兼六園を出て金沢城に向かいます。
あいにく雪が大粒になり、みぞれ交じりのようで視界が悪くなってしまいました。
現在の金沢城は、天守などは残っていませんが、金沢城の存在を伝える石川門、三十間長屋などがあり、海鼠壁や石垣なども見どころのようです。
石川門と二重櫓に向かう橋です。
左より二重櫓、高麗門、渡り櫓となっています。
石川門は1787年の建立で、国の重要文化財になっています。
『百万石の城下町』と言われた金沢の中心は金沢城跡で、明治以降は一貫して国の所有となりました。
城の顔ともいうべき天守など主要なものは残ってはいませんが、石川門、三十間長屋がその歴史を現在に伝えています。
それでは中に入ってみます。
この高麗門を中に入ると右に直角に曲がると石川門になります。
雪が強くなってきました。
石川門は城門に当たり、鉄砲狭間の仕掛けがあります。
ここの根瓦は鉛瓦や錫を使用してりして、いざと言う時には鉄砲玉に変えられるように備えていたそうです。
また写真右は唐破風出窓の渡り櫓門になっています。
石川門を抜けて少し歩くと、大きな広場に出ます。
広場の正面に菱櫓・五十間多聞長屋・橋爪門続櫓が見えます。
もう少し近くで見てみたいと思います。
続く...............................................................。
あいにく雪が大粒になり、みぞれ交じりのようで視界が悪くなってしまいました。
現在の金沢城は、天守などは残っていませんが、金沢城の存在を伝える石川門、三十間長屋などがあり、海鼠壁や石垣なども見どころのようです。
石川門と二重櫓に向かう橋です。
左より二重櫓、高麗門、渡り櫓となっています。
石川門は1787年の建立で、国の重要文化財になっています。
『百万石の城下町』と言われた金沢の中心は金沢城跡で、明治以降は一貫して国の所有となりました。
城の顔ともいうべき天守など主要なものは残ってはいませんが、石川門、三十間長屋がその歴史を現在に伝えています。
それでは中に入ってみます。
この高麗門を中に入ると右に直角に曲がると石川門になります。
雪が強くなってきました。
石川門は城門に当たり、鉄砲狭間の仕掛けがあります。
ここの根瓦は鉛瓦や錫を使用してりして、いざと言う時には鉄砲玉に変えられるように備えていたそうです。
また写真右は唐破風出窓の渡り櫓門になっています。
石川門を抜けて少し歩くと、大きな広場に出ます。
広場の正面に菱櫓・五十間多聞長屋・橋爪門続櫓が見えます。
もう少し近くで見てみたいと思います。
続く...............................................................。