Ommo's

古い曲が気になる

熊本地震

2016-04-15 | 日記・エッセイ・コラム

 

 九州・熊本で大きな地震があった。不思議な偶然だが、あの震度7の大地震が起きる一時間くらい前、熊本の友人・森本くんと電話で話をしていた。福岡の森本裕二くんは、今、熊本で単身赴任の生活をしているのだ。

 じつにありがたいことに、森本くんはわたしの北海道・帯広での老老介護の生活を気づかって、毎週のように電話をくれる。もちろんいつも話しは1969年代70年代の音楽の話になる。話しだすとそれは長くなる。

 以前も書いたが、森本くんと知り合ったのはもう40年も前のこと。彼は、遠い九州からやって来た帯広畜産大学の学生さんで、わたしの、帯広駅前のレコード店のお客さんだった。ロックにやたら詳しい大学生だが、帯広の飲食街でギターを弾いて歌っている、と知ってその歌を聴かせてもらった。以来、わたしが主催する浜田省吾や、ふきのとうや、ユーミンなどのコンサートの前座で歌ってもらった。それだけじゃない。矢沢永吉や長谷川きよしやハイファイセットなどのコンサートでは、プロモーターであるわたしのアシスタントのように働いてくれた。

 森本くんが帯広畜産大学を卒業して九州にもどってからは10年に一度くらいしか会ってないのだが、いつもわたしのことを気づかって連絡をくれ、酒の肴を送ってくれ、CDやDVDや70年代の音楽にかかわる本を送ってくれる。

 その森本くんが、3月から熊本で仕事をしていて、昨夜も熊本から電話をくれた。ハリー・二ルソンやポール・マッカートニーや、チェスレコードなんかのことを話だすと長い。話はつきない。また、そうして長話をして電話を切った。

 そうしてやや1時間。テレビのテロップに「震度7の地震、震源は九州・熊本」と出た。

 

 「震度7? それは‥‥ただ事でないゾ」、5年前の記憶がよみがえった。わたしは浦安で震度6を体験した。あの東日本大震災の揺れは強烈だった。浦安では家屋の倒壊こそなかったが、液状化現象で道路も一戸建ての家の敷地もグチャグチャになった。地下埋設のガス管、水道管はズタズタになって、電気も消えた。東京ディズニーランドは敷地も駐車場もメチャクチャになってずいぶん長く休業した。電線はすぐに復旧したのが、原発の水素爆発で、電力供給がパンクするとか‥‥で、計画停電がつづいた。(『計画停電』という無計画停電の、突然、電気が消える、あの恐怖と、あの不便はない。もちろん時の政権民主党の愚策だから、民主党サポーターのテレビ・新聞のマスメディアは報道しない。だから、北海道・帯広の人は知らない)。

  

 東京に近い千葉・浦安でも、電気・水道・ガスのインフラも含めてすこし落ち着いたのは、8月の真夏ころだった。(3月11日に地震があって、すこし気が休まったのは、8月の盆頃なんだよ、東京でも‥‥‥。東京の繁華街、銀座などずっと街灯を間引きして点灯していた。地下鉄のホームも、蛍光灯を抜いて薄暗かった。東北の人たちは‥‥‥おそらく‥‥今も、2万人近く人たちが仮設住宅に暮らしている)

 あの、震度5クラスの強い余震におびえる日々(ひと月以上、毎日毎日、強烈な余震がつづいた)を思い出す。