台風が直撃しています。
風も雨脚もたいしたことはありませんが、速度がのろのろなため雨が多そうです。
日曜日にネネさんたちのグループの滝行ですが、いい感じの水量になりそうです。
今しがた銀行に行ってきましたが、数人の客がいただけで、こんなに空いている銀行は初めてです。
待ち時間ゼロで用をたしてきました。
隣近所の人たちとの申し合わせで、ぼくも今日は早く店を閉めます。
新聞もテレビもあれほど大騒ぎしていた靖国に関してぴたりと口を閉ざしました。
思うように世論が動かなかったことがショックなのでしょう(笑)
日本の国論を二分させることは、昔からある国の一環とした国策です。
その手にまんまと乗り続け、今なお乗り続けようとするメディアという権力は、本当に警戒すべきものになりました。
情報を多面的に収集できるネットがあるお陰で、メディアの目論見はことごとく外れるようになりましたが。
オウムにとどまらず、摂理とかいうカルトにも、やすやすと引っかかる人が後を立ちません。
自分は騙されるはずがないと思う人ほど、自意識が高ぶった人ほど、引っかかる率が高いのではないかと思っています。
なんでも疑えという発想には与しませんが、自分を疑う視点は持っていたほうがよいと思います。
何かが正しいと思ったとして、なぜ「自分」がそれを正しいと思ったのか。
それを正しいと思う「自分」は何者なのか。
疑うべきは、他者の想念や思想ではなく、その他者の想念や思想を取捨選択する「自分」だということでしょう。
「自分」というものを無条件に肯定してしまいますと、「自分」が正しいと思ったものは正しいはずだとなってしまいます。
逆に、その「自分」が間違いだと思ったことに関しては、躊躇無く断罪してしまう羽目になります。
カルトの洗脳の手口というのは、信者に「あなたたちは特別に選ばれた人間なのだ」という選民意識を吹き込むことに特徴があります。
信者の自意識をくすぐります。
どうしてあんな荒唐無稽な教義に引っかかるんだと、一様にみな驚くわけですが、
自分が特別なのだと思えるということは、それほど甘美な罠だということです。
カルトの教義は、巧妙に物事の是非を迷うことなく決められる特権意識を持たせてくれるのです。
だから、傍から見ていて信じがたいことでさえ、彼らはできるようになるのです。
選ばれた人間のすることは、選ばれていない俗世の大衆のあずかり知らないことなのだからと、ますます特権意識を募らせるのです。
と、ここまで書いてきますと、昨今のメディア側の人間に、こういう同じ匂いの特権意識を持った人間がいるのに気が付きます。
そういう人間がある特定の意図を持った人間に利用されます。
興味のある方は覗いてみてください。
中国共産党 「日本解放第二期工作要綱」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/S47/4708/470801china.html
なんにせよ、心安らかに、空の美しさに目を見張っている人には無縁の話です。
誰が特別であるとか、誰よりも自分のほうが偉いとか、誰かを陥れてやろうとか、そういう類の話からは、
できるだけ遠ざかって生きるようにしたいものです。
それにしても「ゲド戦記」、龍神様の話でした。
何の説明も無く、いきなり龍神様でした。
訳分からなかったという感想が多かったのも、至極ごもっともな話です(笑)