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古い曲が気になる

ひまわりを飾る

2014-03-28 | 日記・エッセイ・コラム

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   桜の開花がニュースにある。ここ北海道東部は、とうぶん桜は咲かない。くやしいから、いっそのこと机の上は夏にした。ひまわりだ。

 

ひまわり HDニューマスター版 [DVD]

 

  『ひまわり』は、わたしがレコード屋になってすぐに封切りになった映画だ。サントラ盤がよく売れた。帯広駅前で、小さいレコード店を開店したばかりで、知名度もなく苦しんでいるとき、じつにありがたいLPレコードだった。

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  ひまわり、というタイトルと少しちがって、戦争に翻弄された女と男の、切なくも悲しい話だ。イタリアの名優ふたり、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニは、もちろんみごとだ。だが、『戦争と平和』のナターシャ役で世界を魅了した、ロシアの女優、リュドミラ・サベーリエワの哀しくも切ない美しさは、この映画が成功した大きな要素でもあるだろう。

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  ロシア映画『戦争と平和』、ナターシャ。

 

  『ひまわり』、映像も、じつにすばらしい。(撮影は、イタリアのジュゼッペ・ロトゥンノ)

  そして、音楽だ。ヘンリー・マンシーニだ。

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    映画『ひまわり』 のテーマ http://www.youtube.com/watch?v=VX0u0K3qt6Y

 

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  http://www.youtube.com/watch?v=GOQAuujuCxs

  もちろんここは戦場だったから、イタリア人やドイツ人やロシア人の、何千という兵士たちが肥料となって、美しいひまわりが咲く、というわけだ。

 

  ヘンリー・マンシーニの音楽は、『ティファニーで朝食を』のオープニングで、わたしは少年時代、ひどく感動した。映画というものの、美しいはじまりは、このシーンにつきるだろ。

  『ティファニーで朝食を』オープニング http://www.youtube.com/watch?v=1JfS90u-1g8

 

 


夕暮れに‥‥‥‥靖国神社

2014-03-28 | 日記・エッセイ・コラム

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   これもずいぶん前の写真だ。北海道に帰るまえだ。

   わたしは、仕事帰り、夕暮れに靖国神社に参拝する‥‥‥‥‥この、すこし前、この参道は全部、玉砂利だったのだ。それもまた、いい雰囲気だった。

   仕事帰り、毎週のように靖国神社に参拝したものだが‥‥‥‥‥‥‥


ソメイヨシノ

2014-03-28 | 日記・エッセイ・コラム

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   この写真は、北海道じゃない。数年まえ、近所の運河沿いの堤防で咲く桜だ。ソメイヨシノだ。ソメイヨシノは、関東地方で普通の桜だが、もちろん野生種ではない。人が、 改良し改良して作ってきた品種だ。本州の山里や街に咲く桜、そのほとんどすべては、野生種ではない。何百年か、あるいは何千年か、人の美意識でつくってきた品種なんだ、じつは‥‥‥‥‥。

  このソメイヨシノが美しく咲くところは、わたしが長く暮らした浦安にあった。汚い運河沿いの堤防に植えられた数十本の桜の木だが、桜の花が咲くと、近所の人たちが手づくりのお弁当をひろげて花見をしている。それは、花見の酒宴という感じではなく、遠足か、ピクニックという雰囲気で、わたしは、好きだった。

 

  東京メトロ・東西線沿線の行徳、南行徳、浦安 での生活が長かったので、あの界隈がひどくなつかしい。30年くらい前、東京にでて、川崎・横浜もふくめて転々としたが、北海道にもどるまえ15年くらいは、この地下鉄東西線沿線にいたのだ。流転・放浪の人生で一番長く住んだのは、この界隈かな。

  便利なんだ。銀座にいくのも、皇居東御苑にいくにも、靖国神社にいくにも、神田神保町の書店街にいくにも‥‥‥‥わたしのいま行きたいところに、部屋から徒歩ふくめて30分以内にいける。地下鉄の料金は、230円だ。朝・夕暮れは、5分、昼間でも、電車を10分待つなんてことはない。

  浦安、なつかしい。

 

  じつは、わたしは、この東京メトロ東西線沿線、行徳・南行徳・浦安が、人生で一番長く住んだところなんだ。

 

  青森県八戸で生まれ、2歳のとき、北海道・釧路に移り、3歳で帯広にやってきた。(父は帯広の人、母は音更の人だ。祖父母は、福島の人)。東4条10丁目あたりのアパートにまず住んだが、すぐに西5条25丁目に新築された市営住宅に引っ越した。これが、4歳の冬だったかな?

  (わたしは、幼児期から今まで、ほとんど連綿とした映像記憶をもっている。これが普通のことだろ、と思っていた。だれもみんな、そうだろ、と思っていた。最近、弟と話をしていて、「そんなことがあったんだね!」といわれ、忘れることも、またいいのかな、とも思う。)

  小学校は、帯広明星に入学して1年だけいて転校して、帯広北栄を卒業した。中学は、帯広一中入学卒業だが、中の二年生の一年間、帯広五中に転校していた。一中を転校するとき、サヨナラみなさん、みなさんのこと、ボクは、一生忘れない、と涙で挨拶した、その中学に3年のときなんだかまた帰ったわけだよ。帰ってきたヨッパライにちかい。

  いつも転校生、いつも転校生で、なんだが忙しく、入学してじっと3年平和に過ごせたのは、帯広三条高校だけかな。