風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

ランボー

2007年09月22日 | 雑感

 見つかったぞ!
 何がだ? 永遠。
 太陽にとろけた
   海。   

これは有名な「永遠」というランボーの詩の一部です。

10代で詩を書きなぐるように書いて、その後は文学をきっぱり捨て、中東、アフリカを放浪します。
最後は武器商人になり、37歳で骨肉種であっけなく死にます。
若いころの写真はある種の魅惑的な風貌をしていますが、死に際の写真ではやせこけた貧相な男です。

中原中也が強烈に憧れを持った詩人です。
強情でセンチメンタルな中原中也と違って、ランボーは感傷をぶちきるしたたかさがありました。

10代で「永遠」を感じるような魂は、どこへ行っても満ち足りることなく、自分の存在に違和感を感じていたでしょう。
魂はどこまでも自由で、陶酔を求めますが、現実はどこまでも重くて湿っぽいです。
こういう魂には現実的なものがことごとく嘘っぽく見えます。
張りぼての茶番に見えます。

なぜランボーのことなんか書いているのかというと、昨日書いた「一体感」を考えていたからです。
おそらくランボーの生まれ持った自由自在の魂は、見る風景と瞬時に一体となり、陶酔することができたのだと思います。
その陶酔から覚めて改めて見渡す現実の世界が退屈でたまらなかっただろうと思います。

退屈な世界を耐え忍んで、心を自由自在に開いていく求道者ではありませんでしたから、
若くして生活破綻者にならざるをえませんでした。
現実というのは、彼の味わう瞬間の陶酔の前では、無意味でした。

日常の辛酸を嘗めながら、年を経るごとに日常のありがたさに気が付いていくというのは、
ある意味大変恵まれた人生のコースなのかもしれません。
最初から花が開いて見えるというのは、ある意味残酷なことなのかもしれません。
あとはしぼんでいくのを見ているしかないのですから。