トシの旅

小さな旅で学んだことや感じたことを、
まとめるつもりで綴っています。

”灘五郷”・魚崎郷の酒蔵を歩く

2013年01月29日 | 日記
”灘の生一本”の酒造地域で知られる”灘五郷”。 ”灘五郷”とは、今津郷”、”西宮郷”、”魚崎郷”、”御影(みかげ)郷”、”西郷”で、現在の国道43号線南側を、東西に広がる地域です。この日は、”御影郷”の菊正宗から”魚崎郷”にある酒蔵を訪ねて歩きました。

灘の酒は、酒米の「山田錦」を、硬水の「宮水」で仕込み、強く発酵させて短期間でつくる、辛口のお酒で、「男酒」といわれています。特に、夏を過ぎると熟成し、円熟した淡麗辛口となり、酒の質が上がる(「秋晴れ」とか「秋あがり」という)ということです。

六甲ライナーの南魚崎駅です。JR住吉駅と、神戸市の沖に浮かぶ人工島である六甲アイランドを結ぶ駅。ここから、乗ってきた六甲ライナーの高架の下を住吉川に沿って北に向かいます。

”酒蔵の道”の案内標識を見つけました。上の高架の先が、南魚崎駅から六甲アイランドの方向です。また、左右に延びる道が、酒蔵の道です。右に少し行くと、菊正宗の酒造記念館です。

菊正宗の「酒造記念館」に行きました。その奥の一帯が酒造場です。 正確には、菊正宗は”御影(みかげ)郷”の酒蔵なのですが・・・。 さっそく、記念館に入りました。この記念館は、350年前に建てられた本店の内蔵を、昭和35(1960)年に移したものだそうです。

菊正宗は、万治2(1659)年創業。 350年を越える歴史をもつ老舗の酒造メーカーです。 「キクマサ」の愛称と西田佐知子のCMソング、♪やっぱりぃ おおォれはァ~ァ~ きくまさぁ~むねぇ~♪ のCMソングで、よく知られています。

立派な「菊正宗」の木彫りの看板。 創業家は嘉納家で、”御影郷”の名門です。同じ”御影郷”の”白鶴”の創業家である嘉納家の本家筋にあたるそうです。ちなみに、”白鶴”の嘉納家は「白嘉納」、”菊正宗”の嘉納家は「本嘉納」と呼ばれているそうです。

この日は、他に見学者はおられませんでしたが、以前訪れたときには、グループ旅行の見学者に、職員が案内をしておられました。経験豊富な中年の男性の方で、軽妙なおしゃべり(説明)が見学者に大受けでした。

ここは、566点の酒造資料(国指定重要文化財)などを展示しています。「ここに展示しているものは、この袋にいたるまですべて重要文化財。外に出てしまうと単なる袋になってしまうのです!」 今も覚えている案内の方のお話です。

「生酛(きもと)づくり」にこだわる菊正宗の酒造りです。何回説明を受けても理解できないのですが、灘の酒づくりの伝統を大切にした作り方だそうです。「短期間で」と先に書きましたが、「生�瞼づくりは、自然の乳酸菌を育てる方法ですから、お酒が出来るまで25日ぐらいかかり、市販の乳酸菌を使用する方法より10日ほど長くかかります。」とのことです。

ロビーに展示されていた「樽廻船」の模型です。 江戸時代の初期には、伊丹や池田からの酒が「下り酒」として江戸に送られていました。しかし、灘地方は、伊丹や池田からよりも2~3日短く江戸に送ることができました。やがて、このような樽廻船で大量に送るようになり、「下り酒」の産地として、灘地方は大いに栄えるようになりました。

かつての酒蔵の写真です。ロビーに掲示されていました。阪神淡路大震災までは、このような酒蔵が残っていました。

試飲も出来る売店です。私が訪ねた日は、平日の午前中ということもあり、観光客は多くありませんでした。

記念館の庭に、水車がつくられていました。かつては、水車で米搗き(精米)をしていました。ちなみに、食用の米は5~7%程度搗くのだそうです。「五分搗き」というのが5%搗いた米のことだそうです。酒づくりには、最低25%(精米歩合75%)搗きます。吟醸酒は40%搗き(精米歩合60%以下)、大吟醸は50%(精米歩合50%以下)となっているようです。

灘の酒蔵の道です。菊正宗の酒造記念館から住吉川を渡り、東に向かいました。

さて、灘で使われている「山田錦」は、大正11(1922)年に新しく生まれた酒米です。「雄町」から改良された「短棹渡船」を父とし、伊勢から持ち込まれた「山田穂」を母として生まれた酒米で、米粒の真ん中に「心白」と呼ばれる、固まったデンプン質があり、腰の強さが酒米として優れているそうです。兵庫県三木市で生まれ、播州平野で多く栽培されています。

剣菱の工場です。 私が住む岡山では「辛口といえば剣菱」という存在です。ここは公開されていませんでした。工場の前には、杉玉がありました。「新酒ができたよ!」というサインだったようですね。

さらに進みます。建物の塀には、櫻正宗の案内板がありました。旧山邑酒造です。ここには、かつて、国指定重要文化財に指定されていた、土蔵造りの酒蔵がありました。残念ながら、阪神淡路大震災で倒壊してしまいました。震災前にその酒蔵について書かれた本を読んでいた私は、いつかきっと見に行こうと思っていたのでした。

櫻正宗の櫻苑に、往事の写真が展示してありました。


すばらしい酒蔵と思い込んでいましたので、この写真を見たとき、懐かしい人に会ったような気分になりました。 売店で職員の方に、そのことをお話しすると、「でも、当時はこうして中を見ることはできなかったと思いますよ!」とのこと。そうでしょうね。

櫻園の入り口にあった門。これは、震災の中を生き残りました。

櫻苑です。中には、展示場とレストラン、売店などがつくられています。

櫻正宗は、創業寛永2(1625)年。 正宗(せいしゅう)は「臨済正宗」からとり、「清酒」につながるので命名しました。いつしか「まさむね」とよばれるようになり、明治17(1884)年の商標条例の施行に伴い「櫻正宗」と登録したとのことです。

櫻正宗の社長は山邑太左衛門氏です。灘の酒づくりの仕込みに使う「宮水」は、「天保年間(1831年~1843年)に魚崎郷の山邑太左衛門が発見した」といわれています。櫻正宗は灘の酒にとっての大功労者ということになりますね。

酒蔵の道をさらに東に向かいます。

道路脇に、煙突が見えました。浜福鶴の酒造場です。

中の展示場にあった写真には、レンガ造りの煙突が残っていました。かつての姿を伝えるために、震災後の復興の時につくったのだと思います。震災前は「福鶴」という会社名でした。「魚崎浜にあり、縁起のよい福を呼ぶ鶴」ということで改名したそうです。

かつての写真に「福鶴」の名が残っていました。福鶴は、昭和32(1957)年創業の比較的新しい酒造メーカーです。
 
現在は、近代的な工場に生まれ変わっています。裏の白い建物が酒造場で、前の建物が売店になっていました。

2階の酒造りの見学コースです。

売店です。女性職員は、商品の発送作業に忙しそうでした。販売してた清酒ソフトクリームを買いました。

阪神淡路大震災は、灘の酒造りの工場にも壊滅的なダメージを与えました。廃業したり、ブランドを譲ったりして再建できなかったところもありました。しかし、操業している酒造メーカーは、近代的な工場で伝統的な味を守っておられました。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見つけました (イデイ)
2013-12-16 06:45:17
ここは特にチェックしておきます。
体調を整えて、行ってみたいなぁと思います。
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灘五郷 (訂正)
2013-10-31 20:27:37
全国の出荷数量と灘酒の市場占有率(昭和57年度)
特級
全国出荷数量51千kl
灘酒29千kl(57.8%)

1級
全国出荷数量787千kl
灘酒367千kl(46.8%)

2級
全国出荷数量670千kl
灘酒91千kl(13.5%)

合計
全国出荷数量1508千kl
灘酒487千kl(32.3%)
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灘五郷 (六甲おろし 宮水 山田錦 丹波杜氏)
2013-10-31 20:26:15

全国の出荷数量と灘酒の市場占有率(昭和57年度)
<特級>
全国出荷数量51千kl
灘酒29千kl(57.8%)

<1級>
全国出荷数量787千kl
灘酒367千kl(46.8%)

<2級>
全国出荷数量670千kl
灘酒91千kl(13.5%)

<合計>
全国出荷数量1508千kl
灘酒487千kl(32.3%)
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見ました (山田の)
2013-02-08 07:25:23
 良いところへ行かれましたね。どこか覚えていませんが、私も見学したことがあります。試飲をし過ぎて酔うのは私だと思います。いつも素晴らしい所の紹介ありがとうございます。
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