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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その208 『川越・小江戸』 その3

2017年08月16日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
川越城本丸御殿に向かいます。
川越城は扇谷上杉持朝(おうぎがやつうえすぎもちとも)が古河公方足利成氏(こがくぼうあしかがしげうじ)に対抗する為、1457年(長禄元年)に家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城されました。
バス停を降りてすぐ武家風の落ち着いたつくりが印象的な本丸御殿が見えます。



川越城本丸御殿は、1848年(嘉永元年)に時の藩主松平斉典(なりつね)が造営したもので、往時は16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治維新後次第に解体されていきました。
現存しているのは玄関部分と、移築復元された家老詰所のみですが、埼玉県指定文化財になっています。



江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構が本丸御殿です。
川越城本丸御殿は、東日本では唯一の本丸御殿で、全国的に見ても貴重な遺構です。



川越城は、1537年(天文6年)後北条氏の占拠するところとなりましたが、同15年(1546)川越城の奪回を図った上杉氏は後北条氏の奇襲で敗れ、後北条氏の支配となりました。
やがて同年8月徳川家康が一族家臣を従えて関東に移るにおよび、重臣を重要な地に配して領国の安定を図りました。
川越には酒井重忠が1万石をもって封じられ、ここに川越藩の基礎が成立しました。



玄関を入ってすぐの場所に位置する本丸御殿大広間です。



36畳の広さがあり、来客の際に城主が来るまでの待機部屋として使われていたようです。
大広間にいまだに残る見事な松の絵の絵板戸です。



鎌倉初期の甲冑と日本三名槍・結城松平家お手杵の槍につけらていた槍鞘が置かれています。



いくつかある部屋の装飾は質素で装飾などは最低限に止められています。



どの部屋もきれいに保存されています。



各部屋はきれいな廊下に囲まれています。
廊下から観る手入れの行き届いた庭の景色です。



続く................................................................。