日が暮れて、しばらくしてから起きだした父。父親の起床を確認してから、飯をつくりはじめる。父親は、毎日起きる時間が、まったくちがうのだ。
『クソ、おかず海苔が、ない!』、父の食事をつくりだして、欠品に気づいた。おかず海苔がない! 父親が毎日かならず食べるもの、使うものは、数あるのだが、気をぬくと、つい品切れさせて、あわてて買いに走る。
そんな父のための、食品や薬やそのほかの備品を、押入れだの、タンスだの、家中の収納部分に満載していた母だが、深夜に自転車で遠くのスーパーまで買い物に行っていた、という。帯広に帰ってきて、叔母(母の妹)からその話を聞いたときは、父親に殺意を覚えた。
じぶんに必要な物を買い忘れていたり、あるいは、人のミスをみつけたとき、父は、強く怒ったりしない。皮肉まじりに嘲笑する。人の無能をあざ笑う、という物言いをする。普通の常識的感性では、けっして親しい人間に対して口にする言葉ではない。家族でもだれでも、容赦しない。
これには、深く傷つく。だから、母は、翌朝の朝食に欠かせないものか、翌日父親がつかうものを買うため、あの末期がんでやせ細った体で、真夜中に自転車に乗って、深夜までやっている店までいったのだろう。
きょうのわたしの場合、おかず海苔だ。これを父は、かならず、まず食事のはじめにムシャムシャと食べ、ビールを飲みはじめる。
晩餐の、はじめは、おかず海苔。そして、リンゴで終わる。
わたしは、おかず海苔の欠品に気づいて、料理途中で着替えて、寒風のなか、近所のスーパーにでかけた。ダウンジャケットにオーバーズボン、目出し帽にゴム長靴。歩いて15分のところに、21時45分までやっている店がある。
こんや 買ってきた、おかず海苔。 このように台所の引き出しに収納しておく。毎日スーパーにいって、不足しているものを補充するのだが、『もうそろそろ、おかず海苔が無くなるぞ』と思いながらも、この数日、店にいっては、忘れていたのだ、なぜか。ただ、ジジイだから、だろかな‥‥‥‥‥。
しかし‥‥‥‥わたしは、今夜、おかず海苔を買うために、小雪ちらつく夜道を急ぎ足で歩いていて、『おれの人生って、けっきょく、こういうことだったのね』 と、しみじみ思った。父親の、おかず海苔 のために夜道を走る。こんなことしかできん、わけだよ。俺のこと、『おかずのり小僧と呼んどくれ‥‥‥‥‥‥』
父親が、毎日食べるアイスキャンデー 。これは、ほとんど二日で空になる(2段に積んであるんだよ)。下の冷凍庫にびっしりボックスをキープしているが、その補充もいそがしい。タバコのカートンの補充もある。
(わたしは、30年くらい前にやめたから、タバコの煙も臭いも、嫌いだ。だが、父親はヘビースモーカーだ。じぶんで買いにいけるわけじゃないから、無くなるのは不安だろうと思い、つねにワン・カートンの予備があるようにしているが‥‥‥‥‥)
わたしには、こういう父親の食生活や、タバコや、さまざまなライフスタイルが、信じられないほど、あまりに、ゼイタクだ。(石油ストーブをガンガン焚いて、下着姿で汗かきながら、アイスキャンデーを一日10本以上食べる‥‥‥‥‥生活とは‥‥‥? 食事のはじめは、かならず、おかず海苔、という生活、とは‥‥‥‥)
溺愛する両親に育てられ、8人の姉たちに愛され、とことんつくす妻がいて、その人に60年いじょう頼って生きてきた、父にとっては、当たり前、普通のことなんだろうが‥‥‥‥‥。