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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

ファイザーとモデルナ、小さなことですが

2022年01月28日 21時22分29秒 | 文化社会
年齢のせいで、順番が早く回ってきたいのでしょう。今日、第3回のワクチン接種を終えました。

3回目接種は、前倒しと言いながら、出足が遅いようですが、未だにワクチンはすべて外国頼みですから、いろいろ不都合があるのかなどと気になります。

報道ではモデルナの方が確保の確約が出来たような記事もありましたが、どちらがいいのか気になる人も結構いるようです。

偶々私は3回ともファイザーでしたが、調査の結果は種々で、効果のほどは有意の差があるのかどうか解らないのが現状だろうと思っています。

家内の方は数日後に案内が来て、真面目に案内をきちんと読んでいましたが、「モデルナの方がいいって書いてありますよ」と言います。

「そんなこと書いてあるはずがないだろう」と言って、改めて読んでみますと、こんな事が書いてありました。

「2社のワクチンの1・2回目接種の効果を約半年間比較した観察研究では、モデルナ社製のワクチンの方が、感染予防、発症予防、重症化予防の効果が高かったと報告されています」

これは国分寺市からの「新型コロナワクチン3回目接種のお知らせ、」の中の文章ですが、データの出所の注記はありません。
意図的にモデルナを良しとしたのか、偶々そうした数字を見たのか解りませんが、誤解を生む可能性もあるでしょう。

他の自治体の「お知らせ」を集めたわけではありませんが、懇切丁寧なお知らせで、おそらくどこかでモデルか雛形が作られて、それに準拠したものではないかと思われます。
関連して気になったのは、「そういえば、安倍総理菅総理も、出所不明な統計を平気で口にしていたな」ということです。

統計については、最近不祥事も発覚し、昔の日本と違って、統計の信頼性が揺らぎ、また統計を使う側の政治家なども安易に信頼性のない数字を口にすることが多くなっている事もあって「統計の軽視は国を滅ぼす」などとの厳しい意見もあるこの頃です。

重箱の隅をつつくような話ですが、こうした風潮が蔓延することも、コロナと同じように危険なことだと気になり、つい、書いてしまいました。

「消費より貯蓄」の心理学

2022年01月24日 14時42分23秒 | 文化社会
日本人は縄文時代の昔から、自然に対して強い畏敬の念を持っていたようです。

地学的、気候的などの諸条件から、日本列島の自然はそこに住む人たちに豊かな自然の恵みをもたらしてくれるのと同時に、台風や地震といった人間生活に壊滅的にな破壊をもたらすこともあると理解し、それに対応する生活の在り方を創ってきたのでしょう。

その中で、日本人が学んで来たことは、豊かな自然によってもたらされる収穫物を、予期の出来ない自然災害に備えて備蓄することの重要性の認識だったのでしょう。

そして豊穣に感謝すると同時に、自然が穏やかであってくれることを願って自然を神とあがめ、自然への感謝と願いとを「祭り」で表して来ていたのではないでしょうか。

一万有余年の縄文の文化は、今の言葉でいえば、家族や集落の「SDGs」をいかに確実にするかという意味で、備蓄(貯蓄)の重要性を日本人に植え付けたのでしょう。

ところで、江戸時代には「江戸っ子は宵越しのカネは持たねえ」(つまり貯蓄ゼロ)などという言葉が流行ったようです。
気風(きっぷ)の良さを自慢したもので、「カネは腕に仕込んである」などと職人の技能の自慢に使われたのでしょう。

確かに「火事と喧嘩は江戸の花」だったそうですから、腕の良い職人はいつでも仕事には事欠かなかったのかもしれません。

しかし、これにはしっかり反論もあって「大工殺すにゃ 刃物は要らぬ 雨の三日も 降ればよい」と、これは都々逸です。

こんな日本の伝統文化の片鱗からも、日本人が、「今の生活」と「将来の生活」のバランスを伝統的に確り考えて来たことが知られるように思われます。

ところで話は現代に飛びますが、この所、日本経済は消費不振で悩んでいます。
老いも若きも、「宵越しの金は持たない」どころか、出来るだけカネは使わずに、将来のために貯蓄しましょうという事のようです。

先日書きましたようにこの2~3年で日本の個人貯蓄は200兆円(日本のGDPは550兆円)ぐらい増えたようですが、個人消費は落ち込むばかりです。

この異常な貯蓄志向を上述の話から分析しますと、もともと「今苦労しても、将来が良ければ」という性格が強い日本人が「将来が今より良くなることはなさそうだ」という環境に置かれた場合の行動パターン」ということがはっきり見えてくるのではないでしょうか
例えば今は、若い人達でも「雇用の安定に不安」「雇用があっても賃金が増えない不安」「退職後の社会保障や年金が不安」・・・と不安がいっぱいです。

多くの人が、日本経済の将来について「期待できない」という意識を持ち、「それならばどうするか」と考え、結論は「自助努力で何とかしよう」「将来不安、老後のために貯蓄」という心理状態になっているのでしょう。

「個人貯蓄は著増、個人消費支出は低迷」という日本経済の現状の背後にある多くの日本人の心理状態を、かつての日本のように「将来は明るい」に変えていくのには何が必要か。
これが今の日本のリーダーたちに与えられた最大の課題でしょう。

建設統計の最も基本的な問題

2022年01月17日 10時30分39秒 | 文化社会
建設受注統計の不正問題についての第三者委員会の報告がでて、この問題が先の毎月勤労統計の場合よりの著しく深刻な問題であるいった指摘もされ、多くの専門家から改善についての意見も出されたこは、大変良かったと思います。

これを機に官庁統計に携わる人たちが、自分たちの仕事が、地味ではあるが如何に重要な仕事であるかを知り、誇りをもって、真剣に統計の充実に精進していただきたいと願うところです。

前のブログでも触れましたし、第三者委員会も指摘していることですが、今回の問題で最も深刻であったのは、統計回答者が記入した原票の記入回答を消しゴムで消したという点でしょう。

毎月勤労統計の問題のように集計方法に手抜きや取り扱い錯誤があった場合でも、原票があれば「復元」は可能です。

しかし原票の記入が消去されていたのでは「真実は永久に不明」ということになるのです。
これは統計にとっては決定的な問題です。

これは統計業務にとって許されないことというだけではなく、統計の役割から言えば、国民のすべてにとって、更に人倫(世間様)にとっても許されない行為ではないでしょうか。

統計調査に関わられる方々には、「原票」の意味をもう一度確りと理解し、把握した上で職務の遂行を願いたいところです。



  

確かに消費者物価は上がっていますが

2022年01月11日 17時28分58秒 | 文化社会
長い間鎮静を続けていた消費者物価に動きが出てきているというので先日発表になった総務省の「消費者物価指数」の昨年11月までの物価の動きを見てみました。

アメリカ物価が上がったという報道がありヨー-ロッパでも上昇傾向で、物価の上がらない国日本でも企業物価が9%も上がったとインフレを心配する意見もあるようです。

このブログでは企業物価の9%上昇は石油など資源価格上昇のせいで、避けることは出来ないし、世界中同じ条件だから日本が特に心配することはないという見方ですが。当然消費者物価にも影響が出て来ることですし、その辺りの影響を見ておこうという事です。

全体的な動きは下の折れ線グラフのようになっています。数字はいずれも対前年同月の変化率(%)です。

   2021年消費者物価指数の動き(対前年同月変化率%)

       総務省:消費者物価指数

消費者物価指数は「総合」「生鮮食品を除く総合」「生鮮食品とエネルギーを除く総合」の3つが常に発表されますが、これは、生鮮食品とエネルギーはその性格上価格が変動することが多いので、それらを除いた基本的な部分の動きを確り見ておきましょうという趣旨のものと思っています。

ご覧いただくと解りますが、緑の線、基本的な物価の部分の動向を示す線はこの夏に0.2%程度の上昇を示しましたが、ほぼ安定で、赤と青の線が明らかな上昇を示すという状態です。にとどまっています。

昨年の9月、10月、11月は赤の線と青の線がほぼ同じように動いていますが、これは11月で見ますと生鮮食品が前年同月比」で3.1%上昇し、エネルギー価格が同15.6%上がっていることの結果です。

勿論エネルギーも生鮮食品も家計を直撃しますが、生鮮食品は天候に左右されますから、下がる事も当然ある(最近の牛乳の場合など)という意味で別枠にするのでしょうが、最近の生鮮食品は、温室栽培も多いですからエネルギー価格に連動するようになるのかもしれません。

因みに、昨年4月3本の線が急降下していますが、これは交通通信(スマホ料金)が大幅に下げていることの結果のようです。

11月時点で、消費者物価の10大費目の対前年同月比の動きを見ておきますと(単位%)

  食料     1.4 ( 生鮮3.1 生鮮以外1.1)
  住居     0.7
  光熱水道   9.2  (エネルギー価格上昇)
  家具家事用品 0.4  
  被服履物   0.1
  保健医療    -0.2 
  交通通信   -6.9
  教育      1.2     
  教養娯楽    4.3
  諸雑費     1.2

上記の物価変動なども、全体で見ればせいぜい1%程度ぐらいのもので、いまの所諸外国に比べれ物価安定の日本です。

しかし、物価というのは世論やムードの影響もありますから、これからの政府やマスコミのムード作りによっては長年の我慢をここで少しでも取り戻そうといった意識、無理に物価を抑え込んでいては経済も元気が出ないといった雰囲気なども出そうな気もしないでもありません。
物価はあまり変動しない方が良いと思うのですが。

農林水産物輸出1兆円突破

2021年12月17日 16時08分07秒 | 文化社会
食糧自給率が50%を切る日本ですが、それとは裏腹に、食料品などの輸出額が、今年、1兆円を超えることになったようです。

輸出の伸び方も急速で9年前2012年には4500億円ほどでしたから、10年を経ずして9年倍増というスピードです。
日本の食品の味の良さが、世界的に認められ、人気に火が付いたというところでしょか。

コロナで中断しているインバウンド、訪日外国人の数も、増え始めると急増という状態でしたが、いろいろな意味で日本という国の良さが世界で認識されて来ているのは大変結構なことだと思います。

恐らくは日本食が世界の無形文化遺産になったことも関係があると思いますが、グルメとは縁遠い私でも、最近日本の食べ物は美味しくなったと実感します。
インスタントラーメンから寿司まで、一足先に世界に広まったものも沢山なりますが、いよいよ日本の「味」が世界に広がるようです。

何が違うのかと考えてみますと、日本人の舌というのは、特別に繊細に出来ているような気がするのですがどうでしょうか。
日本には「山海の珍味」という言葉がありますが、これは縄文時代から海の幸、山の幸を味わい尽くしてきた日本人ならではのものかもしれません。

最近輸出が伸びている品目には、養殖の貝類(ホタテなど)、和牛、メロンや柑橘、それにウィスキー、日本酒などのアルコール飲料などが並んでいますが、牛肉やウィスキーは欧米の特産品のはずで、かつては、舶来のウィスキーや牛肉が日本で珍重されていたものです。

ところが、味で勝負という事になりますと、値段は高くても和牛が人気になり、日本人も知らない埼玉県のウィスキーが、世界の金賞に輝き、品不足に陥るといったことになるようです。
日本人特有の味覚、舌の性能に感謝しなければいけないのかもしれません。

勿論これは味覚の世界だけではありません。食料については輸入ばっかりと思っていた日本の農林水産業の、新たな発展、世界を相手にした発展の可能性を大きく開いていくことにつながるのです。

10頭単位の日本の飼育規模でアメリカの何千頭規模の農場の牛に敵う筈がないという規模基準の考え方は「味」という要素の前では崩れ去るのです。

考えてみれば、マグロもウナギも、日本人の味覚が発見開発し今や世界中の食欲に迎えられ乱獲の憂き目にあっています。
日本人が腕によりをかけた旨味絶佳の食品は、ますます世界に広がっていくのではないかと思うところです。

長い眼、広い視野で見れば、これは日本の伝統文化である「常に自然を大切にし、自然を育て、自然からの恩恵を享受する」という日本人の生き方から生まれたものと考えられます。

食べるものも基本的には量より質、人体機能のバランスを重視、肥満を避け、健康な生活をする。これは究極的にエコであり、SDGsにつながるものではないかと考えられるものではないでしょうか。

農林水産物輸出1兆円突破は小さいニュースかもしれませんが、考え方によっては、日本の未来を大きく開く何かを含んでいるように思われるところです。

米中関係の中で問われる日本の外交力

2021年11月18日 17時12分11秒 | 文化社会
米中首脳会談で当面の両国のスタンスが見えてきました。
 
双方とも礼儀正しく、バイデン大統領は独特の柔和な笑顔で、習近平主席は、かつて副大統領だったバイデン大統領を「老朋友」と呼び親しさを感じさせました。
 
 経済規模で世界の1、2位の大国を率いるお二人ですから、無駄なトラブルは避けたいという気持は、多分共通なのだろうという感じの双方の表情で、見ていても、安心感の様なものが感じられるシーンでしたが、話し合いそのものはどうなるのかなと思っていました。

詰まる所は気候変動などの共通する問題については協力という点では一致するのですが、南シナ海、東シナ海、台湾問題といった領土問題になりますと 最後まで平行線という事だってようです。

アメリカは3億5千万の人口を抱え、トランプ後遺症(国家の分断状況)の中で、何とか国論を収斂させ、世界をリードする立場を守るという難しい事情があります。

一方中国は14億という巨大な多民族、多言語の人口、宗教問題も抱え、更にはかつての内戦の相手である台湾との立場の相違もあり、国のまとまりを経済成長と一党支配という政治体制によって確保しようという、これも大変難しい事情があります。

中國はいまだ発展途上の国であり、自国の発展を最優先に考える国でしょう。アメリカは成長を遂げた大国で、世界のリーダーの役割を課せられた国でしょう。

そしてともに、国を纏めるためには、政府は国民の意思を代表し、それが国際的にも認められ、多くの国から支持を得ているという状況を作り出さなければならないでしょう。

そうした狭間で、日本は、戦後復興も独立も、更に防衛もアメリカに依存するという面が大きくなり、外交力はアメリカに頼ることが通常になって来たようです。

既に、世界はハードパワーよりもソフトパワーの時代に入っているのですが、この所の日本は、(平和憲法を掲げるのだから?)ソフトパワーでもアメリカ依存でいいのだ、といった残念な状態が通常化しているようです。

そうした関係から、この所は、残念ながら、アメリカにとって、日本ほど与し易い国はないといったことになっているように感じられます。

偶々、今回の日米2国間の貿易交渉の問題でも、アメリカの提案する新しい日米通商協力の枠組みの中で、従来日本側が最も重視していたアメリカの日本車への関税問題などは消え、日本の希望であるアメリカのTPP加盟は議論の外になったようです。

振り返って見れば、レーガン=中曽根の「ロン・ヤス」の日米蜜月と言われたのさ中に、アメリカは「プラザ合意」を仕掛け、大幅円高による日本経済の追い落としを、30年間もほとんど成長しない日本経済実現という形で成功させています。 
 
矢張り覇権国アメリカは、世界のどの国に対しても、極めて厳しい国だという事ではないでしょうか。

勿論対立する事が良いと言っているのではありません。
日本は、米中首脳二人が共にそう思っているのであれば、その通り「無駄なトラブルは避けよう」と米中双方に常に働きかけることを徹底して行うべき立場にあるのでしょう。

そして、そうした行動が説得力を持って出来るように、世界から信頼される国としての行動を常に堅持して、そうした行動力を基盤に、独自の外交力を身に付けて行かなければならないのではないでしょうか。

アメリカの驥尾に付して、それで何とかなるかなどと考えていて、なんとなかる時代では、もう既にないのですから。

コロナ新規感染減少の背後にあるもの

2021年11月06日 16時39分29秒 | 文化社会
新型コロナが世界中に拡がったことで、世界のいろいろな国の人達が、コロナをどのように受け止め、どのような対応を取ったかという様子が、テレビの映像を通じて直接に入ってきました。

これはある意味では大変貴重な情報だったように思っています。
勿論、映像だけでなく、それぞれの国のリーダー、また国民がこのパンデミックをどのように受け止めているかも、多様なマスコミを通じて、時には解説付きで入ってきます。

最初に、「あれ、日本と違うな」と思ったのは。ヨーロッパやアメリカなどで、人の集まる場所、駅のホームや目抜きの道路などを消毒薬の噴霧器で万遍なく消毒している映像でした。

日本では机やドアの消毒の映像が一般的です。銀座通りや東京駅のホームを消毒薬で全面的に洗い流すといったやり方はなかったようです。

何が違うのか考えてみますと日本ではまず手の消毒、欧米では足(靴底)の消毒が大事だったのかなと思われます。
欧米と日本の違いは、欧米の下足のまま家に入る文化と、玄関で靴を脱ぐ日本の文化から来るのかなと思いました。

そこから推測したのは、玄関で靴を脱ぐ習慣は、対コロナでかなり役に立っているのではないかという事でした。

さらに最近の映像ですが、欧米では、最近、ヨーロッパがコロナ再蔓延の中心になりかねないと言われながら、経済活動重視に踏み切り、感染者増加も予断を許さない状態と言われる中ですが、何故か、マスクをしている人が異常に少ないという様子です。

几帳面と言われるドイツの映像でも、マスクはせいぜい2~3割のように見受けました。
もともとマスクに馴染みのないお欧米人かもしれませんが、マスクはコロナ対策の基本のはずです。

それに引き換え、日本の映像では、マスクは9割(99%?)以上でしょうし、飲食店などの消毒、清拭、通風などの衛生・環境管理のきめ細かさは異常と見えるほどです。

日本のワクチン接種率も、ようやく主要国に追いつき、遅々ながらさらに進む気配です。
新規感染者の発生の程度と経済活動のバランスをどの辺りと考えるかという国民のバランス感覚も日本の場合かなり厳しい感じです(GoToの失敗に学んだのでしょうか)。

こうした諸外国の現実の映像と、政策方針などの多彩な報道に直接接しながら考えてみますと、やはり日本人の真面目さは、まだまだ多くの日本人の中に確りと残っているのではないかといった感じを持ちます。

 一時、若者はワクチンを打たないといった風評が流れましたが、現実はそうではなく、多くの若者が、政府が若者のの接種を始めてみれば、多くの若者が積極的にワクチン接種に動いたという現実もあるのです。

 こうした日本人の行動は、スポーツ観戦の時の行儀のよさ、後片付けをきちんとして外国人から驚きの目で見られるといった、社会を構成する人間としての基本に忠実であろうとする、今も残る日本人の心根の表出なのでしょう。

コロナの新規感染者の急減の理由はもちろんワクチン接種率の向上にあるのでしょうが、政治や保健行政の面だけから分析しても理由は不明かもしれません。

何よりも、日本人の生活習慣を含め、対人関係の現場で働く、また接触する人たちの「現場」における行動に大きなカギがあるかも知れないといった事も、検討に値するのではないでしょうか。

こうした、日本人が一般的に持つ生活習慣、また日常の生活上の意識といったことは、対コロナでけでなく、日本人の社会活動、経済活動のいろいろな面でも、検討に値する重要な側面ではないでしょうか。

文化の日に:日本文化の発信を!

2021年11月03日 15時27分57秒 | 文化社会
今日は文化の日です。もともとは明治天皇の誕生日で「明治節」でした。

偶々この日が日本国憲法の公布日でになりましたので(公布が1956年11月3日、施行が半年後の1957年5月3日)、11月3日を国民の祝祭日として残したいという事だったのでしょう、「文化の日」になったのが1948年です。

戦後の日本では「文化国家」というのが新しい国家建設のための重要なスローガンでした。「文化」という言葉は「平和」にも通じるからでしょう。
平和憲法の公布日が文化の日になったことには国内では、(当時の駐留米軍からも特に異論はなく)スムーズに決まったようです。

その後日本の文化は経済成長とともに多様な面で世界でも認められるようになり、順調に向上してきていると言ってもいいでしょう。

この30年ほどは長期不況のせいで経済や科学技術では多少遅れを取っていうようですが、コロナ前の状況で見れば、円レートの正常化以来、「インバウンド」という言葉で知られる海外からの日本への観光客は急激に増え、日本人が気付かない様な多様な観光資源のあることも解ってきました。

漫画やアニメ、ジャパニーズ・クール(かわいい)といった、サブカルチャーなども含む分野でも世界の人気を集めました。更に、フランスやイタリアの食文化に伍して、日本食がユネスコの文化遺産に指定され、ビックリです。
そう言えば、最近は、日本中どこで何を食べてもそれなりの味だと私も気が付きました。

そんな中で問題の一つは、4年前の今日「文化の日」に書いた「争いの文化」と「競いの文化」に関わる問題です。

人の噂も75日と言いますが「戦争の記憶も75年」でしょうか、田中角栄が「戦争を知らない世代がリーダーになると危うい」と言っていますが、日本をもう一度「戦争をする国」にしようという動きが出て来ていることは最大の注意事項でしょう。

「競いの文化」は高め合う事を可能にする文化ですが、「争いの文化」は破壊と停滞(退歩)の文化でしょう。アインシュタインは「第5次世界大戦は石と棍棒でやることになるだろう」と言っています。

戦争(争いの文化)日本には青銅器・鉄器の文化と共に入ってきた外来文化ですが(縄文時代には戦はなかった日本です)、その後1945年まで、日本は「争いの文化」に侵され続けました。

縄文時代の1万有余年、戦のなかった日本だっだからこそ、平和憲法を違和感なく受け入れた日本人なのでしょうが、改めて戦争という外来文化を舶来崇拝で受け入れようというのでしょか。

年2回文化の日と憲法記念日だけではなく、この問題はまさに一般国民の日常の問題として、十分に日本の伝統文化の中で、さらに言えば、縄文時代の日本列島より人類にとって狭隘になった地球の表面上で、確り考え、それを日本文化として世界に発信していくことが必要なのではないでしょうか。

コロナ感染者の急減の理由は不明ですが・・・

2021年11月02日 15時01分23秒 | 文化社会
新形コロナの新規感染者の数が急減しています。

昨日の東京の新規感染者は僅か9人、大阪も7人、関東一円の感染者の数も一様に急減。0人が21県です。

確かにワクチンの接種者の割合は増えています、1回終了という方は77%に近づき2回終了という方も71%を超えて来ています。

しかしこの所の接種率の伸びは何か遅々として、特に2回接種の方の比率はほとんど伸びていないような状況です。

にも拘らず、この新規感染者著減は喜ばしい中にも何か不安を感じさせ、専門家の方がたはどう見ているのか、ネットで検索したりするのですが、残念ながら専門家の方がたのご意見も「やっぱりよく解らない」という事のようです。

専門家の方がたの挙げておられる意見では、ワクチン接種率が上がったのが大きな効果をもたらしたというのは共通ですが、そのほかいろいろな意見がみられます。

ワクチンのお陰で、感染しても軽症が多いので気づかずに過ごしてしまうとか、感染防護策が上手くなって来ているとか、夜間の人出が減っているとか、若者で増えたが若者のワクチン接種が増えたとか・・・。

そのほかにも、季節要因として外気が過ごしやすい水準になって密室の会合が減った、店舗や会場などの対策が徹底してきた、などの意見から、ウィルス側の事情として変異を重ねて感染力が落ちたのではといった本当なら嬉しい意見もあるようです。

しかし、第6派の可能性という事になりますと、ほとんどの専門家が、寒くなると危ない、変異株の出現の可能性は残る、時間がたって抗体の減少の可能性が出てくる、流行には周期性がるので要注意などといった警戒を言われる方も多いようです。

もちろんワクチンの接種はそれなりに進んでいますから、今迄の様な事はないという前提が多いようですが、大なり小なり第6波の可能性の警告はされています。

ただ、どうにも心もとないのは、どの程度安心できるのか、それとも今迄通りの注意が必要なのかと言う判断が出来るような情報がない事です。

相手がウィルスですからそれは生姜ないと言われればそれまでですが、やっぱり最大限の防御策を講じながら、少しずつ行動範囲を広げるという事以外に対策は無いのでしょうか。

国際的にみれば日本の数字は主要国の中では何とか優等生と言えるのではないでしょうか。
ワクチンの積極的接種と、日常の衛生的な生活習慣を通じて、国家間の戦争は放棄しても、コロナウィルスとの戦いには何とか頑張って立派に勝利を収めたいものです。

「人」の評価は誰がするのか

2021年10月03日 21時19分31秒 | 文化社会
先日、アメリカのメジャーリーグで二刀流旋風を巻き起こしている大谷選手の、こんな言葉をテレビの中で聞きました。
「自分の評価は、自分では、しない事に決めています」

何気なく言った言葉ですが、私の心には「ずしん」と響きました。

こうした、人間の自己意識について、私はこのブログで過去2回取り上げています。
そして、また、取り上げておかなければならない問題が出たなという気がしました。

というのも、こうした、いわば真面目で謙虚な人間の言動が、本当に清々しく、素晴らしいものに感じられるという現象には、その対極にある人達がいるからです。

常識のある人から見て、人間として「お粗末な人」と評せられるような人が、たまたま人の上に立ち、世の中を混乱させる現実を見せつけられ、やっぱりこれは書いておかなければならないと思ってしまうのです。

第1回は、安倍政治が始まって少し経った2014年に「経営者と政治家」を書きました。安倍さんが、自分の政治に自分で「アベノミクス」という名前を付け、労使交渉の結果まで、自分のやった事のように宣伝するのに呆れたからです。

第一次オイルショックの時、年22%という急激なインフレから日本を救う功績をあげ、後に「ジャパンアズナンバーワン」とエズラ・ボーゲルをして書かせる日本経済の安定のベースを作った桜田武は、自らの努力などには一言も触れず、労使の良識の発揮の結果としか言っていません。

第2回は、トランプさんが、これまた、仲間の国々(NATO)に迷惑をかけるようなことを自分で決め、他国、他人の意見は無視、素晴らしい事だと自慢するのを聞いて「自画自賛をする人」を書きました。

今回は大谷選手の言葉を聞いて、菅さんが、総理在任中にやったコロナ対策の自慢を大真面目でやっていたのを思い出したのです。

現実は、検査の重要性を理解せず、GoToを推奨して急激なコロナ感染者の増加を引き起こし、その後は緊急事態宣言を勝手に区切りの良い日にちを決めて発出、解除を繰り返し続け、国民生活を混乱させました。

入手が遅れたワクチンでは、1日100万回接種の号令の直後、接種予約のストップを決めたり、医療関連では医療崩壊にならないために、入院すべき人を入院させずに自宅療養者と呼んだりで、国民の健康も生命も守りきれなかったのでした。

最後も暦を尊重して9月末で緊急事態宣言などを全面解除しましたが、このまま終息に向かうかどうかは誰にも解らないのです。
菅さんも何も解っていないままに、「私がコロナ対策をきちんとやって来たからこそ、ここまで来ることが出来た」という自画自賛ぶりです。

今度惜しまれながら引退するメルケルさんは、自画自賛などとは全く縁のない、清廉さと品格の持ち主でしょう。

政治家にもいろいろあるようですが、自画自讃をするような政治家ほど、現実の政治の面では、成果に乏しいような気がするのですが、私の僻目でしょうか。

「チュウゴク」に「チュウコク」する人はいないのか

2021年09月24日 15時53分19秒 | 文化社会
中国がTPPに加盟申請をしたのに続いて、台湾がTPPへの加盟申請という事になりました。

台湾にしてみれば中国が加盟してしまえば、中国が中国の一部としている台湾のTPP加盟は当然認めないでしょう。TPPへの参加には、加盟国全員の承認が必要なのです。

中国の加盟申請対して、TPP11か国がどう判断するかはこれからの問題ですが議長国日本も大変です。

この問題は、もともとを考えれば、中国が(習近平さんが?)、領土問題について異常な執着心を持っていることから発しているのでしょう。

南シナ海の領有については、仲裁裁判所の判断を「紙屑」といったことから始まり、香港では一国二制度を強引に廃止、台湾の領有についても強硬な発言を続けるなど、の所の習近平さんには何か、執念の強さが目立ちます。

中国はすでに領土も人口も超大国ですし、経済規模も世界第二の超大国です。勿論人口一人当たりのGDPでは世界の60位ほどで、日本の4分の1程度ですが、経済成長率が高いので、頑張ればどんどん上がる事は戦後の日本の例を見ても解ります。

ところで問題は、その頑張り方ですが、香港の制度を中国本土と同じにしたり、台湾を領有して中国の一部にしたりすれば、経済発展が早くなるのでしょうか。

確かに昔はそういう考え方もあったでしょう。しかし、現在の世界では、どうもそうではないようです。
無理して領土を広げれば、そこには大変なコストが掛り、コストパフォーマンスは落ちるのです。

例えば、香港を中国本土並みにするために、随分なコストを使ったでしょうし、今後もコストはかかるでしょう。そして本土と同じになった香港が、今までのように、中国の世界への特徴的な窓口として中国経済に貢献するかどうかは、かなり疑問です。

台湾も全く同じです。今は自由な台湾ですから1人当たりGDPは中国の3倍ほどですが、これを中国に取り込んでも、中国がどれだけ豊かになるかはわかりません。多分、今の台湾の元気が消え、政治的な意味でコスト倒れになるでしょう。

それよりも、台湾の自由な経済発展力を利用し、緊密な経済連携で双方が利益を得るような関係にした方がよほど、中国、台湾双方の経済発展、国民の生活の向上には効率的でしょう。

こう考えてきますと、国をより豊かにしたいと考えているはずの一国のリーダーが、何故に、コスト・パフフォーマンスの悪い領土的野心を持つのかという問題です。

独裁色を強める習近平さんが、個人的な古い国家観で、無理をして余計なコストをかけるより、現状の中国で、生産性さえ上げれば、いくらでも豊かになり、国民の満足は増し、習近平さんは歴史に残る人になれるのです。

「その方がずっといいですよ」と習近平さんに忠告する人はいないのでしょうか。

職務中心の経営と人間中心の経営:SDGsの視点から 3

2021年09月23日 11時44分42秒 | 文化社会
職務中心の経営と人間中心の経営:SDGsの視点から 3
SDGs(持続可能な開発目標)は、基本理念として、人類社会も地球環境も、現状維持ではなく多様な開発をして進化していかなければならないが、その目指す方向が、持続可能なものでなければならないという事を強調しているのでしょう。

核分裂エネルギーを開発すれば、それでエネルギーの供給が豊富になったり、戦争で敵を倒すことが出来るかもしれませんが、挙句の果ては地球が、放射能汚染で、人類の生活に適さない場所になってしまうので、核弾頭の蓄積を競ったり、原発にエネルギーを依存すというのは持続可能でないという事になるのでしょう。

こうした見地から、今政府が進めている職務中心の経営(所謂ジョブ型雇用による経営)についてみてきました。

職務中心の経営は、一見効率的に利益を出すのに適しているように思われますが、企業の目的は実は利益を出すことではなく、社会を豊かで快適なものにすることで、利益はその達成のために必要な手段だという事がSDGsの視点からは明確ですので、長い目で見れば、日本型の「人間中心の経営」の方が望ましいよう思われてきます。

しかし、欧米では、「企業の目的は利益」という考え方が一般的で、そのためにはジョブ型雇用が一般的になっているという事ですから、些か問題があるようです。

この辺りが典型的に表れているのが、この所、欧米で急速に拡大している「マネーゲームによる利益追求」、マネー資本主義の企業の発展です。

その主役である投資銀行などの組織は、付加価値を創る企業に資金を提供して、付加価値(社会の富=GDP)の生産を増やす(経済成長を金融面から支援する)のが目的のはずでしたが、今日では金融工学の発展により、株式などの証券や国債などの債券、さらのそれらからの派生金融商品(デリバティブズ)の売買でキャピタルゲインの稼ぐことが主流になっています。

こうした産業の基幹的は職務を担当するのがトレーダーで、場合によっては瞬時に巨億の利益を挙げます。その指導をするのがストラテジストなどでしょうか。
しかし、そうした利益は付加価値とは無縁です。帳簿上のマネーが移動・増減するだけで、経済学的には、購買力がAからBに移転するだけです。

このマネー資本主義の盛況は、つまりは社会の富の偏在、格差社会化を促進するころになり、ピケティの言を借りれば「格差の拡大する社会は持続可能ではない」という事になるようです。

人間中心の日本の企業社会では、人々は昔から「額に汗したカネ」と「あぶく銭」とを区別する見識を持っていました。
カネでカネを儲けるようなこと(キャピタルゲイン)は「浮利を追わず」などと言ってさげすんだのです。(マネー資本主義は、その区別を認めない)

経済学的に言えば、付加価値を創り、その中から人件費、金利、利益等として生まれる所得が、経済成長の分配としての所得で、本来の所得(インカムゲイン)で、マネーゲームによる所得は、既存の富の移転(購買力の移転の形で)でしかないという事でしょう。
(富の移転による再分配は、政府の税と社会保障制度に任せましょう)

経済活動から人間が消えて、カネだけが注目されるシステム、職務が中心で、人間はそれに当て嵌められる存在という職務中心の経営(ジョブ型雇用)は、共に経済活動からの人間性の喪失という恐ろしい問題を内蔵しているように思われるところです。

日本企業は、本来それを善しとしてまで利益を追求しないという考え方だったのですが、政府の経済外交や経済政策の失敗による30年余に亘る不況の中で、一部に人間より利益(マネー)といった風潮が生まれて来ていることも否めないようです。

マネー偏重の社会は、決して持続可能(サステイナブル)でない事、SDGsに似合わない事は、古い童話も教えてくれています。

職務中心の経営と人間中心の経営:SDGsの視点から 1

2021年09月21日 16時23分54秒 | 文化社会
職務中心の経営と人間中心の経営:SDGsの視点から 1
 働き方改革については、折に触れて取り上げていますが、当初の目標には「労働時間短縮」が入っていたように記憶しています。

しかし最近では、副業、兼業など二重就業の自由化の推進のような問題が出て来て、労働時間短縮は何処かに消えてしまったようです。

代って議論の主流になって来たのが「職務中心の雇用システム」です。
日本の新卒一括採用などというシステムは世界のどこにもなくて、欧米では、企業は仕事があって、その仕事をする人がいないという時に、適切な人材を採用するのが企業の基本的な採用方針ですよという解説がされているのが普通です。

確かに欧米では企業というのは職務の集合体で、企業を動かすためにはそれぞれの職務に適切な人材をつければ、そこで仕事は順調に進むという極めて「機械的」な雇用についての考え方が主流です。

一方、日本では、基本的に、企業は人間集団で、人間として「良い」(その企業の文化に馴染んでくれると思われる)人間を、素材として採用し、企業の中で育てて、職務は厳密に決めず、人間の成長を見て割り振っていくという形をとります。

さてそこで、企業としての業績を上げるには、どちらの方が良いだろうかというのが問題になるわけです。

ここでは、その判断基準の中にSDGsという概念を入れたみたいと思います。
SDGsは「持続可能な開発目標(複数)」という意味で、最大の眼目は「持続可能な」という言葉にあります。

人類社会が進歩発展していくためにはいろいろな開発が必要ですが、その開発を進めるためには人間の働きが必要です。そして、その開発は「持続可能」でなければならないのです。

例えば、化石燃料の活用は、人類社会に大きな進歩をもたらしました。しかし、その行き過ぎは人間社会を持続「不」可能なものにしつつあります。
核分裂を利用したエネルギー獲得も、おそらく同様で、行きすぎれば「銀河鉄道999」のように、地球を人類の生存に適さない場所にするでしょう。

つまり「持続可能」という事を考えた場合、物事をできるだけ長い目で見ることが重要になってくるのです。

昔から人間は木を伐って家を作り、薪として暖を取ってきましたが、同時に木を植えることの必要性も理解して植林をしてきました。(SDGsの実践)

こうしたことを現代の極めて複雑に発展した人類社会の中で、適切な先見性を持ち、常に、「これをこのまま続けて行っていいのか」と考えながら「開発を進める」ことが大事だからこそのSDGsが言われるようになったのでしょう。

この様な視点に立つとき、人類社会の多様な開発の実践機関である企業が「人類社会の将来と仕事の在り方」についていかなる経営理念を持っているかは大変重要ではないかと思うところです。

次回は、企業と人間の関係の在り方、現場的には職務と人間の関係について、SDGsの視点から見た場合、欧米型と日本型のどちらがより適切かを少し掘り下げてみたいと思います。

習近平、鄧小平理論を持ち出す

2021年08月30日 17時45分07秒 | 文化社会
近ごろ、愛国心を強調して民心を引き締めている習近平さんが、鄧小平理論を持ち出して、国民の全体に豊かさを行き渡らせる方向(共同富裕)を打ち出したようです。

このブログでは、人間は、基本的に「豊かさ」を求めるもので、更に豊かさともに「快適さ」も求める段階に進んでいくという仮定を置いています。
SDGsなども、それを実現するための条件と考えることが出来るのではないでしょうか。

共産主義はもともと平等を大切にするために自由を制限するという考え方を持つものですが、鄧小平理論は、先に豊かになる人がいてもいいではないかと先ず考えます(改革解放)。
豊かな人が増えれば、その人達が、豊かでない人を助ければ、それで豊かさは均霑していく(共同富裕)。まず豊かな人が出てこないと、豊かさは生まれないといったものでしょう。

これは、共産主義が、平等を重視しすぎた結果、豊かさを追求する自由を働かせる余地が狭まり、経済そのものが発展しなくなってしまっている事への反省だったのでしょう。

この鄧小平理論は大当たりで、その後の中国の経済成長の目覚ましさは皆様ご承知の通りです。

しかし今ではその結果、中国内の貧富の格差は巨大になり、この格差社会化が社会の不安定をもたらす要因になって来ているという事でしょう。

そこで、鄧小平理論の第一段階の、豊かになれる人たちが大いに活躍し、中国経済を世界第二の経済大国になるまでに豊かにしたその成果を刈り取った習近平は、今度はその豊かさを豊かになっていない人達に均霑させようという第2段階(共同富裕)に進むことを考えているのでしょう。

考えてみれば、これは極めてまともなことで、西欧自由主義社会が(まさにピケティが言うように)格差拡大で行き詰まる過程で、社会保障という考え方が広まり、労働運動や社会主義運動などが生まれ、「揺り籠から墓場まで」といわれたイギリスの社会保障制度や、北欧各国の福祉国家が生まれるプロセスと同一のものでしょう。

ただ違うのは、西欧型のそうした経済・社会政策の進化は、民主主義という政治形態のもとで、政権交代を繰りかえしながら進化していったものです。
しかし、中国の場合は、共産党一党独裁ですから、指導者が、そう考えるだけでその進化は可能になります。

その点は簡単で大変やり易いわけで、国会での論争や、選挙戦などは必要なく、指導者の気持ちひとつで、極めて効率的に出来るのでしょう。
しかも、すでにいろいろな国の歴史が先例をいっぱい作ってくれていますから、行先はよく解っているという「地図完備」で「ナビつき」の進路を進めばいいのです。

そうした意味で大成功を収めた例は共産主義国家ではありませんが、シンガポールでしょう。的確に方向を見定め抜群の効率で進化を進め、今や1人当たり国民総所得では日本の1.4倍です。

中国の場合は国が巨大なのと、共産党一党独裁の形で覇権国家を目指すという意識を習近平さんが個人的以お持ちのようですから、そのあたりが上述の好条件をいかに利用し、その先にさらに何を目標にするかが、外からは読めないという点があります。

豊かさの配分の仕方についても、税制、社会保障政策による再配分に加えて、寄付社会の構想もあると聞きますが、習近平さんの肚の内は奈辺にあるのでしょう。

高齢化する人口14億人の国の社会保障問題などというと気が遠くなりそうですが、中国が良い国になってくれることを願うばかりです。

「豊かで快適な生活」のために政治、宗教が出来る事(試論)

2021年08月23日 16時11分19秒 | 文化社会
過去2回ほど書いてきたものの纏めを今回は試みてみます。
現代社会は、やっぱり「より豊かでより快適な」人間生活を求めて動いているようです。

政府(政治)は、毎年の経済成長、より少ない失業率といったものを目標にします。
宗教は物欲よりも、心の安らかさを教えますから「快適さ」は自分の心の中にあるというのかもしれませんが、通常の人間はそれだけでは満たされないでしょう。(物質的なものも必要)

そうした現代社会の中で、まず政治の役割と考えてみますと、「平和、経済成長、雇用の安定、格差社会化防止」といったことが挙げられてくるのではないでしょうか。

民主主義社会では、政府がそれに失敗すると、通常、政権交代が起き、新しい政府が頑張り、然し失敗することもあり、また政権交代というのが一般的です。選挙というシステムで、国民の意思による選択が可能になっているのです

政治でも独裁政治下では政権交代が起きませんから、独裁者の意思で社会が動くことになります。
独裁者は宗教を嫌います。共産主義も宗教は禁止です。これは多分、共産主義が宗教の性格を併せ持っているという事でしょう。

宗教は元々偏狭なもので、異教徒とは相容れないのです。しかし世の中が進化してきますと、宗教も次第に寛容(柔軟)になり、異教徒との共存が可能になるようです。
この辺りは一神教と多神教では多少違いもあるのかもしれません。

独裁主義・専制政治と宗教とは、教祖(独裁者)の価値体系のみを認めさせるという意味で、国民や信者の人間としての思考や行動の範囲を限定してしまうという点で似ています。
こうした環境の中では、人間の最高次の欲求である「自己実現」は不可能になってしまい、「豊かで快適」ではなくなってくるようです。

こんな風に考えて来ますと「より豊かでより快適な」社会の実現のために適切な政治や宗教はどんなものかといった問題の解答へのヒントが出て来るような気がします。

恐らくその回答は、決して難しいものではなく、人間なら誰でも分かるうな簡単なものだと感じています。

試論の結論として、並べてみますと、多分こんな事になるのではないでしょうか。

政治について見れば、
特定のイデオロギーを掲げて、あるいは特定の宗教を掲げて、その価値体系を良しとし、それ以外の価値体系を否定するような政治は、何時かは行き詰まることになり、社会の進歩、国民生活を国民の望む「豊かで快適」なものにするために効率的に機能することはない。より柔軟で、幅の広い選択肢を許容するものが望まれる。

宗教について見れば、それぞれに特定の神を崇めるものであるから、世界には多くの神が存在する。あなたの神と私の神は違うけれども、異教に対しお互いに寛容になる必要がある。
出来れば、世界中にある神々は、宇宙全体から見れば、同じ創造主ではないか、と考えてみる。(日本では神道と、仏教の 習合が行われている)

こんなことになれば、人類社会の「豊かさ、快適さ」を一層進歩させるために、色々と都合よくなるのではないでしょうか。それなのに今の世界では必ずしもそうなっていません。独裁政治を良しとする国があり、特定の宗教を強制する国もあります。

「豊かで快適な」社会を求める地球人類は、こうした状態を、より良い方向に持っていくために、もっともっと知恵を絞らなければならないのでしょう。

最後に政治について蛇足を付け加えます。
民主主義というのは、特定の政治の型ではなく、逆に、「型が決まっていないからどんな型にもなり得る」という政治形態といいう事ではないでしょうか。
例えていえば、血液型の「0型」=特定の型の特徴がないから「0(ゼロ)型」みたいなものです。 

民主主義国には、徹底した自由経済の国から社会主義的な福祉国家まであります。(例えればアメリカ型から北欧型まで)
選挙の結果によっては、右翼独裁や左翼独裁の政権を作ることもあります。(程度の違いはありますが、ヒトラーのドイツ、トランプのアメリカ、安倍・菅政権の日本・・・)

しかし一度本格的な独裁政権になってしまいますと、民主主義に戻すのは大変ですから、通常はその前に、民主主義の範囲にとどまるような政権交代を選挙によって行うように国民は考えるのでしょう。

人間は多様ですから、多様性の共存を認めるような柔軟性を持つ政治形態でないと「豊かで快適な」社会は永続しないのです。
民主主義はその意味で、現状では最も健全な政治システムなのでしょう。独裁政権の中で育ち大統領にまでなったゴルバチョフさんの意見は大切のように思う所です。