労働時間問題を少し深掘りすれば-3
前回、労働時間問題を考えるための1つの基準として
・労働時間=拘束時間、他者支配の時間、所得を得るための時間
・生活時間=自由な時間、自己裁量の時間、所得を消費する時間
という分類をしてみました。
最近世界的にも論議の的である ワーク・ライフ バランスなどで論議されるのは、通常こうした前提という事になるのでしょう。
確かに労働時間法制という立場からすればそうかもしれませんが、現実の労働時間問題というものにはもう1つ「人間的な側面」があるという事が絡んできます。
それは、「拘束時間、他者支配の時間」の中でも、他者支配意識に濃淡があり、また「自由時間、自己裁量の時間」の中にも自己裁量意識(あるいは意欲)に濃淡があるのが普通だからです。
例えば、青色発光ダイオードを世界で初めて出現させた中村修二氏は、「会社に寝袋を持ち込んで、24時間体制で実験に没頭していた」そうですが、中村さんご本人には「労働時間」などという意識はなく、「午後5時退社」などは迷惑至極の制度だったでしょう。
仕事に対する意識が高く、自らの裁量で仕事が出来れば、人間は、意識も行動も変わります。
労働基準法でも、経営者や管理職には週40時間の規定は適用されず、残業代も付かないのは「経営者や管理者の労働時間は自己裁量の時間」と考えられているからでしょう。
専門職などでも同じような立場の人はホワイトカラー・エグゼンプションとするというのは同じ思想でしょう。
しかし今の日本で、これに反対が強いのは、「本当は自己裁量でない人」にも適用される可能性が大きいからでしょう。
現に職制では管理職でも、自己裁量のできない現実の中でkaroshiにまで至る(労災認定)例もあるようです。(そういえば「名ばかり管理職」などいう言葉もありました)
一方、拘束時間の中で自己裁量が可能というケースも、勿論あります。本来これは個々人の能力を伸ばす良いシステムのはずですが、時には悪用されます。「遅出で残業」とか、「うすのろの残業」などと揶揄されるような場合です。
長期不況の中で、こうした「古き良き慣習?」は無くなったようですが、ことほど左様に、法律で縛りきれない世界が「労働時間問題」のようです。
労働時間法制は労働基準法の中ですから、本来、労働の最低基準を決めるものです。ですから、どんな人にも働くことによって、人間の健康や生命、尊厳が維持されないといったことがないようなものでなければならないでしょう。
しかしそうした法制は、健全な人事労務管理や労使関係によってはじめて現実のものになるのです。
かつての様に、企業は「人間中心」「長期的視点」で、雇用管理、人事労務管理こそが企業の最大の課題と考え、.労使関係は世界に誇る信頼関係といった日本経済が健全だった時代の産業社会の文化の復元が、法律制度に増して大きな課題のように思われます。
前回、労働時間問題を考えるための1つの基準として
・労働時間=拘束時間、他者支配の時間、所得を得るための時間
・生活時間=自由な時間、自己裁量の時間、所得を消費する時間
という分類をしてみました。
最近世界的にも論議の的である ワーク・ライフ バランスなどで論議されるのは、通常こうした前提という事になるのでしょう。
確かに労働時間法制という立場からすればそうかもしれませんが、現実の労働時間問題というものにはもう1つ「人間的な側面」があるという事が絡んできます。
それは、「拘束時間、他者支配の時間」の中でも、他者支配意識に濃淡があり、また「自由時間、自己裁量の時間」の中にも自己裁量意識(あるいは意欲)に濃淡があるのが普通だからです。
例えば、青色発光ダイオードを世界で初めて出現させた中村修二氏は、「会社に寝袋を持ち込んで、24時間体制で実験に没頭していた」そうですが、中村さんご本人には「労働時間」などという意識はなく、「午後5時退社」などは迷惑至極の制度だったでしょう。
仕事に対する意識が高く、自らの裁量で仕事が出来れば、人間は、意識も行動も変わります。
労働基準法でも、経営者や管理職には週40時間の規定は適用されず、残業代も付かないのは「経営者や管理者の労働時間は自己裁量の時間」と考えられているからでしょう。
専門職などでも同じような立場の人はホワイトカラー・エグゼンプションとするというのは同じ思想でしょう。
しかし今の日本で、これに反対が強いのは、「本当は自己裁量でない人」にも適用される可能性が大きいからでしょう。
現に職制では管理職でも、自己裁量のできない現実の中でkaroshiにまで至る(労災認定)例もあるようです。(そういえば「名ばかり管理職」などいう言葉もありました)
一方、拘束時間の中で自己裁量が可能というケースも、勿論あります。本来これは個々人の能力を伸ばす良いシステムのはずですが、時には悪用されます。「遅出で残業」とか、「うすのろの残業」などと揶揄されるような場合です。
長期不況の中で、こうした「古き良き慣習?」は無くなったようですが、ことほど左様に、法律で縛りきれない世界が「労働時間問題」のようです。
労働時間法制は労働基準法の中ですから、本来、労働の最低基準を決めるものです。ですから、どんな人にも働くことによって、人間の健康や生命、尊厳が維持されないといったことがないようなものでなければならないでしょう。
しかしそうした法制は、健全な人事労務管理や労使関係によってはじめて現実のものになるのです。
かつての様に、企業は「人間中心」「長期的視点」で、雇用管理、人事労務管理こそが企業の最大の課題と考え、.労使関係は世界に誇る信頼関係といった日本経済が健全だった時代の産業社会の文化の復元が、法律制度に増して大きな課題のように思われます。