tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

さて、次の元号は

2019年01月22日 23時29分03秒 | 社会
さて、次の元号は
 何時からそうなったのか知りませんが、日本の元号は江戸時代からずっと中国の古典、四書五経などから引いてくるというのが慣例になっているようです。
 明治の由来は「易経」
 大正の由来は同じく「易経」
 昭和の由来は「書経」
 平成の由来は「書経」/「史記」
といった具合です。

 もともと漢字は中国から来たものですし、遣唐使の昔から中国は日本の先生でした。
中国の歴史に学び、四書五経を素読し、中国の詩歌を知ることが教養の高さに通じ、更には、世間のあらゆる場面での言葉や行動に中国の諺を生かすことで、世の在り方を判断するというは、日本人の骨の髄までしみ込んだ文化という事のようです。

 このブログでも、安倍総理の出身大学「成蹊大学」の名前の由来が、「桃李言わざれども下自ずから溪を成す」から来ているのだから、安倍さんは多分「李下に冠を正さず」という諺をご存知だろうなどと書きました。

 ところで、平成の次の元号は新天皇即位の1か月前の4月1日に発表されるという事のようですが、今度もまた中国の古典から引いた元号を検討しているのでしょうか。
 最近の世界を眺め、つらつら考えてみれば、これからも元号は中国の古典から引くという事を続けていくというのは、何か大変奇妙な状態というようにも考えられます。

 一方では元号などはなくても、西暦に統一したほうが合理的でいいではないかといった意見も少なくないようですが、今の状況では多くの日本人は、元号があることを当然と思っているようで、急になくすことなどは考えられないという気持ちでしょう。

 「明治は遠くなりにけり」とか「大正デカダンス」とか「昭和もすでにレトロに」など、多様な情緒的表現を好む日本人には、元号は格好のものなのかもしれません。

 いずれにしても、4月1日には「エイプリル・フール」ではなく、本当に次の元号が決まることになるのでしょうが、あえて言えば、もうそろそろ中国の古典にこだわらずに、記紀や、万葉集、17条の憲法などの日本の古典や、そうでなければ、全く新しい発想での元号の制定があっても、それもまたいいのではないかなどと思うところです。

 このブログを読んでくださる皆様は、どんなお考えを持ちなのでしょうか。

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