tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

本音だけでは世の中は分断、分裂、喧嘩に・・・

2019年01月21日 23時37分49秒 | 社会
本音だけでは世の中は分断、分裂、喧嘩に・・・
 星新一のショートショートの中に、この頃は皆鳥の形をした帽子を被って、知った人に会うと内心「いやな奴に会った」と思っても帽子の鳥が愛想よく挨拶をしてくれるようになっているといったのがありました。
 お蔭で、本音を言わなくてすくむという事で便利だという事を理解しました。

 「嘘は罪」という歌がありますが、嘘には「罪になるような嘘」と同時に「人間関係の潤滑油になるような嘘」もあるのでしょう。
 最近の世界情勢を見ていると、そんなことをつくづく感じることが多くなりました。

 SNSの様なものが世界的に広がり、匿名性も手伝って、人々が軽い気持ちで自分の本音を正直に(些か過激に)言い始めたからでしょうか、聞きたくないような言葉が電子媒体の中にいっぱいです。その時に思っていることを「そのまま」(感情の赴くままに)表現するとこんなことになるのでしょうか。

 そしてだれしも、こんなにはっきりと誹謗や中傷、悪口、憎しみや怒りを表現出来たら気持ちがいいだろうなという思いもどこかに少し持ちながら、こんなことを言い合っていたら、社会は成り立たないなというSocial Animal としての人間のバランス感覚に照らして、恐らく多くの人は、やっぱり「困ったことだ」と判断することになるのでしょう。

 しかし状況は楽観を許さないようです。トランプさんが「民主党は犯罪者の党」(Democrats,Party of Crime)と言ってみたり、セクハラ発言を平気でする人がブラジルで大統領になったり・・、これは社会の上層部の話ですが、巷ではヘイトスピーチがはやったり、ネット上ではむきだしの悪口雑言が氾濫しています。

 紳士の国イギリスでもEU離脱の賛否の論争などや、またフランスのガソリン値上げ反対のデモなどをテレビで見ていますと、その時の感情を自由に表出させて、自分の思う本音だけを主張する姿が、何か知性の低さを連想させるような場面に往々ぶつかり、いわゆる先進国の人間もここまで堕ちるのかと空恐ろしくなったりします。

 翻って、日本人はそこまでやらないのではないかと思いたいところですが、日本人も少しづつ変わってきているのでしょうか。
 和をもって貴しとする日本人が、本音だけを言うようになったら、「和」はどうなるのかななどと心配しながら、ついついこんなことを書いてしまいました。

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