TOPPO WORLD

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海外の都市の紹介、 その75の3 『キューケンホフ公園、PartⅡ』

2010年05月09日 | 海外の都市の紹介
トッポ、『チューリップばかりじゃ、飽きられるよ!』
トッポパパ、『今日は、違う花の写真を中心に紹介します。』



トッポパパは花の名前はわからないので、今日はネット情報でのキューケンホフ公園の歴史を紹介します。



キューケンホフ公園の敷地は15世紀の頃は狩場となっていました。
当時は、ヤコバ・ファン・バイエルン城の領地の一部で、お城のキッチンガーデンではハーブが採取され、調理に使われていました。



1857年頃、ゾッハーというランドスケープデザイナーが庭園の設計を任されました。
英国風のランドスケープに着目したゾッハーは現在のキューケンホフ公園の原型を作り上げました。



キューケンホフのあるリッセの町の市長、球根花の生産業者と輸出業者が発起人となり、オランダの球根のショールームとして、屋外の花の展示会が1949年に初めて開催されました。その後、毎年開催されるようになり、オランダで一番人気のある観光地として、既に4500万人以上の来場者を迎えています。



トッポ、『ところで、日本にはいつ頃チューリップが入ってきたの?』



日本でチューリップの歴史が始まったのは、l863年の頃だと言われています。
当時、日本では薬草のウコンの仲間と勘違いされていたので「鬱金香(うこんこう)」と名付けられました。



日本もチューリップが入ってきたばかりのときは、庶民の手には届かず、ヨーロッパと同じような状況だったようです。
チューリップの切花は1本5銭という高い値段で売れたそうです。
当時の1日の労働賃金はl0銭~20銭でしたので、いかに高価だったかわかります。



そして、江戸の末期になると、チューリップ栽培が少しずつ始まりました。こうして、明治40年頃には本格的に栽培されていったのです。
米どころとして有名な新潟や富山でもお米の裏作としてチューリップに着目し、他の地域に比べて、より熱心に栽培していたことから、生産地として知られるようになりました。
現在は、新潟や富山以外に、鳥取などでも栽培が盛んに行われています。

チューリップの生産地は、世界的にはオランダが非常に有名で、各国へ輸出されています。日本のホームセンターや園芸品店で販売されている球根は、ほとんどがオランダからの輸入のようです。



続く...........................................................................。