tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

戦争と「リベラル」の関係は?

2017年10月06日 21時05分23秒 | 社会
戦争と「リベラル」の関係は?
 常識的に考えてみても、「戦争」と「リベラル」は相容れないというのが一般的でしょう。特に戦争を経験した世代の方は、戦争というものがいかに国民の自由を束縛することを身を以て体験しています。

 歴史的にみると、国内で権力者が規制を強くし、国民の自由を束縛する理由の多くは、国民の都合より権力者自身の都合を優先するからでしょう。例えば、権力者が、よりよい生活をしようと思えば、国民・領民を苛斂誅求することになります。そしてそれは往々革命(内戦)につながります。

 国際的には、一国が力で他国を収奪しようとすれば、相手国は不自由を強いられ、それは戦争に発展する可能性を持つでしょう。
 権力者や、より力を持った者が、他者の自由を制限しようとする理由は何故かということになりますと宗教や思想、名誉や権力ということもあるでしょうが、その根っこには、より豊かになりたいという願望があるようです。

 国が豊かになるためには、かつては版図の拡大、植民地化、今日では資源の獲得競争ということになるのでしょうが、こうした行動は、いずれにしても、力を持ち、他国の自由を制限して、自らの力の下に富を集中したいという願望から来るものでしょう。

 こうした行動は、当然、格差の拡大をもたらします。国内なら格差社会化、国際なら国別の経済格差の拡大です。
 こうした動きに対して、人類社会は、国内では福祉国家化、国際では 途上国援助プログラムなどで格差拡大の阻止する努力をしてきたと思います。

 「リベラル」という考え方は、権力が他者の思考や行動を制限し、不自由を強いたり、強いられたりすることを好みませんから、権力のこうした行動には反対でしょう。
 その結果、「リベラル〕は格差社会の進行を好まず、版図の拡大や、資源の収奪にも反対で、当然そのための手段となる戦争には否定的です。
 戦争は決定的に自由を制限しますから、「リベラル」は戦争は嫌いです。

 そこで、日本には1つ重要な役割があるように思うのです。前々回書きましたが、日本は戦後4つの島だけになって、世界に冠たる高度経済成長を成し遂げ、リベラリスト 石橋湛山の予言を実証しました。
 版図の拡大や、資源の争奪をしなくても、国民がまじめに働いて、生産性を上げれば、国はいくらでも豊かになれることを世界に実証して見せたのです。

  戦争は無駄の典型で、国や人類社会を豊かにすることはありません。豊かさは生産性の成果としてしか実現しないのです。日本の「リベラル」は、戦後日本が積み上げてきた実績をベースに、平和こそが世界を豊かにする最大の条件であると世界に適切に発信し、それによって世界、地球人類に貢献することを求められているのではないでしょうか。