「リベラルでない」という事は
「リベラル」については、前回、こんな風に考えることではないでしょうかと書いてみました。
では「リベラルでない」というのはどんな風に考えたらいいのでしょうか。
こちらの方は、割合解り易いように思われます。端的に言えば、自由な発想や行動が許されない状態という事ですから規制の強い社会、不自由な社会という事になります。
勿論、自由度の高い社会から規制の強い社会まで自由と規制の組み合わせの程度、どちらの色彩が強いかで多様な社会が考えられます。
自由世界の中でも、アメリカのように 国民負担率(税・社会保障負担/国民所得)の低い国から、北欧諸国のように、国民所得の半分以上を税・社会保障に拠出し、福祉や教育を充実させた方がいいという国までいろいろです。
以前も書きましたが、交通信号は「規制」ですが、信号が無いと困る(自由勝手では社会秩序が守れない)のが現実でしょう。スポーツでもルールはきちんと守れないとゲームが楽しくないのでルールを順守します。
生活でもスポーツでも、みんなが納得する良いルール(規制)が「快適」を齎すのです。
リベラルというのは、そういう意味では、「最適な規制」を認め、その中で人々が、のびのびと快適な生活ができるという所を目指す思想でしょう。
という事で、それ以上規制が強まると、社会は窮屈に、つまり「リベラルでない社会」、「リベラル」が通用しにくい社会になります。なぜ規制を強めるかというと、歴史が示しますように、権力者にとって、その方が都合がよいからのようです。
「リベラル」でない社会といえば、近くは、ファシズム、ナチズム、日本の軍国主義などでしょう。一般的に言えば、独裁主義、全体主義等で、これらに関しては、歴史上の経験が、戦争につながりやすいとか、いろいろな事を教えてくれます。
共産主義もその現実は一党独裁です。その結果、ソ連は潰れました。中国も一党独裁ですが、徐々に規制を外し、自由の部分(主に経済分野)を広げて、生き延びています。
資本主義が、種々の規制を取り入れ、福祉社会化して生き延びているのと、丁度逆の動きでしょう。
快適な社会というのは、自由と規制を国民の総意によって、国民にとって最も「快適な社会」になるように塩梅することで可能になるのでしょう。
(余計なことですが、自由民主党という名前は、その意味では大変いい名前ですが、今、人気が落ちたのは、党名とやることが違ったからでしょう)
ところで、国民が「快適」と判断するか否かの大きな基準は「格差社会化」に大きく関わるようです。この辺りは ピケティの慧眼が指摘しています。
格差社会化を嫌う日本人は、この辺りを感じ、失われる快適さに「居心地の悪さ」を感じてきているようです。
今回の選挙が「解りにくい」というのは、どの政党が、国民の声を本当に確り拾い上げて「快適な社会」を作ってくれるのか、良く解らないからでしょう。
それにもう一つ、国際関係、国際間の多様な「争い」という問題が、大きく影を落としています。この問題も次に考えてみたいと思っています。
「リベラル」については、前回、こんな風に考えることではないでしょうかと書いてみました。
では「リベラルでない」というのはどんな風に考えたらいいのでしょうか。
こちらの方は、割合解り易いように思われます。端的に言えば、自由な発想や行動が許されない状態という事ですから規制の強い社会、不自由な社会という事になります。
勿論、自由度の高い社会から規制の強い社会まで自由と規制の組み合わせの程度、どちらの色彩が強いかで多様な社会が考えられます。
自由世界の中でも、アメリカのように 国民負担率(税・社会保障負担/国民所得)の低い国から、北欧諸国のように、国民所得の半分以上を税・社会保障に拠出し、福祉や教育を充実させた方がいいという国までいろいろです。
以前も書きましたが、交通信号は「規制」ですが、信号が無いと困る(自由勝手では社会秩序が守れない)のが現実でしょう。スポーツでもルールはきちんと守れないとゲームが楽しくないのでルールを順守します。
生活でもスポーツでも、みんなが納得する良いルール(規制)が「快適」を齎すのです。
リベラルというのは、そういう意味では、「最適な規制」を認め、その中で人々が、のびのびと快適な生活ができるという所を目指す思想でしょう。
という事で、それ以上規制が強まると、社会は窮屈に、つまり「リベラルでない社会」、「リベラル」が通用しにくい社会になります。なぜ規制を強めるかというと、歴史が示しますように、権力者にとって、その方が都合がよいからのようです。
「リベラル」でない社会といえば、近くは、ファシズム、ナチズム、日本の軍国主義などでしょう。一般的に言えば、独裁主義、全体主義等で、これらに関しては、歴史上の経験が、戦争につながりやすいとか、いろいろな事を教えてくれます。
共産主義もその現実は一党独裁です。その結果、ソ連は潰れました。中国も一党独裁ですが、徐々に規制を外し、自由の部分(主に経済分野)を広げて、生き延びています。
資本主義が、種々の規制を取り入れ、福祉社会化して生き延びているのと、丁度逆の動きでしょう。
快適な社会というのは、自由と規制を国民の総意によって、国民にとって最も「快適な社会」になるように塩梅することで可能になるのでしょう。
(余計なことですが、自由民主党という名前は、その意味では大変いい名前ですが、今、人気が落ちたのは、党名とやることが違ったからでしょう)
ところで、国民が「快適」と判断するか否かの大きな基準は「格差社会化」に大きく関わるようです。この辺りは ピケティの慧眼が指摘しています。
格差社会化を嫌う日本人は、この辺りを感じ、失われる快適さに「居心地の悪さ」を感じてきているようです。
今回の選挙が「解りにくい」というのは、どの政党が、国民の声を本当に確り拾い上げて「快適な社会」を作ってくれるのか、良く解らないからでしょう。
それにもう一つ、国際関係、国際間の多様な「争い」という問題が、大きく影を落としています。この問題も次に考えてみたいと思っています。