がたくさんあり、見ていて楽しい駅舎です。
まずは、昼食です。馬路温泉駅前弁当です。曲げワッパ風の丸い弁当箱。見た目は地味な印象ですが、味もボリュームもなかなかでした。かつて、TVの弁当番組に出演したとき、まったく売れなくて、支配人が悔し涙にくれたということもあったそうです。
この方が復元された森林鉄道の運転手さん。平成元(1989)年、魚梁瀬森林鉄道を語る会が設立され、平成2,3(1990~1991)年ごろ、レールを敷設して走らせたいうことです。復元、保存活動に熱心に取り組んで来られた方です。地元の温泉旅館の方だそうです。
森林鉄道は、丸山公園の軌道を2周します。乗車券は杉の板でできていて400円です。回収されないので記念にもって帰ることができます。
手動のポイント切り替えで、軌間は762ミリの狭軌鉄道です。
この写真は、駅舎に掲示されているものを撮影したものです。お話によれば、廃線後、野村工作所(高知市)のディーゼル機関車(以下DL)、L69型チューン式DLが保存されていましたが、重さが約4トン半あり、「重いため線路の負担になる」ということで、通常は、重さ3トンの垣内鉄工所で復元した、青い塗装の谷村式サンドロッドDLが牽引しているそうです。
これが、谷村式DLです。運転手さん以外、誰も乗車していませんが、体験運転をしているところです。体験運転は、1回、1000円で、公園内の軌道を2周させることができます。時速15kmのゆったりとしたスピードで、警笛を盛んに鳴らしながら走っていました。ちなみに、現役時代の森林鉄道のスピードは時速20~30kmだったということです。木造客車の前に、トロッコ風の2両が連結されていて、それには、パイプいすが4脚ずつおかれていました。体験乗車の時には、幸い雨があがり日差しもありましたので、快適な乗り心地でした。
機関区前を通過する森林鉄道です。乗車して公園内を回っているとき、この機関区の中に野村式DLがいるのが見えました。
これは、駅舎の展示品です。かつて、掲示されていたものを復元したそうです。杉材の輸送が中心の鉄道らしく、「乗るのなら乗せてあげてもいいよ」という雰囲気を感じますね。
写真が展示されていました。当時の運賃表です。
時間が少なくて、お弁当を食べ終わったら、すぐに集合時間が来ました。残念ながら、ほとんど見学することなく出発になりました。
バス旅行では、必ず寄り道していくお土産屋さん訪問。馬路村のふるさとセンターです。馬路橋のたもとにあり、おなじみのキャラクターが迎えてくれました。
ゆず製品が中心ですね、やはり。 中にいたおばあさんのお人形が気に入りました。
これらの製品は、ふるさとセンターの川向かいにある、加工工場でつくられ、手前の発送センターから出荷されています。
馬路村を抜けて安田川沿いに走り、安田町に入ります。最後の、下車しての見学。国指定重要文化財の鉄道遺産、明神口橋です。木造橋を、昭和4(1929)年に鉄製のトラス橋に改造したもの。下はグレーティング構造になっており、川面が見えています。「祖谷のかずら橋みたい」という声も出ていましたが、怖さは全然違い快適でした。2トン以上の車両は通行止めとのこと。この橋を渡ると、すぐトンネルに入ります。トンネルの手前の部分は、「文化財に指定されるとは思っていなかったので」トンネルの内部が改造されていました。
オオムカエ隧道。 長さ37,6m。 明治44(1911)年建造です。この写真は、トンネルを反対側に抜けて、ふり返ったところです。砂岩の切石の石積みで、せり石をアーチ型に積み上げて、最後に上部中央のかなめ石を落としたつくりです。側壁の部分は、強度を増すため、城郭の石垣によくある、いわゆる算木積みになっていました。緑の服のガイドさんの右の側壁の石の表面に「Ⅲ」と彫られていました。これは下流から三つ目のトンネルを示しているそうです。
雨が降ったりやんだりの不安定なお天気でしたが、このような気候が杉の美林を育てるのに都合がよかったのでしょう。戦時色が強くなるにつれ、杉の美林はどんどん伐採されていきました。平成4(1992)年には、最盛期の10分の1になってしまったそうです。現在では、樹齢150~200年という天然林は、千本山(せんぼんやま)の保存林に残るだけになり、多くが人工林になったそうです。
平成元(1989)年ごろ、天然林の材木1本を、高知の木材市場で、試験的にセリに出したことがあったそうです。材木1本は4mに切った9玉、トータルで36mあったそうですが、セリでは、3500万円の値が出たそうです。元玉、1m50cm、梢(頂上)12cmという太さだったそうです。
高知では、裕福なお宅では、「官材」(かんざい)を使って普請をしたそうです。「官材」とは、国有林の樹齢、100~150年の天然木のこと。ガイドさんのお話で印象に残っていることを最後にまとめました。
魚梁瀬の天然林のすばらしさに感動しました。いい旅になりました。