風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

成功

2007年01月31日 | 雑感
昨夜は懲りて睡眠導入剤を飲んだので、朝までぐっすり眠りました。
クスリは嫌いなのですが、根性やら思惑やらだけでは打ち克てない時は、クスリの力を借りてもいいかもしれません。
睡眠充分で活力満点でしたが、こういう日に限ってお客さんは一人しか来ませんでした。
そういうものです。
暖房の効いた店で、何するわけでもなく、ある人のホームページを作ったり、コーヒーを飲んだりしていました。

昨日、前に勤めていた会社の社長から電話がありました。
もうその業界ではブッチギリのトップに立っています。
先日もたまたま見ていたテレビに出ていました。
今後の戦略を聞かせてくれました。
ここでいろいろ書くわけにはいきませんが、見事としか言いようがありません。

その戦略を説明すれば、そんなことかと思われそうですが、ぼくはそれを実現している人はそうそういないことを知っています。
資金とか、人脈とか、計画性とか、努力とか、そういったことではないのです。
もちろん、そういったことは目標の実現には不可欠なのですが、もっとも大切なのは、なにを目的にするかです。
魂の奥底から打ち震えるような目標を手にすることができたら、成功を手にしたようなものです。
金持ちになりたい、幸せになりたい、家族を大事にしたい、どれもが尊い目標には違いありません。
でも、その程度の目標では、どうしてもあくせくする境涯から抜け出せないかもしれません。

ちょっと語弊があるかもしれません。

違う言い方をするとしたなら、天の摂理というのは人が思うより、遥かに大きなことを人に要求しているのかもしれません。
社長の歩む道筋を見ていると、そう思わざるをえません。

社長は目的が大きければ大きいほど本気になり、燃えます。
今の目的は、事業という枠組みを超えてしまっているかのようです。

ぼくはとうから自分が真似できるものではないと気づいていました。

どこか違うのか。

もともとの人としては違わないんです。

でも、歩む道が違います。
選択した道が違います。
自分の選択した道に対する責任感が違います。
見ている目標の大きさが違います。
見ている風景が違います。
情熱が違います。
真剣さが違います。

その結果、生きている境涯が天と地ほどに違ってきます。

社長の歩む道筋ほど見事だと、心から尊敬の念が起こってきます。
ひねくれもののぼくですから、なかなか人を尊敬するってことはないんですが。

だからといって、うらやましいとか何とかというのはないんです。
ぼくはこれでもぼくの行く末というのに興味を持ち始めています。
よかれあしかれ、ぼくの選択した道筋です。
あとは、どれだけの気概を持って、目を上げ、目標を見据えて歩んでいくか、です。

天の摂理の人に要求することは、決して一つの道ではないことは信じています。
ただ、どんな道であろうと、選んだからには、選んだ自覚、覚悟、情熱を注がなければ、道にならないのだろうということです。
道といっても、別に何か形がある場合もあるでしょうが、ない場合もあるでしょう。
金銭的なことに限らず、教訓、愛情、作品、思い出、そういう形にならないものも立派な道と言えるでしょう。
歩いた後に道を残す人は、事業者であれ、政治家であれ、主婦であれ、詩人であれ、みな立派な成功者であるのでしょう。


頑張れ>おれ