tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

労働時間問題を少し深掘りすれば-3

2017年06月12日 09時50分22秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば-3
 前回、労働時間問題を考えるための1つの基準として
・労働時間=拘束時間、他者支配の時間、所得を得るための時間
・生活時間=自由な時間、自己裁量の時間、所得を消費する時間
という分類をしてみました。

 最近世界的にも論議の的である ワーク・ライフ バランスなどで論議されるのは、通常こうした前提という事になるのでしょう。
 確かに労働時間法制という立場からすればそうかもしれませんが、現実の労働時間問題というものにはもう1つ「人間的な側面」があるという事が絡んできます。

 それは、「拘束時間、他者支配の時間」の中でも、他者支配意識に濃淡があり、また「自由時間、自己裁量の時間」の中にも自己裁量意識(あるいは意欲)に濃淡があるのが普通だからです。

 例えば、青色発光ダイオードを世界で初めて出現させた中村修二氏は、「会社に寝袋を持ち込んで、24時間体制で実験に没頭していた」そうですが、中村さんご本人には「労働時間」などという意識はなく、「午後5時退社」などは迷惑至極の制度だったでしょう。
 仕事に対する意識が高く、自らの裁量で仕事が出来れば、人間は、意識も行動も変わります。

 労働基準法でも、経営者や管理職には週40時間の規定は適用されず、残業代も付かないのは「経営者や管理者の労働時間は自己裁量の時間」と考えられているからでしょう。
 専門職などでも同じような立場の人はホワイトカラー・エグゼンプションとするというのは同じ思想でしょう。

 しかし今の日本で、これに反対が強いのは、「本当は自己裁量でない人」にも適用される可能性が大きいからでしょう。
 現に職制では管理職でも、自己裁量のできない現実の中でkaroshiにまで至る(労災認定)例もあるようです。(そういえば「名ばかり管理職」などいう言葉もありました)

 一方、拘束時間の中で自己裁量が可能というケースも、勿論あります。本来これは個々人の能力を伸ばす良いシステムのはずですが、時には悪用されます。「遅出で残業」とか、「うすのろの残業」などと揶揄されるような場合です。

 長期不況の中で、こうした「古き良き慣習?」は無くなったようですが、ことほど左様に、法律で縛りきれない世界が「労働時間問題」のようです。

 労働時間法制は労働基準法の中ですから、本来、労働の最低基準を決めるものです。ですから、どんな人にも働くことによって、人間の健康や生命、尊厳が維持されないといったことがないようなものでなければならないでしょう。

 しかしそうした法制は、健全な人事労務管理や労使関係によってはじめて現実のものになるのです。
 かつての様に、企業は「人間中心」「長期的視点」で、雇用管理、人事労務管理こそが企業の最大の課題と考え、.労使関係は世界に誇る信頼関係といった日本経済が健全だった時代の産業社会の文化の復元が、法律制度に増して大きな課題のように思われます。

労働時間問題を少し深掘りすれば-2

2017年06月10日 12時00分37秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば-2
 ご存知の「A.マズローの欲求5段階」の生存欲求の段階で見れば、人間は生きるために、採集か狩猟や栽培・収穫などの労働をしなければ、生存できないという事で、労働の時間と、その成果で生活する時間の2種類の生活を生きているとも言えるでしょう。

 こうした考え方は、現代の企業社会、労働基準法によって律せられる社会でも基本的には同じだという事も出来るのでしょう。

 法的側面から言えば、労働時間は労働をするために拘束されている時間で、経済的側面から言えば、その時間については労働の対価として賃金(生活のための所得)が得られるという形になります。

 人間生活が、基本的には地球環境の中での自然に支配されていると考えれば、生活の単位は1日、つまり24時間で、これを単位にして、その中で、労働の時間と、生活の時間が分けられることになります。

 そして、人間は所得によって生計を賄うのですから、通常、労働の時間が長ければ、所得が多くなり、生活時間の内容が充実するという事になります。
 本人1人の労働と生活の場合はその通りですが、家族がいれば、事情は少し変わって、所帯主が長時間働いて、本人以外の家族の生活を充実させるという考え方も出てくるでしょう。

 「俺の働きで家族に楽をさせる」(端を楽にする=働く)という、犠牲的精神、自負心も一概には否定できないケースも出てくるでしょう。
 しかし、こうした家族は少なくなって、成人したら、それぞれに働く時間と生活の時間を持ち、家族の中でそれを調整したりしながら、「ワーク・ライフバランス」を考えるというのが一般的なスタイルになってきたのが今日です。 
 こうして、労働時間は個人単位に分解され、
・労働時間=拘束時間、他者支配の時間、所得を得るための時間
・生活時間=自由な時間、自己裁量の時間、所得を消費する時間
という形で「労働時間と生活時間」両者のバランスをどうとるかという「 ワーク・ライフバランス」が論じられることになっています。

 勿論これは今日世界的な議論です。しかし、これだけではどうしても、割り切れない部分が、特に日本では、労働時間問題に付きまといます。
 それは「労働」と「生活」といった「二分法」で割り切れないのが現実の人間の生活態度であり、人間の心の在り方だからでしょう。

 勿論労働時間法制だけで、この問題が解決できることはないでしょう。解決のためには、現場の労使を含め、広く労使関係全体の中で、人間同士のふれあいと話し合いの中で育つ社会文化、企業文化があってこそ本当の解決が期待できるのでしょう。
 次回はもう少し具体的な問題も考えてみましょう。

労働時間問題を少し深掘りすれば

2017年06月09日 15時33分45秒 | 労働
労働時間問題を少し深掘りすれば
 安倍政権の「働き方改革」の第一の問題、労働時間の短縮には、基本的に大賛成です。
 ILO(国際労働機関)の第1号条約は労働時間ついての条約で、100年近く前の1919年に採択されたものですが、週48時間を規定しています。

 いろいろな事情はあるようですが、この条約を日本は、今に至る批准していません。基本的には、今の日本の労働時間法制が、これに抵触するから出来ないという事なのでしょう。
 
 世界の最先進国の1つである日本が第1号条約を批准できないというのは情けないことです。
 確かに、労働を基本的に苦役とする欧米文化と、働くことは善とする日本文化の違いはあるでしょう。
 しかしkaroshi (過労死) などと言うローマ字で世界に有名なるようなことが起きる場合は、いくら日本人でも労働はまさに苦役でしょう。

 以前ILOで「ミスター労働時間」と言われた人が、いつも、「労働時間問題は深入りすると大変だよ」と言っていたという話を聞いたことがありますが、労働時間問題にかかわる方たちでも、実感されることが多いと思います。

 よく言われるように、労働時間短縮を言う担当省庁のお役人は勿論、時短を要求している労働組合の幹部まで、本人が長時間労働をしているという現実は、今でもあまり変わらないようです。

 なぜこんなことになるのでしょうか。
 答えは「労働」というもの「そのもの」の中にあるように思います。労働というのはまさに「労働基準法」の様に法律で使われる言葉ですが、日本語で言えば、同じことが「働く」とか、今ではあまり使われないのかもしれませんが「勤労」などと言われ、「働く」は「端を楽にする」ことだなどと、人間としての高度な活動に位置付けられています。

 プロテスタントは「働くことは神に嘉されること」と言い、欧米でも寝る間も惜しんで研究や開発に没頭する人は結構いるようです。
 宗教を問わず、基本的に人間である限り、共通な側面を持っているのでしょう。

 人間にとって、必要で、大事でもある「労働」ですが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で行き過ぎると人間を破滅に導くことも現実で、これを法律で何とかしようというのが、今の「働き方改革」の考え方でしょう。

 ならば、この問題をもう少し深掘りして、納得できる労働の在り方というのはどんなものなのか考えてみるのは如何でしょうか。(以下次回)

元気だが舵取り不明の日本経済

2017年06月08日 11時27分19秒 | 経済
元気だが舵取り不明の日本経済
 何はともあれ、日本経済は元気なようです。OECDは昨日発表した世界経済見通しで、2017年の日本経済の実質成長率を、前回の予測より0.2%高めて1.4%と改訂しました。アジア向けの輸出が増えるという説明があるようです。

 このブログでも、日本経済はマクロで見ても、 企業統計などのミクロで見ても 、経済外的な事でもない限り、当面安定成長路線を目指すだろうと見て来ました。

 今朝ほど今年1-3月の第2次GDP速報値が発表になり、瞬間風速(1-3月期の対前期比成長率の年率換算値)が、 第1次の2.2%から、1.0%に改定になったとのことです。大幅な下方修正のように見えますが、対前年同期比で見れば、1.6%成長が1.3%成長に見直されたもので、トレンドとしてはOECDの1.4%の近辺にあります。

 一方、国会論議を見れば、アベノミクスなどは何処へやら、国民の不信感が、いろいろな形で高まりそうな状態の連続ですが、さらに不安をあおるのが、北朝鮮のミサイルです。
 今朝も1発が発射され200キロほど飛んで日本海に落下したそうですが、政府が安全ですと言ったのは、時間的には、本当にミサイルが飛んで来れば、疾うに着弾してからではないかと疑念と心配ばかりです。
 専守防衛の日本としては、アメリカ、韓国の情報に依存するのではなく、日本の情報が一番速くて正確ぐらいのことが出来なければ、国民は本当には安心できません。

 話を経済に戻しますが、こうした国民の多様な不安感、不信感の中で、日本の企業、国民の頑張りで、経済は何とか健全に動いているのです。
 しかし、長い目で見れば、政府の舵取りが確りしない経済にはやはり不安が残ります。

 OECDも日本経済の成長率を上向き改定した中で「財政健全化の道筋をキチンとしないといけません」と言っていますが、現政権は、不可能がすでに明らかな「 2020年プライマリーバランス回復」という念仏を未だに唱えているだけです。

 今日は、また2016年度の経常収支が発表になり、20.2兆円の黒字でマスコミはリーマンショック前を回復と言っていますが、黒字が大きければいいというものではありません。アメリカはじめ赤字の国からは「国際的不均衡」と陰に陽に文句をつけられ、円高になる原因を作っているのです。

 前回も書きましたように、大幅黒字が円高に反映することを避けるために日銀は異次元金融緩和をしています。結果がゼロ金利で、定期預金にも国債にもほとんどまともな利息は付かず、貯金は増えていきません、仕方なしに、貯金を積み増す(自分で利息をつける)ことになり、家計は緊縮で、 消費は伸びず、経済成長の足かせになっています。

 輸出が伸び、経済成長が高まっても、消費が増えなければ、 その差額である経常黒字が膨らむばかりです。これはいずれ対日批判を呼ぶでしょう。
 現政権の経済政策はいったい何を目指しているのやら、というより、現政権は「一体何を目指して政治をいるのか」見えてこない中で、国民、消費者、家計は将来不安がますます募るのではないでしょうか。
 それがまた消費にブレーキをかけ・・・。この辺でやめておきます。

異次元緩和から出口模索へ?

2017年06月07日 11時29分47秒 | 経済
異次元緩和から出口模索へ?



 異次元金融緩和で日銀は年間80兆円の国債を買うというペースで市中にカネを流すとしていましたが、最近このペースが落ちて来たようです。
 異次元緩和もそろそろ、その役割を終える時期が来ているようです。

 昨年9月、日銀は量的緩和から 長期金利を重視し、量的緩和はその手段と位置付けるといった新方針を出しましたが、黒田総裁としても、マイナス金利導入が思惑外れの結果になって以来、金融緩和の出口への模索を続けているのでしょうか。

 今年の5月には、国会で、 出口戦略について言及しましたが、具体的な内容には至らなかったようです。 
 もともと、アメリカと同じ2%インフレの達成を目指すという形で異次元緩和を続けてきたのですが、アメリカはインフレになりやすい国、日本はインフレになりにくい国ですから、同じ目標には無理があります。

 前白川総裁はアメリカが2%インフレ目標を言った時、 日本としては1%を考えるとしていましたが、この方が現実的でしょう。
 いずれにしても、2%達成などは現状では不可能でしょうし、それに固執すればするほど、金融緩和の悪い副作用が酷くなりそうです。

 現にマイナス金利は、金融機関の収益性だけでなく金融システムにも悪影響を及ぼしているようですし、 本来非合理的なものですから、長く続けることは出来ないはずです。
 ゼロ金利ですら、財団運営などに支障をきたすだけでなく、年金システムに致命的な損傷を与え、確定拠出などという奇妙な年金制度を生み落としています。

 おカネが人間の生活にとって大事なものならば、金利がついて当然、金利が付かないのは異常状態なのです。

 上図は異次元緩和政策の結果積みあがった日銀の国債保有率(発行された国債の4割を日銀が持っている)のグラフ(資料:日銀「資金循環表」)ですが、事ここに至っては、副作用の方が心配と日銀も、国債購入の抑制に入ったという事でしょう。
 異次元緩和からの出口の模索は、日銀にとっては大変でしょうが、政策変更を明確にして、国民や企業に、新しい金融政策のあるべき方向を示す時期がそろそろ来るような気がしています。

新卒一括採用と日本の企業文化

2017年06月06日 12時12分47秒 | 経営
新卒一括採用と日本の企業文化
 安倍政権の「働き方改革」、特に「同一労働・同一賃金を実現すべき」という考え方を進めていくとこんなことになりそう」という意味で、前回、欧米主要国の「若年層失業率」を見ました。

 幸いにも日本は主要国の中でも最低の若年層失業率を維持していますが、その原因の最大のものは、日本の雇用慣行でしょう。ここではそのあたりの光を当て、何が違うから結果が大きく違うのかを考えてみましょう。

 先ず、いろいろと批判もある「新卒一括採用」という慣行を、どうしても改められない日本企業、それに引き換え、「必要な時に必要な技能を持つ人を採用する」という欧米の採用慣行の違いを見てみます。

 日本の採用慣行の背後にあるのは、「必要な技能を持つ人間」を採用するのではなく「素材としての人間」を採用する」という考え方です。
 言い換えれば、欧米流では「即戦力」を採用するのですが、日本流は、「よい素材を採用してわが社で磨く」のです。

 この点は、日本の社会・文化が本来「人間中心」で、欧米の「職務中心」とは基本が違うからです。特に、今日のような、技術革新などで職務の内容はどんどん変わるという時代になると、最後は「人間力の勝負」で、そこに「 人間中心経営」の強さがあります。

 結果は、欧米では、限られた「即戦力」を持つ人の取り合いになりますが、日本では、「わが社で磨くことで即戦力者の絶対量が社会全体で増える」ことになります。わが社にも有利ですし、もし途中でやめても、訓練の成果は残り、社会全体の底上げになります。

 欧米社会(企業)がインターンシップを重視するのはその代替物としてですが、どうもそれでは不十分のようです。
 日本の大卒の新卒採用は、3年で3割辞めると言われますが、再雇用時にも、前職の経験は評価の対象になります。就職氷河期で、きちんと定職に就けなかった方たちの悲劇が言われるのも、そうした背景があるからです。

 企業は、初任給が安いとはいえ、採用してすぐペイする働きをしてもらえるとは思っていません。1年、2年、3年して、ペイラインに乗る働きをしてもらえると考え、当初は、社会人としてのオリエンテーション、仕事をすることの基礎・基本を教えるのに給料を払うという事を甘んじてやっている事になります。

 この企業努力が、日本の格別に低い若年層失業率を生み出しているという事でしょう。社会人人生の出発点で躓くことは、その後の社会人生活に大きな影響を与えます。

 就職協定の在り方やリクルートルックの行き過ぎ、さらには、就活が学業の邪魔になるなどといった点から新卒一括採用を批判する方もおられるようですが、就職協定自体、かつて日経連が廃止を宣言したこともありますし、検討の余地はあるでしょう。

 しかし、本質は「企業も学校もなぜ新卒一括採用をやめられないのか」という点を日本社会・日本文化との関連で考えてみることがより大事なことのように思われます。

若年層の失業率の国際比較

2017年06月05日 13時06分07秒 | 労働
若年層の失業率の国際比較
 6月に入って、就職戦線は、試験、面接が解禁となり、いよいよ活発化しているようです。
 ただしこれは経団連傘下の主要企業の話で、一般の企業ではすでに選考も済み、内定を出しているところも沢山あるのでしょう。

 何にしても、就職氷河期から売り手市場に変わって、新卒者も親御さんたちも、本当によかったなと実感しておられるのではないでしょうか。

 未だ経済成長率はそれほどでもありませんが、企業の求人意欲は強く、日本企業の「良い人を早くとって、将来に企業の発展に備えよう」という意欲の強さを示しています。

 ところで、この就職戦線の活況は、実はまことに日本的なもので、今、安倍政権が目指す、働き方改革が「本当に」推進されれば、消え去る可能性があるということ、ご承知の方はどのくらいおられるのでしょうか。

 日本の採用は、就職でなく「就社」と以前から言われ、何か欧米に比べると遅れているように見られたりしていますが、「就活」の活況はまさにそのせいなのです。
 日本のように、職能や専門性よりも、「良い人材」を採用するという考え方は、欧米ではあまり見られません。

 欧米では、仕事があって人がいない「空席(vacancy)」がある時、その仕事に適して人を逐次、採用するのが一般的です。「学校を卒業するから今のうちに」などと、やる仕事が決まっていない人間を「一括して採用する」などは無駄なことと考えます。

 欧米は「仕事中心」、日本は「人間中心」などといわれますが、仕事中心になるとどんな結果になるかを示す指標の一つに「若年者失業率」があります。

 OECDが発表している若年者(15-24歳)の失業率をみますと(2015年)、
 日本(最低)  5.2%、
ドイツ     7.0%
アメリカ    10.4%、 
オランダ    10.8%、
ノールウェイ  11.1%、
デンマーク   12%、
スエーデン   18.8%、
フィンランド  19.9%
イタリア    37.8%、
スペイン    44.5%  などとなっています。

 ヨーロッパ諸国では昔から若年層失業が大問題でしたが、私は半分冗談、半分真面目で、「年功賃金と新卒一括採用を導入すれば問題は解消しますよ」などと言ってきました。

 今の人間中心の日本的経営から、仕事中心の欧米流に変えよう、そして短期的な均等待遇、同一労働・同一賃金を徹底しようという考え方は、雇用だけでなくこうした社会文化的なものにも変化をもたらす可能性を持っているのです。 

 私自身は、かつての 職務給や成果主義の導入と同じように、同一労働・同一賃金も日本企業の手で換骨奪胎され、日本的経営の「人間中心」は残るだろうと思っていますが、今回は「法制度」で縛りがかかります。

 実態や本質を知らない政治家や役人が頭の中で考えたものを鵜呑みにすることは、まさか日本企業ではないと思ますが、矢張りなんとなく心配でもありあります。

ホタルにはやっぱりリンゴでした

2017年06月04日 10時20分33秒 | 環境
ホタルにはやっぱりリンゴでした

      リンゴのライスに引き寄せられるホタル
 
 我が家のゲンジボタルは、昨夜、嬉しい進展がありました。昨夜9時過ぎ、草むらの隅に置いてあった、鉢植えの地球柑(しまだいだい)の葉に明るく光る蛍を発見、そっと捕まえました。

 形が大きいので、多分雌と思って確かめましたら、光る節は1本のみ、雌でした。
 これで、現状、雄3匹、雌1匹で、多分数百個の卵を産むでしょう。ゲンジボタルの自家製サイクルの可能性が大きくなりました。

 早速、飼育・産卵用の籠に入れ、下の湿ったミズゴケの上で光るのを見届けながら、さてと、昼のうちに用意してあったリンゴを切ってスライスにし、駕籠の中に吊るしました。

 蛍たちが見向きもしなかったキュウリやメロンは取り出して片付け、さて、「明日の朝は多分リンゴにたかっているでしょう」と想像し、それにしても、「雌の羽化で、これで一安心」とゆっくり寝みました。

 という事で、今朝撮ったのが上の写真です。

 「ほう ほう ホタル来い
   あっちの水はにーがいぞ こっちの水はあーまいぞ
     ほう ほう ホタル来い」
 
 子供のころ歌った歌ですが、ホタルが好きなのは「リンゴの水」だったとは、八十路を過ぎて知りました。

ゲンジボタルの羽化始まる、2017年

2017年06月03日 11時16分36秒 | 環境
ゲンジボタルの羽化始まる、2017年
 昨年夏、採卵、孵化に成功した720匹のゲンジボタルの幼虫は、残念ながら、 私の不注意で全滅したことはすでに書きました。

 今春は、暑くなったり寒くなったりでしたが、積算気温としては昨年より低かったのでしょうか、昨年より羽化が1週間ほど遅れました。

 5月29日最初の2匹が羽化し、庭の隅の草むらで光っているのを家内が見つけ、協力して、飼育採卵用の籠(生ごみ乾燥用の籠を改造したもの:写真)に取り込みました。



 両方とも雄でした。

 それか二晩、音沙汰なしで、一昨日、3匹目が羽化しました。これは比較的大きく良く光るので雌かなと思いましたが、矢張り雄でした。そして昨晩も「ゼロ回答」。
 幼虫は雌4匹、雄20匹が上陸でしたから、早く雌が羽化しないかと待っているところです。

 ホタルの成虫は、草の露を吸うだけで、餌は必要ないと言いますが、昨年、リンゴのスライスに集まっていたので、何かやってみようと、リンゴがなかったのでキュウリのスライスを入れてみました。見向きもしません。

 それで一昨日はメロンのスライスをやってみましたが矢張り全く無関心です。
 という事で、今日は近所のスーパーでリンゴを買ってきてやってみるつもりです。

 何とかうまく元気なメスとオスが共存してくれないかと願っていますが、今迄の経験では羽化率はほぼ50パーセントぐらいなので、後は庭の隅の自然環境に任せるばかりです。

 ヘイケの方も、もう上陸してU字溝の隅の土の中で、繭を作っているだろうと思っていますが、まだ水の中で光っている幼虫もいます。
 こちらは270匹ほど放したので100匹ぐらいは羽化してくれるかなと「捕らぬ狸の皮算用」をしています。

 また進展があったら報告します。

覇権国からずり落ちるか、アメリカ?

2017年06月02日 11時16分49秒 | 国際政治
覇権国からずり落ちるか、アメリカ?
 日本時間の今日早朝、トランプ大統領は「パリ協定からの離脱」を表明しました。
 第二次大戦以降、世界の覇権国として、リーダーを任じてきたアメリカ、その巨大なGDPのゆえに(中国に次いで)世界第二の温暖化ガス排出国でもあるアメリカが、地球市民がこぞって目指す温暖化ガス排出削減の協調行動から離脱を表明したのです。

 トランプさんは選挙戦の時から、温暖化ガスの理論に疑念を表明、この議論はでっち上げなどとしてきていました。
 確かに、地球の平均気温の上昇はCO2の排出によるという理論には、異論もありますが、今日では世界中が認めている確実性の極めて高い理論でしょう。

 トランプさんにしてみれば、 アメリカは覇権国の役割を担ったおかげで損ばかりしているという被害者意識から出発しているようなところがあり、世界の警察官は止めるとか、日本やNATOは防衛費をもっと負担しろとか、不法移民がアメリカの富を蚕食しているなどと主張し、アメリカのコスト削減に熱心で、それによって「アメリカ人の雇用を増やす」というのが公約の主眼でした。

 現実の状況は、はアメリカ産業の競争力の相対的劣化が原因なのでしょうが、そうではなくて、世界中の余計な面倒など見ずに、国内の雇用増加に注力すれば、問題は解決できると考えていたようです。

 しかし、結果はどうでしょうか。シリアの軍事作戦でアメリカの武器の凄さを見せつけたり、日本海に空母を計3隻も派遣し、北朝鮮をけん制したり、世界の警察官を積極的にやってくれています。

 それに引き換え、同じ地球規模の問題でも、温暖化ガスの問題では、協力体制から手を引いて国内雇用の増加の方に注力しようという形のようです。

 日本などでは、地球環境問題に取り組んだ方が、長い目で見れば経済成長も促進し、雇用も増えると考えるのが一般的ですが、トランプさんの頭の中では、「長い目」でなく「従来」と「当面」が中心になっているようです。

 流石にアメリカの良識は健全に残っていて、石油や石炭の業界団体も、パリ協定離脱には懸念を表明していますが、トランプさんの頭の中では、職を失ったラストベルト地帯の労働者の票の数の方が大切に見えるのでしょうか。

 既にいろいろなところで見られてきていますが、これからも、トランプさんの頭の中にあるものと、アメリカの良識との葛藤が、アメリカの政治や社会、経済の中で雇用を軸に続くのでしょう。

 代わって覇権国を狙う国々もあるのでしょう。日本は、日本なりの道を、「粛々と」進むことになるのでしょうか。
 最近、国会の場などでは「粛々と」といえば、「他人がどうであろうと気にせず」という意味に使われることが多いようですが、それでいいのでしょうか。

「隠すより現る」

2017年06月01日 13時46分38秒 | 社会
「隠すより現る」
 国際情勢の不安定、国内政治の混乱にもかかわらず、さらに、先行き不安からくる深刻な個人消費の伸び悩みにもめげず、日本経済は、国際的に見ても、比較的健全に安定成長に向かって進む様相を見せています。

 日本国民そして日本企業は(例外がないとは言いませんが)真面目に、堅実に自分たちのやらなければならないことをきちんとやっているようです。消費不振にしてからが、日本の消費者の真面目さ、堅実さの表れでしょう。

 そういう意味では、日本の政治家は楽だと言えるのではないでしょうか。こんなこと書くのも、国会で問題になっていることと、いま日本の政治がやらなければならない本当に大事な事との間に大分距離感があると思うからです(例:籠池、加計 etc.)。

 ところで、このブログでは、ポピュリズムのもたらす問題についてはずっと書いてきていますが、理由は、ポピュリズムというのは、「人気のあるものが正しい」という世界ですから、時に大変困ったことも起きるように思うからです。

 「人気」というのは、時に大変浮気なものですから、長い目で見て、「人気のあるもの」と「正しさ」とは関係ないことも、往々にして起こり得ます。
 アメリカは、トランプ大統領を選択しましたが、これもポピュリズムの結果のようで、その後の政治運営はギクシャクです。

 ここで話は本題ですが、トランプ大統領のFBIコミー長官解任から端を発した「ロシアゲート」はニクソン大統領を追い詰めたウォーターゲートを想起させています。今後の事は解りませんが、「隠すより現る(注1)」(ポピュリズムの失敗)でないことを祈ります。

 諺は、時に人間の心理を穿ち、真実を人々に知らせ、世の誤り(ポピュリズム?)を正す効果を持ちますが、最近の日本では、安倍政権に対し「李下に冠を正さず(注2)」がよく言われます。

 真実は知りませんが、籠池、加計共に、知人だから便宜を図ったと多くの人が思っているからこうした諺が持ち出されるのでしょう。
 安倍さんも、その周辺も、疑惑の打ち消しに懸命で、そのようなことは「全くない」といった強い断定的な口調で否定します。
「あった」という人間が現れると、人間性否定まで試みて虚言だとします。

 これも今後の事は解りませんが、「隠すより現る」でないことを祈るばかりです。
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  注1:「隠すより現る」あまりしつこく隠すので却って本当だとばれてしまう。    
   注2:「李下に冠を正さず」立派な人は疑われるようなことはしない