☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

1⃣七サバ参り  ⓵中之宮左馬神社・⓶下和泉鯖神社

2021年02月07日 | Weblog

泉小次郎の神社を探している時に中之宮左馬神社と言う神社に偶然行きました。
この神社を調べるいると、和泉川沿い12社「さば
神社」がある事を知りました。
そして「さば神社“さば”とは、古い官職で左馬頭を指すそうです。
神社に祀られているのは平安末期の左馬頭だった源義朝、源満仲です。

さば神社には左馬佐波と色々な表記があるようです。
江戸時代中期から明治時代初頭にかけて、これらのサバ神社を巡る「七さば参り」という風習があったそうです。
今は無いようですが、私も7か所は巡って見たいと思います。
これらのサバ神社は各集落の鎮守として祀られており、いずれも川や水田を見渡すことができる台地の端部に位置している。 
民俗学者の国木田独歩さんも何故この地域にさば神社あるのだろうと書いてあったそうです。

①中之宮左馬神社が私が最初に出会った
さば神社」です。
森の畦道を歩いて道路に出会った所に古い神社がポツンとありました。
        

中之宮左馬神社の祭神は左馬頭源満仲(さまのかみみなもとのみつなか)天照皇大神(あまてらすおおみかみ)で中和泉地域の鎮守さまと書いていました。
鯖神社の祭神は頼朝のお父さんの源義朝や、その祖先の源満仲だそうです。
この神社は1625年和村の領主となった松平勝左衛門が村の鎮守として再興しました。

総けやき造りの本殿は立派な作りです。
神社を見学に来ていたら他の人が話しかけてきました。
「右の端の倉庫は貨物列車用のコンテナで作っていると」
よく見ると貨物列車コンテナで倉庫の上に赤い屋根も付いていました。
節分の後だからか?お赤飯がわらに包まれて備えられています。
この神社の氏子さん達が神社を守っているようです。

②下和泉鯖神社
昨年コロナが始まった時に行った初めて行った天王森泉公園へ行き、周辺の散歩マップをもらいました。
この公園は涌水があってワサビ畑山野草がたくさん種類植わっていて時々寄ります。

何時ものように園内を歩いていると写真を撮っている方がいて、
そこには小さくて目立たないけど、よく見ると美しい花のユキワリイチゲ(雪割一華)が数個咲いていました。
一番奥の涌水沿いのワサビ畑と福寿草も載せました。
  

散歩マップを見るとこの公園から15分ぐらいの近場にで下和泉鯖神社があります
この地図だけでは頼りないので、泉区の地図も持って歩きました。
地図を見ると重機工場の横の道です。そこは本当に細い路地です。
それに鯖神社がありますよの表示もない。
一応その道の通りを奥まで行くと左側に行くみちがあり、目の前に鳥居と階段が現れました。
  
写真の通りこの神社のいわれが書いてある立札もありません。
これが鯖神社なのかなと思ってお参りして上を見ると鯖神社とありました。
パソコンで調べると
慶年間(1600年前後)に建てられた神社で祭神は左馬頭源光仲だそうです。
何故この神社の名前が、左馬から鯖神社になったのでしょうか?不思議。

大正時代に神社のすぐ下に清水製糸場があり、その本館が今は天王森泉公園に移築された建物だそうです。
この和泉川沿の豊富な湧水を活かして大正時代には20を上る製糸場がありましたが
関東大震災1923
年や大恐慌1929年、そしてナイロンの開発もありその勢いは急速に衰えたそうです。

散歩マップをたよりにもう少し歩き、環状4号線を渡る橋を通って密蔵院へ行って見ました。
高野山真言宗で、開山は祐海法印(1545年寂)。
  
環状4号線の道路工事により寺の所有地が広く提供され、境内が分断されて寺域の環境が大きく変わったそうです。
「四国八十八ヶ所お砂踏み霊場」があり、家族の健康を祝って88箇所を歩きました。今日は6500歩でした。

コメント (4)
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