大天守と三つの小天守、そしてこれらを結ぶ渡櫓が国宝指定を受けています。
二の丸を通り過ぎて「に」の門へ向かうと写真のように、袋小路のような細い進入路となります。
外部の敵に対して、容易に通過させないための工夫がいたるところに見られます。
城内の上山里丸と呼ばれる広場にある『お菊井戸』が、有名な『播州皿屋敷』に出てくる井戸だといわれています。
ネットに掲載されていた、お菊井戸に関する記載です。
『永正年間のこと、城主小寺則職の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴きます。しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、それを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。
その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。』
『ぬ』の門です。
これで代天守の周りを一周したことになり、再度二の丸に戻ります。
それではそろそろ、出口へ向かいます。
このお城にどのくらいの人がいたのかと思い調べてみましたら、多いときは家来、足軽及びその家族を入れると多いときは4000人近くの人が暮らしていたそうです。
最後に三国濠のあたりからベストアングルでの写真を撮ってみました。
急ぎ足の姫路城散策でしたが、期待以上に見るべきものが沢山ありました。
外濠からの写真を最後に、隣接している名園として有名な『好古園』に向かいます。
名残惜しいですが、姫路城からお別れです。
二の丸を通り過ぎて「に」の門へ向かうと写真のように、袋小路のような細い進入路となります。
外部の敵に対して、容易に通過させないための工夫がいたるところに見られます。
城内の上山里丸と呼ばれる広場にある『お菊井戸』が、有名な『播州皿屋敷』に出てくる井戸だといわれています。
ネットに掲載されていた、お菊井戸に関する記載です。
『永正年間のこと、城主小寺則職の執権青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣の衣笠元信は、愛妾のお菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴きます。しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送っていましたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、それを盾に結婚を迫られます。しかし、お菊はどうしても首を縦に振りません。腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込みました。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったといいます。
その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は滅ぼされ、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られています。』
『ぬ』の門です。
これで代天守の周りを一周したことになり、再度二の丸に戻ります。
それではそろそろ、出口へ向かいます。
このお城にどのくらいの人がいたのかと思い調べてみましたら、多いときは家来、足軽及びその家族を入れると多いときは4000人近くの人が暮らしていたそうです。
最後に三国濠のあたりからベストアングルでの写真を撮ってみました。
急ぎ足の姫路城散策でしたが、期待以上に見るべきものが沢山ありました。
外濠からの写真を最後に、隣接している名園として有名な『好古園』に向かいます。
名残惜しいですが、姫路城からお別れです。
景色をぼんやり見ていると、屋根の構造や樹木の種類が少しずつ変わってくるんですよ
北海道と西日本では風景そのものが違っているようです
今度は西日本に足を伸ばしてみたいです
トッポパパさんのブログを読むと、とても勉強になります。
それに、お写真も綺麗ですね。
お城の迫力が感じられて、見ていて気持ちいいです。
『好古園』のお写真も楽しみにしています。
ミルは、少しずつ食欲も増し、元気になっています。
明日、また高度医療センターに行きます。
↓トッポくんが、元気に走ってる写真を見て、
ミルも、もうすぐって思いました。
頑張ります♪
テレビでやっている世界の車窓からの番組も、楽しみながら観ています。
miruママさんのお勧めで姫路城と好古園を見物しました。 とても素敵な景色を写真に撮ることができて感謝しています。