風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

大人の責任

2006年08月01日 | 雑感
今朝、何気なくテレビを見ていたら、高校総体の開会式というのをやっていました。
文部科学省の副大臣、知事、市長と開会の挨拶が続きます。
ぼくが学生の時、こういう行事の時に聞かされたまんまの退屈なつまらない言葉が続きます。
特にひどかったのが、副大臣の挨拶。
顔を下に向けて、ぼそぼそと原稿を読んでいるだけ。
聞いている方の高校生たちは明らかに聞いているのが苦痛で、そわそわしています。
最後に皇太子のお言葉と選手宣誓があって、閉会です。

ちょっとびっくりしました。
オリンピックにしても、ワールドカップにしても、エンターティメント化が如実に進んでいる折、
おもしろくもなんともない退屈そのものの大会進行です。
選手たちが来ているウエアもダサいままです。
こういう大会の関係者というのは世界の趨勢ということには関心がないのでしょうか。
それにしても、こういう大会のあり方を指導改革できる位置にある政治家の言葉が一番陳腐で、低波動です。
世界の趨勢にも興味がなく、ありえるべき大会のあり方というものにも想像力の働かないような人たちが、
この国のいろいろな組織の指導者の位置を占めているような気がします。
ちょっと、言葉が出ないくらいにひどい開会式でした。

よし頑張るぞーなどという顔をした選手なんかひとりもいなかったです。
ひたすら退屈で、早く終われーって感じでした。
なんなんですかね。
おそらく、今の入学式やら、卒業式やら、成人式というのはこんな感じなのかもしれません。
そうだとしたら、ぼくでも暴れたくなるかもしれないなーと思いました。

要するに、式自体が選手たちのことなど見ていないのです。
感動も勇気も激励も、開会式は何も選手に与えてくれないのです。
つまらない大会役員と、つまらない政治家が、つまらない言葉をだらだら並べるだけの式なのです。
どんより沈みきった会場の雰囲気。
なんとういか、参加運営する大人たちはそんなのさえも感じ取ることが出来ないのでしょうか。
ちょっとびっくりしました。

近頃の子供がおかしいとはいつの時代も言われることなんでしょうが、
近頃の大人がおかしいですね、明らかに。

企業にしても、行政にしても、不祥事だらけでしょっちゅう謝罪の記者会見をテレビで眼にするわけですが、
潔く謝っている姿なぞついぞ目にしたことがありません。
言い訳にもならない、責任転嫁の言葉がぐずぐずと出てくばかりです。
責任がないと思うなら、断固謝罪などしなければいいんです。
でも、いかなる理由があろうとも、謝罪すると決めたら、断固潔く謝罪するべきなんです。
潔くないと謝罪が謝罪にならなくなります。

いろいろ会社として、或いは組織として責任はあろうかと思うが、なにも自分が悪いわけではないというような言い訳がましさが、
会見を行う当事者の顔に浮かんでいます。
なんというか、サムライじゃないんですね。
会見に臨んだものは、例えその人間に責めがなくとも、会社の全権を担った代表です。
会社の代表として、潔く謝罪する。
部下の責任は俺の責任だと引き受ける。
それが出来ない大人ばかりになってしまったんでしょう。