牛山隆信氏が主宰する「秘境駅ランキング」に、岡山県からは4つの駅がランクインしています。すでに、JR伯備線にある方谷駅(197位・「JR方谷駅「登録有形文化財」への登録確実」2011年4月15日の日記)、布原駅(40位・「伯備線にあって伯備線の駅でない布原駅」2014年3月31日の日記)、新郷駅(139位・「鳥取県境の秘境駅、JR新郷駅を訪ねる」2014年3月25日の日記)は訪ねました。
4月中旬の一日、4つ目の秘境駅である、ランキング134位の知和(ちわ)駅を相棒とともに訪ねました。知和駅はJR因美線の、鳥取県との県境に近い中国山地の中にあります。
出発はJR津山駅。私は、この日、11時35分発の因美線の列車に乗ることにしていました。この日は平日でしたので、この列車の前に因美線の列車は3本ありました。しかし、2本は知和駅を通過し智頭駅に向かう列車で、1本は知和駅の手前の美作加茂駅止まりの列車でした。つまり、11時35分発の列車は、知和駅に停車する、この日最初の列車だったのです。
これは、津山駅の待合室に飾られていた知和駅の絵です。国鉄時代の小規模駅舎に共通するデザインの駅舎でした。ちなみに、「知和」をひっくり返した「和知(わち)駅」がJR山陰線にあります。
改札を出て、地下の通路を歩きます。因美線は1番ホームから出発します。大正7(1918)年の第41帝国議会は、大正12(1923)年に鳥取・智頭間が開通していた因美軽便線を津山まで延長させ、因美線と改称することを決議しました。ちなみに岡山・津山駅間は、これより以前の明治31(1898)年に開業していました。
1番ホームです。因美線の列車がすでに入線していました。2番ホームはJR姫新線の出発ホームです。
列車は智頭に向かうディーゼルカーの単行列車。キハ120328号車。因美線はすべてこのキハ120系の車両が使用されているそうです。ワンマン運転でした。
時刻表に書かれていた智頭までの停車駅です。知和駅まで36分ぐらいかかるようです。
定時に出発した列車が東津山駅から高野駅に向かって走っているときの写真です。線路が田んぼの中をまっすぐ走っています。地元、津山市在住の方のお話しでは、「軍が敷設したため、有無をいわせず田んぼをまっすぐ切り開いた」ということでした。
高野駅の次の駅は美作滝尾駅(2011年5月14日の日記)です。駅舎は、文化庁の登録有形文化財に登録されています。映画「フーテンの寅さん」のロケ地になったことでも知られています。
美作滝尾駅から先、列車は山のすぐ脇を走るようになります。因美線は、山陽と山陰を結ぶいわゆる”陰陽連絡路線”の一つとして、津山線と因美線を通って急行「砂丘」が、岡山駅と鳥取・倉吉駅を結んでいました。「砂丘」が廃止された翌年の平成9(1997)年からは、落石防止のため、列車は時速25kmの速度制限を受けるようになり、また、雨天時は時速15kmまで減速することになりました。これは、それを示す速度制限の標識です。
美作加茂駅から3.8kmで知和駅に着きました。1面1線、上り列車も下り列車も同じ線路を使用する棒状の駅でした。知和駅は津山駅管理の無人駅です。1本しかないホームには待合室がつくられていました。
ホームです。この日、初めて到着する駅でしたが、下車したのは私たち2人だけでした。2011年度、この駅で乗車する人は、1日平均9人だったそうです。
清掃が行き届いた清潔な待合室でした。忘れ物の傘でしょうか?
待合室の建物財産標です。昭和29(1954)年と記録されていました。
待合室の近くにあったキロポスト。鳥取駅から52kmの距離にあることを示しています。
列車は、智頭に向かって出発して行きました。次の駅は転車台が残る県境の駅、美作河井駅(2012年7月13日の日記)。知和駅から3.5kmのところにあります。その次の那岐駅は鳥取県になります。私は、この列車が智頭から折り返してくる13時26分まで、この駅にとどまることにしていました。
駅舎の方に向かって歩いていたとき、「停車場中心」の標識が見えました。現在のホームの端の方にありました。
ホームの端です。かつてのホームはもっと先まで続いていたようですね。ホームの形から、かつては線路が2本あったのではないかと思ってしまいました。
ホームから駅舎に入ります。知和駅が開設された昭和初期の姿を残しています。
ここを通過したたくさんの乗客の手でつるつるに磨かれていた木製の改札口から、駅舎に入ります。
出札口です。木組みと白壁が美しい駅舎内です。
小荷物取扱口。このカウンターも昔のままでしたが、ぴかぴかに磨き込まれています。中の事務所も覗ける状態です。
カウンターの上に置かれていた「駅ノート」。無人駅によく置かれています。管理人YHさんによれば5冊目だそうです。それまでのノートはきちんとファイルされていました。
そのとき、白い車が駅前にやってきました。「駅に用事のある人か!」と思いましたが、隣にあるトイレに向かって行かれました。私は使用しませんでしたが、相棒は「きれいなトイレだった」と言っていました。私たちの滞在中に2組の方がトイレに寄って行かれました。無人駅を訪ねる旅行者の問題はいつもトイレです。外部の方が使用するためにわざわざ立ち寄って来られる無人駅はすてきです。
駅ノートの中に「駅に着いたら、たくさんの人が集まっていて驚いた。この駅の清掃をしている人々の姿だった」(要旨)という記事を見つけました。こちらは、ホームの花壇です。地元の方が丹精されたものです。これだけきれいに維持、管理されている駅はそう多くありません。まさに”4S”(整理、整頓、清掃、清潔)の駅でした。
駅舎にあった建物財産標です。昭和6(1931)年9月30日とありました。 知和駅は、昭和6年9月12日、当時の因美南線が美作加茂駅と美作河井駅間で延伸開業した時に開業しました。現在の因美線が全通したのは、翌年の昭和7(1932)年7月1日のことでした。そして、この年、因美線と改称されました。 知和駅の駅舎は、知和駅が開業した年に建てられたもののようです。
駅舎にあった時刻表です。知和駅に停車する列車は智頭方面行き(上り)が5本、津山方面行き(下り)が6本。智頭方面に向かう上り列車は午後に停車し、津山方面行き(下り)の列車は午前中に2本出発していきます。津山市内にある職場や学校に通う人を想定した設定になっています。
駅舎の入り口です。背後に緑の中国山地の姿が見えています。
知和駅への取り付け道路です。その先にあった工場の白い建物が見えます。その手前に線路と平行する県道が左右に走っています。「秘境駅」という語感とは、やや異なる風景です。
取り付け道路と県道の交差点にあった丸い緑の物体です。よく見ると、定期バスを運行している加茂観光の時刻表でした。1日5往復、「日曜、祝日全面運休」。午後の2便は「小学校が午前中、休校の時は運行しない」と書かれています。登校する子どもたちのスクールバスのような運行です。
県道から見た知和駅舎です。満開のときはさぞかしと思わせる桜と駅舎の風景です。駅付近には民家が点在しています。
秘境駅ランキング134位の知和駅。牛山氏によれば「秘境度1ポイント、雰囲気4ポイント、列車到達難易度12ポイント、外部到達難易度1ポイント、鉄道遺産指数1ポイントになっています。近くを県道が走り、県道から容易に駅に行くことができます。岡山県でランクインしている他の3つの「秘境駅」と同じように、鉄道で行くのが困難なことによる「秘境駅」でした。
桜の季節を過ぎたJR知和駅。緑濃い駅周辺は、若葉の季節に入っているようでした。
たくさんの地元の人々に支えられ、きれいな状態に保たれている知和駅は幸せな駅だと思いました。「大事に維持管理されている」ランキングがあればと、心から感じた駅でした。