トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

予讃線の天井川トンネル、大明神川トンネルを訪ねる

2016年07月24日 | 日記

長年気になっていた大王製紙の専用線を見た日(2016年7月15日の日記)、JR伊予三島駅から松山方面に向かう普通列車に乗りました。めざす駅はJR伊予三芳駅。伊予三芳駅が開業したのは、予讃線が伊予桜井駅まで開業した、大正12(1923)年のことでした。

伊予三島駅から、1時間15分。列車の前方に、このところ見慣れた光景が見えてきました。今治小松自動車道路の高架下を、平べったいほぼ水平に見える地形の下をくぐるトンネルの姿です。山地の多い日本にあっては、列車にはトンネルがつきものです。しかし、日本で最初につくられた鉄道トンネルは、山岳地帯ではなくJR東海道線の大阪・神戸間にあった石屋川トンネル(「日本で最初の鉄道トンネルの跡地を歩く」2016年6月19日の日記)でした。六甲山系から大阪湾に流れる天井川の下をくぐる鉄道で、明治7(1874)年に開業しました。

列車は、跨線橋のようなトンネルをくぐりました。このトンネルは大明神川トンネル。大正12(1923)年に開業した大明神川の川底をくぐる天井川トンネルでした。石屋川トンネルの開業から、約50年後に開業しました。私は、このところ、JR東海道線の芦屋川トンネル(もう一つのJR東海道線天井川トンネル跡」2016年6月3日の日記)や住吉川トンネル(「跨線橋の上に川が流れていた」2016年5月27日の日記)などの天井川の下をくぐるトンネルを訪ねて来ました。今回は、四国の予讃線にある天井川トンネルである大明神川トンネルを見るため、ここまでやってきました。

全長65m。大明神川の川幅だけのトンネルです。あっという間に、大明神川トンネルを抜けて、やがて列車は2面2線のホームをもつJR伊予三芳駅に入りました。丸い屋根の駅舎が進行方向の左側にありました。

JR観音寺駅からJR松山駅まで3時間半かけて走り抜ける普通列車は、すぐに出発して行きました。松山駅まで、まだ1時間半以上も走り続けないといけません。

駅舎の中です。すみずみまで掃除が行き届いている駅舎には、座ぶとんが置かれています。地元ボランティアの方々のご尽力があればこその駅舎です。ガラスの向こう側には、地元ボランティアに対するJR四国の社長からの感謝状が掲示されていました。

天井川トンネルに向かって出発しました。振り返って見た駅前ロータリーです。

この案内図は、駅前ロータリーからまっすぐ進んだ消防署のところにあったものです。天井川である大明神川が、案内図の下(南)から上(北)に向かって流れています。先ほどくぐって来たトンネルは、案内図の上(北)の下流側にありました。

左折して「天井川大橋」の方に向かって歩きます。道路に沿って住宅が並んでいます。

やがて、天井川大橋が見え始めると登坂になり、登り切ると天井川大橋でした。

天井川大橋の真ん中から見た大明神川です。天井川らしく、たくさんの土砂が堆積しています。川は瀬戸内海に向かってゆったりと流れていました。

大明神川を渡って、大明神川の右岸を下流(北)に向かって歩くことにしました。

天井川大橋の東詰めを左折し、川の堤につくられた道路を歩きます。川の向こうに、今治小松自動車道の高架が見えています。

視線を右に移すと、堤の下の民家が見えました。民家の屋根が道路より低いところにあります。川が土砂をたくさん堆積するため、流域の人たちは洪水を防ぐため高い堤防をつくります。しかし、川の堆積する力が強いため、洪水をふせぐためには堤防をさらに高くしないといけません。こうして、現在のような集落の姿になっていったのです。

目の前に今治小松自動車道の高架が見えました。大明神川トンネルは目の前です。

自動車道の先の大明神川です。流れが急激に下っています。おそらく、ここがトンネルの下流側(北)の端にあたる部分でしょう。

流れが急激に下っているところから見た東側、伊予三島駅方面です。まっすぐな線路が続いています。

右岸の道路から、伊予三島駅方面に向かって降りて行きます。向こうに見えるのは山中踏切です。

線路のすぐ脇から見た大明神川トンネルです。ここから見ると想像もできませんが、トンネルの上を大明神川が流れているのです。

再び、堤の上の道路に戻り、下流(北)側に向かいます。天井川大橋の一つ北に架かる六高(ろくこう)橋です。この橋を渡り、大明神川の左岸に渡ります。

六高橋から見た大明神川です。水量はありましたが、流れはさらに細くなり、写真の右側の部分だけになっています。

大明神川の左岸に渡りました。そして、道路から降りて、トンネルの西側の坑口を撮影しようと思いました。しかし、残念ながら、草が生い茂っていてうまくいきません。

再度、道路に戻り、左岸を上流(南)側から下に降りていきます。自動車道の下に、撮影できるところがありました。トンネルの西(松山)側の坑口を、やっと撮影することができました。

そのとき、松山行きの普通列車が大明神川トンネルを抜けて、伊予三芳駅に向かって通過していきました。

伊予三芳駅に向かって戻ることにしました。トンネルと伊予三芳駅の間にあった六反地(ろくたんち)踏切。脇にある器具庫には、「129K762m」と書かれていました。高松からの距離のようです。

六反地踏切の道路脇にあったお地蔵さまです。「昭和43年9月建立」と刻まれていました。手を合わせ、帰路の安全を祈って伊予三芳駅に向かいました。帰路は、JR伊予西条駅、観音寺駅、多度津駅で区間列車を乗り継いで、JR坂出駅まで、乗り継ぎ時間も含めて3時間超の旅になります。

四国にある天井川トンネルを見るため、ここまでやってきました。予想通りのトンネルで、また一つ、経験を積むことができました。いつものことですが、暴れ川の天井川と共存するために、創意工夫を繰り返しながら対策を講じ続けて来られた近隣の人たちの努力に思いをはせる、そんな旅にもなりました。
 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (与六)
2019-03-21 05:51:50
天井川の下を、予讃線が、走ってること知りませんでした。
近くを通った時、是非、見たいと思います。
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Unknown (ゆたちゃん)
2020-12-30 08:09:52
そうだったんですか。最近この上流に引っ越して来ました。先日JRの線路のところまで歩いてみました。知ってたらまた違う見方が出来たかもしれません。もう一度見に行ってみます。歩いて2時間かかりました
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Unknown (ひさひさ)
2023-11-10 23:22:58
すごい時に見ましたね。

予讃線の大明神川のトンネルを調べていたら辿り着いたのですが、大明神川は基本的に水が流れてないんですよ。
年に何回かをとらえた写真です。
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