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古い曲が気になる

「ハイ・ファイ・セット」山本俊彦さん逝く

2014-03-29 | 日記・エッセイ・コラム

 

   赤い鳥、ハイ・ファイ・セットの山本俊彦さんが亡くなった。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140329/k10013338361000.html

 

  もちろん、わたしは、ハイ・ファイ・セットのプロモーターだったことがあるから、山本俊彦さんといっしょに食事をしたこともある。酒を飲んだこともある。

 

 

      ハイ・ファイ・セット    燃える秋 http://www.youtube.com/watch?v=9qWuqe9tuVo

"桐生亜希が、その青年をはじめて見かけのは、祇園祭の宵山の雑踏のなかでだった"

  燃える秋、曲は、わが尊敬する、武満徹先生だ。なんど聴いても、しびれる。詩はもちろん、小説の作者、五木寛之さん。

 

GOLDEN☆BEST/赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄

ハイ・ファイ・セット スーパー・ヒット DQCL-6005

      ハイ・ファイ・セット     中央フリーウェイ http://www.youtube.com/watch?v=X2lUWOI9Dyo

      ハイ・ファイ・セット    冷たい雨  http://www.youtube.com/watch?v=qJyLWYGHyrU

 

 

   ごく最近のこと。九州の森本くんと電話で話をしていて、ハイ・ファイ・セットが話題になった。森本くんが、ハイ・ファイ・セットの、幻のアルバムのような古いCDを買った、という。そこから、わたしたちは、長いハイ・ファイ・セットの話になった。

(北海道のわたしと、九州の森本くんは、ときどき携帯で長い話になる。スカイプかなんかを使えばいいのだが、しかし、ジジイのわたしとしては、そういうことがメンドウなのだよ)

   わたしは、荒井由実がデビューする前、東芝レコード(そのころまだ東芝音楽工業だったか、東芝EMIになっていたか、さだかでないが)から送られてきたテスト盤のLP『ひこうき雲』を聴いてすぐに、東芝の宣伝担当・高橋さんに「プロダクションを紹介してください」といって、プロモーターになった。

(わたしは、浜田省吾のことだけやってたんじゃないだ。ユーミンの最初のプロモーターでもある。そして、ポリドール・レコードと組んで、井上陽水を北海道から火をつける、ということもその前にやってる。解散したキャロルの矢沢永吉、ジョニー・大倉のプロモーターでもあったのだ。そして、浅川マキさん、りりィ、そして、中村雅俊さん。ショーケン。北海道全域を、帯広のわたしがやっていた‥‥‥じつは。モップスのプロモーターでもあったのだ。まぁ、今ではすべて、どうでもいいことだ。ジジイのむかし話だ‥‥‥‥)

 

 

   そんなことで、荒井由実が好きで、デビューしたときから、宇崎竜童さんのダウン・タウン・ブギウギ・バンドとのジョイントコンサート・ツアーを企画したりした。

  そういう流れで、『竹田の子守唄』の赤い鳥 が解散して、ハイ・ファイ・セットになったとき、これは、わたしが売るべきものだ、と思ったわけだ。「ついに、荒井由実みたいな、ソフィケートされたソングライターが出てきた。音楽的に単純で、辛気臭いフォークソングには、もう、あきたな! もっと洗練されたことをやりたいな」と思っていたのだ。

  最近の森本くんの電話で、30年以上むかしのわたしが『俺は、ハイ・ファイ・セットを売る。これからは、こうしてファショナブルで、洗練されないとダメだ』と、ある飲み屋で、ハードロック、ヘビメタ、R&B、どろどろのブルース・マニアの前で宣言したというのだ。そのことを思い出したの、という九州・森本くんの話だった。

  もちろん、わたしは、宣言しただけじゃない。コンサートをプロモートした。そして、わたしの、帯広駅前の7坪の小さいレコード店では、ハイ・ファイ・セットのLPレコードは長い間、驚異的に売れた。

  帯広の人口16万人、十勝のマーケット30万、ならいくらの適正売上‥‥‥とか、レコードメーカーが出す数字なんて、わたしには、なんの関係ないもないのね。つまり、マーケットは、じぶんがつくるものだ。それだけ。そうしてやっていた。それがわたしの小さいレコード店、サウンドコーナー、駅前店だ‥‥‥‥‥。

 

 

  若いとき、いっしょに仕事をしたミュージシャンの訃報に、心が痛い。