Ommo's

古い曲が気になる

今夜は、クジラの刺身

2014-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

 

  数日まえの日曜日。まっちゃん・げんちゃんのライブをみて、ブルースハープから出ると、外は雪。大雪だ。また、雪かいな、とウンザリした。

  だが、またまた、今日、雪。カンベンしてくださいね!  雪も、冬も、もういらない!

 

  雪道だったから、往復40分くらいかかったが、いつものように、日暮れに近所のスーパーまで歩いた。父親の牛乳が、2パックしかストックにないのだ。冷蔵庫に3パックがないと、わがお父様は、不機嫌でいらっしゃる、のだよ。

  1年と10ヵ月ほど前、帯広にもどったばかりのとき、「おまえ、いつ買い物にいくんだ! 」と、起きてきたお父様がおっしゃる。

『なに言ってるんだ? このクソ・ジジイ?』と、意味がわからない。なになに‥‥‥なんのこと? と、怪訝な顔をしてジジイをみた。すると、「牛乳が、なくなるだろ!」と、クソ・ジジイが言いくさる。

  父は耳が悪いから、じぶんの声をよくモニターができない。やたらデカい声で怒鳴る。その瞬間、こっちの感情は、ブチ切れる。

   しかし、ブチ切れても‥‥‥‥わたしは、学生のときや、帯広にいて北海道全域をテリトリーにしたプロモーターだったときのように、とことん反論して、どなる・争う、ということにしない。争わないんだ、もう。もう、老人だ、死ぬ歳だからね。

 

  おれのやること、それが嫌なら、そのことに関わる、すべてをやめる。手をひく。『あッ、そう。あんたらで、勝手にやって、チョンマゲ』と、なる。しかし、今回の相手は、嫌いでも、親だ‥‥‥‥じいさんのこと、頼むね、と、母に死ぬとき頼まれたし‥‥‥‥クソ‥)

 

 

  母親は、いつも冷蔵庫に3パックを常備していた。その1パックが空になると、キッチンのシンクの上、一番目立つ、水道蛇口の横に空の紙パックをお父様が置く。それが、『ワン・パックは無くなった。残りは、2個だ。すぐに買っておけよ!』という、クソ・ジジイのサインらしいのだ。わたしは、そのサインを知らなかった。許してください、お父様。

  しかし、いくら牛乳好きといっても、口を開けているやつのほかに2パックのストックは、いらんだろ。と、帯広にもどったばかり、50年ぶりくらいに父親と同居したとき思ったものだ。

  だが、ちがった。老人ふたりの生活に、なんで大型冷蔵庫が2台も必要なのか、じつに不思議だったが、だんだん意味はわかってきた。母のあの体で、毎日買い物にでるのは、つらい。父親がかならず毎日食べるものを、大量に買ってストックしておくために、2台の大型冷蔵庫が必要だったのだ。

 

  わたしは、牛乳を飲まない。だから、50年ぶりに同居して、やたら牛乳に固執する父親にかなり違和感があるのだ。父のこだわりの趣向を知らずに、いつも飲んでるブランドと違うやつを買ってきたときは、いっさい手をつけない。『北海道・十勝の牛乳だぞ。どれも新鮮で美味いだろ。北海道の牛乳のブランドを選ぶ? 日本中のほとんどの人は、そんなゼイタクなこと、できんぞ!』

  わたしは、牛乳が嫌いなわけじゃない。むしろ、味も好きなのだが、悲しいことに、ひどい拒否反応がある。アレルギーとは、ちょうとちがう、と思う。ひどい腹痛と下痢で苦しむ。牛乳を飲むと、すぐに下ッ腹がとんでもなく痛くなって、そして、すぐに強烈な下痢症状がやってくる。だから、学校給食の乳製品には手をださなかった。昭和20年代、30年代、いつも飢えていたのに、残したのだよ。

 

  わたしは、アイスクリームやソフトクリームも大好きだが、食べるときは、覚悟して食べる。だから、子供のときから、外で食べないようにしている。大好きなアイスを食べて、悲しき下痢になる。

 

  そんなわけで、わたしのお父様が、あれほど牛乳好きで、なぜ、わたしは、ここまで牛乳拒絶なのか?  わたしは、DNA鑑定が必要ではないか? と、思っている、最近‥‥‥‥‥。

 

 

   今日、スーパーでクジラ肉をみつけた。イルカかもしれないが、小型のクジラがイルカだ。そんなわけで、クジラの刺身を食べながら、イタリアの安ワインを飲んで、この文章を打っている。外は、雪。大雪だ。

   春よ!