風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

労働

2006年08月11日 | 雑感
昨晩、なにげなくNHKを見ていたら、青森の若者が漁業研修学校で学ぶ姿を映していました。
中学を卒業したばかりの子や、高校で野球に打ち込んでいたが怪我で挫折した子などが、漁船に揺られて色々な漁法を学んで行きます。
最後の研修はイカ釣りです。
青森からわざわざ能登沖まで行っての研修です。
月夜の晩は、イカはイカ釣り船の集魚灯に寄って来てはくれません。
それではと、針をより深い深度まで下ろしてみたり、錘の大きさを変えてみたりと、生徒なりに工夫します。
そして何とか独力でイカを釣ることに成功します。

生徒たちは、漁業が体力だけの世界でないことを思い知ります。
頭を使い、感覚を研ぎ澄ましていく必要を、研修を通じて学びます。

そこで思うのは、今の日本の教育システムです。

詰め込み主体の教育が長らく続き、その弊害が出れば一転してゆとり教育だときます。
その結果、
1.時間をもてあまし、街でたむろする
2.部屋に引きこもって、ゲームをする
3.経済的に余裕のある学生は、自ら進んで塾の詰め込み教育を受ける
そういうパターンになりました。

人間的に成長する要素が何一つありません。
我慢か怠惰か、その二者択一です。

高校を卒業したら、男女を問わず、一律漁業3ヶ月、農業3ヶ月、あとの残り6ヶ月は自由に社会生活に参加する、
というようなシステムにしたら、人間的にはどれほどたくましい青年たちが育つことかと思います。
その一年は、残りの人生にとってかけがいのない経験になること、間違いないでしょう。
働きにでるにせよ、大学に進学するにせよ、より明確な目標を持って前に進むことができるでしょう。

というのも、ぼく自身も大学を出てからまともに就職するまで5-6年を無駄に過ごしました。
アルバイトを転々として、お金は飲み代に使い切りました。
その間、漁業なり農業なり何なりを経験していれば、どれほど多くのことを学ぶことができたかと、後悔仕切りです。

自然に触れ、労働の厳しさに触れ、労働の喜びにも触れ、人が生きるということを考える。
そういう一年が青年たちに与えられれば、この国は一変すると思います。

徴兵制度がある国が今でもたくさんありますが、日本はそういう道ではなく、労働を通じて人に貢献する、
貢献したくなる道を選ぶことができれば、かなり尊敬される国になれるだろうと思います。

で、その青森の漁業研修学校は今年で閉鎖が決まっているそうです。
もう、あれです。
言葉がありません。