風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

2007年09月03日 | スピリチュアル
猛暑のピークも過ぎたと思ったら、大雨が降ります。
昨夜も映画館を出たら大砲のような雷が鳴り、ずぶ濡れで帰りました。
街中が滝を浴びているんだなと、一人で納得しました。

「魔が差す」とか「魔境」とかいう言葉があります。
「魔」とは何でしょうか。
これは、経験上、考えれば考えるほど取り込まれていくような性質を持っています。
魔について考えることが、「魔」であるかもしれません。

巷に人知を超えた殺人が頻繁に起こります。
その事件を考えて、筋の通った解決方法が生まれるでしょうか。
否、です。
その事件を考えれば考えるほど、得体の知れないドス黒いものが心の中に渦を巻き始めます。

聞くところによりますと、神界のものは人の「喜び」「感謝」等プラスのエネルギーを吸収し、
冥界のものは「憎悪」「悲しみ」「怒り」等のマイナスのエネルギー食らうと言います。
ドス黒いものはいうまでもなくマイナスの感情です。
冥界のもののエネルギー源になるみたいです。

どちらもエネルギーとして取られてしまうならどっちも同じじゃないかと思うかもしれません。
そこが多分一番論証の難しいポイントです。
でも、シンプンルです。
「喜び」「感謝」を感じて生きる人生と、「憎悪」「悲しみ」「怒り」を感じて生きる人生と、
どちらを選びたいですか、ということです。
あとは、一人一人の選択です。
一人一人が「選択することができる」というのがポイントです。
こうでなければならない、ああしなきゃいけないとうことから、まったくフリーの状態で選択します。

感情のエネルギーを「取られる」という視点で見れば、神界でも冥界でも、どちらも同じかもしれません。
でも、エネルギーを「使うことができる」という視点で見れば、プラスの方向で使ったほうが楽しいです。

この辺りは、ホント人それぞれですので、人様のありように言葉を挟むことはできません。
ただ、どんなん状況でも人は「選択できる」ということを言いたいわけです。

ぼくも魔が差したような状況というのは、よくあります。
振り返ると必ず心の隙があったときです。
心の隙というのは、そりゃもうちょっと油断したら隙だらけなのが人の心でもあります。
怠惰、傲慢、無知、エトセトラ。
で、その魔が差した状況というのを状況のせいにせず、「自分の選択」で魔を取り込んだんだと思うと、
魔から逃れることができるように思います。

この辺りの話というのは、ケースバイケースのことの方が多いですから、話半分に聞いてくださいね。