慈恵堂を庫裏側から眺めます。
天海僧正は徳川家康に仕えて信厚く、家康の死去に際しては葬儀の導師を務めました。
その後も、2代将軍徳川秀忠、3代徳川家光に仕え、各将軍の相談役として重用されたそうです。
天海僧正のお手植えで樹齢約350年といわれる御神木である槇(まき)の巨木です。
天海僧正はかなり高齢まで生きたようです。
天海僧正が残した長寿歌、「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食ほそうして こころ広かれ」は養生訓として有名です。
境内の右手にフェンスに囲われて、朱色の多宝塔があります。
1639年(寛永16年)に完成、もとは山門の北側、日枝神社と白山神社の間にありました。
多宝塔は釈迦と多宝の二仏を祀る塔のことで、二重の構造を持ちます。
我が国で考案された仏塔で、平安前期頃から建てられるようになったものです。
塔の高さは13mで、方三間の多宝塔で本瓦葺、下層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっています。
水琴窟があり、隣に立派な水鉢が置かれていました。
手水鉢の水の吐き出し口にあしらわれた龍の像です。
剣に双龍がからまり、首には宝珠のついた首輪が巻かれています。
川越の観光名所の中で人気がある、五百羅漢です。
日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の石仏群です。
喜多院の五百羅漢は中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、両脇侍(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普腎菩薩、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩があり、大小の石仏像すべて合わせると538体です。
喜多院の山門手前に、天海僧正の銅像が建っています。
余談ですが、天海僧正の顔が『ビートたけし』に似ているので、笑ってしまいました。
そう思いませんか?
そろそろ次の小江戸循環バスが来る時間ですので、建物の中の見学は諦めて次へ向かいます。
続く......................................................。
天海僧正は徳川家康に仕えて信厚く、家康の死去に際しては葬儀の導師を務めました。
その後も、2代将軍徳川秀忠、3代徳川家光に仕え、各将軍の相談役として重用されたそうです。
天海僧正のお手植えで樹齢約350年といわれる御神木である槇(まき)の巨木です。
天海僧正はかなり高齢まで生きたようです。
天海僧正が残した長寿歌、「気は長く 勤めは堅く 色うすく 食ほそうして こころ広かれ」は養生訓として有名です。
境内の右手にフェンスに囲われて、朱色の多宝塔があります。
1639年(寛永16年)に完成、もとは山門の北側、日枝神社と白山神社の間にありました。
多宝塔は釈迦と多宝の二仏を祀る塔のことで、二重の構造を持ちます。
我が国で考案された仏塔で、平安前期頃から建てられるようになったものです。
塔の高さは13mで、方三間の多宝塔で本瓦葺、下層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっています。
水琴窟があり、隣に立派な水鉢が置かれていました。
手水鉢の水の吐き出し口にあしらわれた龍の像です。
剣に双龍がからまり、首には宝珠のついた首輪が巻かれています。
川越の観光名所の中で人気がある、五百羅漢です。
日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた様々な表情の石仏群です。
喜多院の五百羅漢は中央高座の大仏(おおぼとけ)に釈迦如来、両脇侍(わきじ)に獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普腎菩薩、左の高座に阿弥陀如来、右の高座に地蔵菩薩があり、大小の石仏像すべて合わせると538体です。
喜多院の山門手前に、天海僧正の銅像が建っています。
余談ですが、天海僧正の顔が『ビートたけし』に似ているので、笑ってしまいました。
そう思いませんか?
そろそろ次の小江戸循環バスが来る時間ですので、建物の中の見学は諦めて次へ向かいます。
続く......................................................。