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トッポパパの日本気まぐれ紹介、 その40の2 『岩国城』

2008年03月01日 | トッポパパのディスカバー・ジャパン
逆方面から見た錦雲閣(絵馬堂)もけっこう絵になります。
江戸時代には3階建ての南矢倉だった建物を、明治になってから矢倉に似せた絵馬堂として建造したそうです。



岩国城へは、吉香公園からロープウェイで山頂まで、約5分ほどで行くことができます。



ロープウエイの駅より、下を望むと錦川や錦帯橋が眼下に見ることができます。



標高300mの終点から城跡まで散策路をさらに5分ほど歩きます。
こちらが岩国城を正面に見る二の丸跡だと思われます。



関ヶ原の合戦に敗れた毛利輝元は、長門・周防2ヶ国へと減封されます。
毛利氏存続のために奔走した吉川広家が横山山頂に山城である横山城を築城し、山麓に居館「土居」を完成しました。
その後、一国一城令が発令され横山城は、僅か7年で破却されてしまいます。
しかし、山麓の土居は吉川氏13代の居館として明治まで存続します。



現在の岩国城天守は三層四階の珍しい桃山風南蛮造りです。
錦帯橋からの眺めを考慮して本丸跡の南側に昭和37年に再建され、内部は資料館となっています。 
最上階からの眺めは素晴らしく、特にに錦川に架かる錦帯橋を見下ろし、天気がよいと遠く瀬戸内海の島々まで展望できます。



岩国城の現在の復興天守は、錦帯橋付近からの景観を考えて本の丸南側に建てられていますが、本来の天守跡は本の丸北側にあり、本来の天守台跡が残っています。



全体的には、大規模なお城ではありませんが、随所に石垣が残っていて、近世山城の姿を今に伝えています。



ちょっと逆光で鮮明ではありませんが、こちらは天主を本来の天主台跡方面から見た岩国城です。



続く.......................................................。