風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

疾走

2007年01月10日 | 雑感
ぼくの好きなアメリカの作家の一人にジャック・ケルアックという風変わりな作家がいます。
第二次世界大戦後の1950年代、60年代のヒッピー文化の先駆けをなした「ビート・ジェネレーション」と呼ばれた文化人のなかでも、
代表的な人物です。

ワイルドで、破天荒で、無軌道で、繊細で、親切でした。
本気で仏教を研究し、日本の雲水を倣って、貨物列車に無賃乗車してあちこちを旅して回りました。
雲水と違うのは、女、酒肉に関しては戒律を守る気もありませんでしたが、山や森にこもっての瞑想は好んで行いました。
後に日本の禅寺で本格的に修行することになる友人のゲイリー・シュナイダーの影響などもあって、
仏教に対する理解は驚くほど深く正確でした。

後に来るヒッピー文化は、なんというか何でもかんでも「フリー」を強調するだけの退廃的なところに堕しましたが、
50年代の彼らはより生真面目で、エネルギッシュでした。

彼の分厚い伝記を読み返しているのですが、女性も含めて恐ろしく自由で個性的で魅力的です。
多種多彩な人脈の仲で、彼らはつるむことなく一人一人が思いついたまま、東海岸、西海岸、メキシコへとあちこちに動き回り、
動き回ることによってさらに人脈が厚く多彩になっていきます。
自由自在で、ダイナミックで、楽天的です。

よくアメリカ人は単純で独りよがりだという評を聞きますが、ぼくはそういうふうに思ったことがありません。
ブランドやら学歴やら地位・金やらにころころ騙される日本人より、よほど懐が深く、人間味があるとさえ思っています。

で、若い頃は仲間と共に疾走するように生きていたジャック・ケルアックですが、
晩年は酒に溺れて47歳の若さで死にます。
疾走の果て、行き着くところまで行き着いて、この世に存在しているのが退屈になってしまったみたいに、死にます。

昨日、たまたま「ソウルメイト(飯田史彦著)」という本を借してくれる人がいて一気に読んだのですが、
自分で言うのもあれなんですが、ジャック・ケルアックの生き方には深いところで非常に共感してしまいます。
運命の糸で結ばれた人という意味のソウルメイトではなくて、なんというか共通の魂のふるさとを持っているという意味での
ソウルメイトなのかも知れないなどと思ってしまいました。
酒に溺れているということだけが共通項じゃないかという声が一気に上がるのが聞こえました(笑)

まぁ、過ぎ去った時代をうらやんだり、懐かしがってもしょうがありません。
今の時代を駆け抜けることができるか。
それだけです。