ファンタジーなど

基本的に、いろいろなことの変なとこに突っ込みます。

アップルのスマフォの技術の開発者

2024-09-12 13:09:39 | デジタル・インターネット
アップルを支援したのは米国の政府機関と言うのは正しいでしょう。

実際の技術は、日本の企業が開発したモノです。

1:液晶表示パネル
  シャープが発明したものです。
  当初は文字や絵、あるいは、数字を7つのセグメントとして組み合わせで
  数字を表示することで、電気製品の表示器としての市場を確立しています。
  ノートタイプの表示器は、パネルの大型化で実現されました。
  カラー化は、日本企業の競争でした。
  パネル工場の世界への展開は、半導体と同じく、相手企業へのほぼ全ての
  技術供与でした。
   (スチール、半導体に続いて出し抜かれるのは当然でした)
  当時、日本の携帯電話は、パネルは小さいけど全てがカラー表示でした。
   ノートパソコン用パネルは、素子数も面積もより大きいから、当時の
   スマフォ用に制限は何もありませんでした。
    ~唯一有りそうなのは、「縁をほとんど無くしろ」です。

  おまけ:SONYだけがカラー表示ブラウン管の超小型化を行い携帯電話に
    搭載・市販するほどに横道しました。
    トランジスタを発明・市販化しながらも、半導体製造には、身を
    入れてませんね。撮像素子では最先端を行ってますが

2:タッチパネル
  表示器にタッチ機能を付けた量産品は、任天堂のゲーム機が最初かも。
  触るのは1カ所のみでした。
  2カ所を判別できるように、そして軌跡も判定できるように考案したのは、
  アップルかもですが、実現したのは日本メーカーで、任天堂から受注生産
  していた会社の筈です。

  当時のアップルの特技は、「製造できる会社に作らせる・できたらその技術
  だけで無く製造用道具も奪い、もっと安く作れると言う会社~ほとんどは
  中国の企業~にやらせる」という アップルズ・ウェイ でした。

  任天堂と、その発注先は、米国とアップルから何かクギ刺されたかも。

3:携帯無線電話技術
  これは、当時、日米欧に既にかなりの製造市販企業がありました。
  当時、NTTが国産保護をしていた?ため、輸入品と競合する必要も無く、
  価格も高いままで、日本企業数社は、国内の販売だけで事足りたようです。
  結果として日本の携帯電話は、俗に言うガラパゴス仕様に溢れたモノ
  となり輸入解禁・輸出必須となって苦労することになったのでした。

  アップルは、米国企業のどれかを、採用ないし買い取れば、良かったのです。
コメント
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