トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

売られたお城  中津城

2010年10月06日 | 日記
小倉駅から日豊本線の特急ソニックで30分余り走ったところにある、大分県中津市

中津駅に着くと、駅前広場に建てられている、
和服姿の福沢諭吉の大きな像が迎えてくれます
慶応義塾の創立者として知られる福沢諭吉は、この町の出身です

私がこの町を訪ねたのは、水をたたえた堀に美しい姿を映している、
中津城を見たかったからです
昭和34(1954)年に、本丸跡に建てられた、
五重の天守閣と二重櫓が残っています


実は、この城は売りに出されていたのです
これまで、この城は、享保2(1717)年中津藩主として入城した、
奥平昌成の子孫の方の団体が所有していました
ニュースでは、中津市からの補助金が年間40万円であるのに対し、
年間の城の維持管理費が1000万円も必要で、
入場料収入だけでは立ちゆかなくなってしまったからだといわれていました

幸い、買い手が見つかり、これからも今の姿で残ることになって、
胸をなでおろしているところです

中津城は、天正16(1588)年、豊臣秀吉の家臣、
黒田孝高(如水)が中津城の修復を始め、
筑前に移封された後は、細川忠興(三斎)が引き継ぎ、
慶長12(1607)年に完成させたものです
上の右の写真の石垣がそれを物語っており、右側が黒田氏のつくった石垣、
左側が細川氏のつくった石垣で、
それぞれが功を競っているようです 
草がおおっていて、ちょっと見にくいのですが・・・

実は、細川氏は慶長2(1602)年に小倉城に移っていて、
家督を子の忠利にゆずった後に、中津城が完成したのです
すでに一国一城令が出ていたのですが、認められたようです

明治維新まで治めた奥平氏は、長篠の戦いのとき、
長篠城にたてこもって武田勝頼と戦った奥平信昌の子孫でした

中津の城下町は元和元(1620)年に完成しました

中津市は、現在まで、
城下町の姿をよくとどめていることで知られています

写真は、駅から近いところにある寺町です 
掃除がきれいに行き届いていて清潔感にあふれています
赤く見えるのは合元寺で、赤壁寺ともいわれています 
見とれてしまいそうな美しい姿です

武家屋敷跡も残っていますし、町屋も、
城下町の面影を残しています
右の写真は、むろや醤油の館です

白壁の立派な土蔵が残されています

また、福沢諭吉の旧宅も、往事の姿で保存されています

旧宅前の駐車場に面したレストラン、
諭吉先生らしいお姿です
駅前の商店街、まだまだ元気いっぱい、
市民のエネルギーを感じました

中津市は、駅の反対側は開発が進んでいますが、
城のある側は、城下町の雰囲気を残した町づくりが進められています
町を歩いていると、
「あなたは町づくりの関係の方ですか」と声をかけられたり、
市民の町づくりにかける熱意を強く感じました

そういう意味でも、
中津城がこれからも維持されていくことができて、
ほんとうによかったと思っています

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