tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

パワハラと忖度

2018年11月17日 12時27分14秒 | 社会
パワハラと忖度
 一昔前でしょうか、セクシュアル・ハラスメントという言葉と概念が入ってきて、セクハラという日本語になり、サラリーマン社会にショックを与えました。
 その後、ハラスメント(困らせる・悩ませるといった意味)の使われる範囲も広がり、最近マスコミに登場することの多くなったのは「パワハラ」で、これはパワー・ハラスメントの日本語です。

 セクハラは性という立場を利用して相手を悩ませる(通常、男性が女性に対して)という事で、一方、パワハラの方は権力を持っているという立場を利用して相手を悩ませるという事でしょう。
 
 通常こうした「○○ハラ」というのは組織の中での問題ですが、ハラスメントという事を一般的に理解すれば、学校での「いじめ」とか、親の子供への「虐待」なども問題の根っこは同じでしょう。

 「 加害者と被害者」でも指摘しましたが、最近は、加害者が加害者であることを自覚しないケースが多くなったように感じられることが多いので、こうした加害の問題が隠蔽されずに取り上げられ、人間同士の不必要な軋轢を少しでも少なくしようというのは大変結構なことと思います。

 こうした組織の中の人間関係の延長線上で考えてみますと、どうしても、最近使われる「忖度」という言葉が出てきてしまいます。

 「忖度」も場合には、暴力的言動や嫌がらせで相手を従わせるのではありません。しかし、相手に、悩みつつも権力に従うしかないと選択させるのでしょう。
 この場合は、相手(部下など)が自分自身に言い聞かせて、あるいは自分自身にそう信じ込ませているので、表面は「自ら進んでやった」ようにしながら権力に従わざるを得ないという状況を作り出しているわけです。

 ある意味では、これは組織というものの在り方を利用した「最も巧妙な」ハラスメントという事になるのでしょう(でなければ人格改造)。
 確りした組織が出来上がりますと、上司は部下の「生殺与奪」とまではいかなくても「それに近い」権力を握ります。

 地位の高い国家公務員や、さらには大臣でさえも、「私を任命してくれた方に尽くすのが本分」などと平気で言ってしまう人が現実にいるのです。組織における権力とは恐ろしいものです。本当の本分「国民のために」などという意識は消えています。

 恐らく、心理的には「名誉」とか「昇進」とか「給与水準」とか「家族の暮らし」といったものが潜在するのでしょう。
 こうした心理的な状況は、組織そのものの強い圧力によって生まれるのだと思われますが、その中核を成すのが「人事権」という事になるようです。

 例えば森友問題では、「適材」と評価され昇進した高級公務員と悩みに耐えられず自らの命を絶った担当の公務員がいたとのことです。

 「パワハラ」の場合は、立場による権力(パワー)の行使が表面に出ます。思慮のない、あからさまで、単純な粗野な行為という事なのでしょう。
「忖度」の場合は、権力の行使といったものは、何も表面には出ません。それだけに恐ろしいのではないでしょうか。

 過度な「忖度」が一般化するとき、その行く末は「権力主義、独裁」につながるように思われます。こうした「忖度」は、かりそめにも「他人への心遣い」などという美しいものとは無縁でしょう。

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