tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「リベラル」の意味を考えてみましょう

2017年10月04日 21時47分33秒 | 社会
「リベラル」の意味を考えてみましょう
 「リベラル」はもともと英語ですから日本語にすると何かといえば「自由」です。しかし、どうも今使われている状況では「リベラル」と「自由は」同じではありません。
 
 例えば、旧民進党で、あんなに反対した安保法制や共謀罪という踏み絵を踏んで希望の党に行った人たち「ではない」人たち、立憲民主党の集まった人達に、マスコミは「リベラル系」という言葉を当てはめているようです。
 どうも安保法制・集団的自衛権、共謀罪といったある方向に大衆を引っ張って行こうとする考え方は「リベラルではない」というようです。

 さすがにマスコミの鋭敏な感覚です。自由な発想がなければ「リベラル」ではないでしょう。では真のリベラルとは何でしょうか。自民党だって「リベラル・デモクラティック・パーティー」ですから、なかなか解りにくいですね。

 過日「格差問題への回答」でも書きましたが、「自由」の対立概念は「平等」で真理は自由と平等の中間にあって、それを正義とされると書きました。
 政治的な面で言えば、自由の対立概念は「規制」とか「強制」でしょうか。この場合も、「真理は中間にあり」で、求める中間点が「正義」という事になるのでしょう。

 偶々ですが、リベラルという言葉から思い出した人が2人います。石橋湛山と湯浅八郎です。石橋湛山については、「石橋湛山―リベラリストの真髄」(増田弘著)があり、湯浅八郎には自著「あるリベラリストの回想」があります。

 石橋湛山は戦前のジャーナリストから戦後は総理大臣まで上り詰めた人ですが、大正時代に、「日本は満州進出をやめ、韓国、台湾は独立させ、中国は支配するのではなく経済発展に協力し、経済発展した中国と貿易をしたほうがずっと優れた政策と主張しています。

 こうした地域(国々)を併合したり、植民地にしたり、支配したりするのは国際関係としても問題だし、経済的にもペイしない。日本は本来の4つの島(北海道、本州、四国、九州)で経済発展を図る方が、ずっと効率的ときちんと経済分析をしての主張です。
 戦後の日本はまさにそうなって高度成長をしました。

 湯浅八郎は、明治末期にアメリカに留学、帰国後は京大、同志社大(総長)として、当時リベラルといわれる教育を行い、軍部と繰り返し対立、戦前再度アメリカに渡り太平洋戦争中もアメリカに止まり、その間「この戦争はそう長く続くことはないからと、戦後の日米関係と考えていたそうです。

 戦後帰国し、日米協力の大学設立構想を聞き、自らの構想を提供した処、声がかかり、同志社総長から国際基督教大学(ICU)初代学長となり、4年制教養学部(College of Liberal Arts)を出発点に、日本の国際的なリベラルアーツ教育に先鞭をつけました。

 偶々頭に浮かんだお2人ですが、ともに基本には合理的な思考があり、どんな環境の中でも、透徹した合理的な分析や構想が、優れた先見性を生み出していると感じるところです。

 そういう意味では「リベラル」というのはその人間の生き方が、広く深い教養や認識をベースに、周囲の状況に影響されることなく、合理性をベースにした自らの自由な発想を大切にし、それが結果的に、あるべき社会の姿、社会正義の実現につながるものであるといったようなものなのではないでしょうか。

 以上は単なる私のつたない理解ですが、今選挙におけるリベラル論争も、何か、こうした基本的な発想から、よくよく分析して頂き、「リベラル」という素敵な概念を、解り易く、日本のより良い将来に繋げるものとして存分に活用して頂くよう願っています。